炎上
東の空が白んでくるにつれて、攻め手の敗色は濃くなってきた。
為朝の守る大炊御門の門が何としても突破出来ないのだ。
それならばと他の門を攻めようとしても、そちらも平忠正、家弘ら、屈強の武将たちがそれぞれ固めていて容易には打ち破れない。
加えて河原方面に布陣していた四郎頼賢、五郎頼仲ら、義朝の異母弟たちが兵を率いて門前に駆け入ってきて、陣の中を縦横無尽に駆け回ったので味方の損害は増えるばかりであった。
義朝は東三条殿の信西のもとに使者を走らせた。
「お味方勝利の為にはもはや、御所に火をかけるほかありませぬ。しかし、そうなればすぐ近くの法勝寺の伽藍を焼失し奉る恐れあり。いかがしたものか、宣旨を承って参れとのことです」
息せき切って奏上した使者を信西は一喝した。
「何を愚かな! こちらが勝てば帝の権威で伽藍の一つや二つなど、いくらでも再建できるものを。何をぐずぐず迷っておるのだ。火でも何でも使って一刻も早くあちらの御所をおとすがよい!」
許可を得た義朝の行動は早かった。
風の向きを読むと、すぐさま御所の西側にある邸に火をかけた。
折からの西の風が激しく吹いて黒煙をまき上げ、白河北殿の御所を包み込む。
さらに風に煽られた火の粉が屋根にふりかかり、たちまち燃え上がる。
敵方は大混乱になった。
火に怯えて騒ぐ馬のいななき。消火に走る雑兵たちが叫び立てる大声。
うろたえ騒ぎながら、あたりをかけまわる公家たちの悲鳴、泣きわめく声。
まさに天地がひっくり返ったような騒ぎである。
「うろたえるな! 消火にあたる者以外は持ち場を離れてはならぬ!!」
為義は声を涸らして叱咤したが、一度、恐慌状態におちいってしまった兵たちは簡単にはしずまらない。
「四郎! 五郎!! 散らばるな、皆々固まって門を守れ! 敵を中に入れてはならぬ!!」
為義は、灰色毛の馬にまたがり四方の門をかけめぐって下知を飛ばしたが、意気があがった敵は、口々に鬨の声をあげながら雲霞のように攻め寄せてくる。
その背後から、
「槌で門扉を打ち破れ! 八郎に構うな! 別の門にまわるのだ! どこでも破れた門から一気になだれ込め! 目指すは新院と、前左府殿の御身柄よ! 」
義朝の声が朗々と響き渡る。
義朝の指示で、太い丸太のような木槌を抱えた男たちが、幾度も門に突進していく。
重厚な門の扉がその重みを受けてずしりと傾いた。
もちろん、守備側はそうはさせまいとするのだが、もともとの数が劣っているうえに、あちらこちらの門に兵力を裂かねばならず、さらに今は消火にあたっている者もいるのでとても叶わない。
とうとう南面の門扉のひとつが打ち破られた。
そこから攻め手の軍勢が一度になだれ込んでくる。
南面を守っている六郎為宗、七郎為成兄弟に付き従っていた鎌田通清はこの場にいる者だけでここを守り防ぐのはもう無理だと判断した。
「御曹司がた、南庭のお父上のもとへお集まりなさいませ!」
「いや、父上にお任せいただいた持ち場を捨てて逃げることは出来ない!」
為宗が叫んだ。
「この炎の勢いでは、この御所を守って戦うのはもう無理です。ここを捨て、お父上の最初のお考え通り、新院をお守りしていったん奈良へ退き、南都の衆と合流するのです。それしかありませぬ! 御所のうちにはすでに敵兵が入り込んでいる。母屋を守り、新院をお逃しするのです!!」
そう言って通清はまず自分の馬に鞭をくれた。
通清が駆けだすのを見て、為宗ら兄弟も慌ててあとを追って来た。
「目先の功名に気をとられるな! 目指すは新院の御身ただ一つよ。新院をお探しして、
此方にお連れ参らせるのだ!!」
黒煙が充満し、兵馬が走り騒ぐなかで、義朝の声が戦場に響き渡る。
(良いお声だ)
こんな時なのに通清の頬に微笑が浮かんだ。
戦場の喧騒のなかでもよく通る、威厳があって、猛々しい──武者の心を掻き立て、滾らせる大将軍のお声だ。
ご立派になられた。
あの、泣きながら、それがしのあとをついてまわってばかりいた小さな武者丸さまが──。
我が子正清の軍勢が先ほど、為朝の軍勢に追い散らされ敗走したという知らせはすでに通清のもとにも届いていた。
乱戦の最中、行方知れずとなり、生死も分からない状況だということも。
しかし、それを悲しんだり案じたりしている時間は今はなかった。
(義朝さまがご無事でおられる限り正清も生きておるはずだ。あれが、義朝さまお一人を残して先に逝けるはずがない)
そう信じて通清は、新院と頼長の側にいるはずの為義のもとへと急いだ。
一方、為義の方でも火が放たれた時点で早々にこの御所での防戦をあきらめていた。
同じく、持ち場を諦めて寝殿の守護に駆けつけてきた平家弘、光弘らと慌ただしく軍議をかわし、何はともあれ新院をここからお逃しすることにした。
御簾の内で、なかば呆然としておられる新院と頼長を乗馬の出来る貴族たちがそれぞれ、鞍の前に抱き抱えるようにして同乗する。
「これから、どうするのか……」
消え入るようなお声で言われる新院に、為義は
「まずは三井寺の方へ」
と奏上して、東の門の方へと向かった。
そこへ駆けつけてきた通清と為宗たちをはじめ、子息たちが合流した。
為義は家弘らに言った。
「我らはここに残って、院がまだこちらにおいでになるように見せかけて時を稼ぐ。その間に貴殿らは出来るだけ遠くまで逃れてくれ。我らも後で追いつく」
「心得た!」
家弘らは頷いた。
為義は、雑兵に命じてまず寝殿の格子を南面を除いてすべて下ろさせた。
その上で息子たちを建物を囲むように四方に配し、特に南面を為朝とその手勢に守らせ、
「良いか、皆の者!! 命に替えても新院と左府の御身をお守りするのだ。これより先、一歩たりとも近づけてはならぬ!!」
と高らかに言った。
果たして攻め手の兵たちは寝殿に殺到した。
あまりに大人数で押し寄せたので、味方同士で押しあいになり争っているところもあった。
北面の坪庭に身を潜めていた家弘らは、この隙に新院方をお連れして東門から脱出した。




