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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第五章 保元の乱
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兄と弟

 白河北殿の内にも外の騒ぎは聞こえていた。

 四方八方からあがる時の声と剣戟の響きに震え上がった公家たちは、皆、新院の御前近くに集まって身を寄せ合っていた。


 前左大臣頼長は、為義を召し寄せて戦況を聞こうとしたが、各門から次々と寄せられる報告を聞き指示を出すのに忙しい為義はそれどころではない。


「そのような場所におられると矢が飛んで参りますぞ!」

 脅すように言うと、頼長は慌てふためいて母屋の内へ入って行った。


 大炊御門の門前に攻め寄せた正清とその配下三十騎を、為朝が一蹴し潰走に追い込んだという報告を受けた為義は、通清の心中を思いやって胸を痛めた。

 だが、それも一瞬のことだった。

 戦況は刻一刻と変化している。

 感傷に浸っている猶予はない。


「して八郎はいかがした? 追撃に出たのか」

「いいえ。すでに門の警護に戻っておられます」

 為義はほっとした。


 数多いる息子たちのなかでも八郎為朝の強さは圧倒的だった。

 鎮西の田舎育ちの猪武者かと思えば、ちゃんと冷静に戦況を見極めて行動する将としての資質も兼ね備えている。

 この一戦、味方の勝利は為朝ひとりの存在にかかっていると言っても過言ではなかった。


 為朝に匹敵するほどの武者は、この日の本中を探してもそうはいないだろう。

 もし、いるとすれば──。


「申し上げます!」

 駆け込んできた伝令が為義の前で膝をついた。

「うむ」


「下野守義朝殿、御自ら兵を率いて大炊御門の御門へ攻め寄せておいでです。八郎御曹司が迎え撃ち、戦闘が始まろうとしています」


 もし、為朝に対抗し得る相手がいるとしたら、それは自分の息子のなかでは長男の義朝だけであろう。個人としての武芸の腕では為朝の方がいささか勝るであろうが、軍を率いての戦闘、将として大軍に号令する将としての経験に関しては義朝の方にさすがに長がある。


 どちらも源氏の武者として雄々しく逞しく育った我が子らが、一門のため力を合わせるのではなく、互いに弓を向け合い、殺し合おうとしていることの皮肉さに為義はやるせない思いを味わった。



 為朝の兵と交戦後、正清が行方不明になったという知らせを聞いて周囲が止めるのも聞かずに馬を駆ってきた義朝は、大炊御門の門近くまで来ると馬上で鞭を振り上げて怒鳴った。



「我こそは下野守義朝! 八郎はおるか! 兄の義朝がわざわざ出向いてやったぞ。挨拶に顔を見せぬか! それとも平家あたりの木っ端武者ならいざ知らず坂東の強者相手は出来ずに震えておるか!!」


 正清の手勢を蹴散らした為朝は、まわりの者たちから、

「あまり深追いして御所が手薄になっては危のうございます。判官(為義)さまは八郎さまお一人を頼みにしていらっしゃるのですから」

と言われて、深追いは諦めて門の警護に戻っていた。


 門の外から叫び立てる義朝の声を聞いて憮然として表へ出て来た。


「なんだ。誰かと思えば義朝の兄上か。何を言われるかと思えば……。坂東武者など恐れるに足らず。たった今、兄上の乳母子を追い散らしてやったところよ。泣きながら戻ってきたのではないか。それとも帰って来なかったか。こちらではそんな端武者の首はいちいち拾うておらぬが、見当たらぬのなら野犬でも曳いていかれたか」

 高らかに笑ってみせた。


「おのれ……小僧が」

 義朝は、脇に手挟んで来た弓に矢を番えて素早く放った。

 空気を切って飛んだ矢は為朝の脇に立っていた兵の胸に深々と突き刺さった。兵は呻き声をあげて倒れた。


「これはこれは。兄上から存外のおもてなし。お返しをせねばなるまいな」

 為朝はにやりと笑い、自慢の八尺五寸の弓を取り出し矢を番えた。その大きさに敵方からどよめきが起こる。

 為朝は思いきり引き絞って矢を放った。


 両陣営の間を高らかな音を響かせて飛んだ鏑矢は、狙いをたがわず飛んで義朝の兜を掠めて、その前頭部についていた星飾りを削り取ると、遥か後ろの宝荘厳院の門の扉に深々と突き刺さった。


 衝撃に一瞬、目の前が白くなるような眩暈に襲われた義朝は、危うく落馬しそうになるのを何とか弓を杖にしてこらえた。

 ふらつく頭を手で探ってみたが血は流れておらず、どうやら傷は負っていないようだった。


 周囲に動揺が広がる前に、義朝は平静を装って声を張り上げた。

「馬鹿め。どこを狙っておる? その程度の腕前でこの義朝を射落とそうとは片腹痛いわ」


 それを聞いた為朝は、笑いながらまた弓を番えた。


「相手の大将を一矢で射落としてしまったはつまらぬと思ったゆえ、今のはわざと外したのだ。心配なさらずとも次の矢で、どこでもご指定の場所を射抜いて差し上げましょう。仮にも兄上だ。お顔の真ん中を射るのは恐れ多い。さて、どこが良いか。肩か、腕か、腰か──それともひと思いにお胸の真ん中か。お好きな場所を、これ、ここをと鞭の先で叩いてお示し下され」


 義朝は閉口した。

 為朝の言い様には腸が煮えるほど腹が立ったが、その弓の技量の確かさは先ほどの一の矢で嫌というほど分かった。

 ここで強がって、正直に矢面に立ってやる馬鹿はおるまい。


 義朝は為朝の言葉に構わず、いったん馬を引き、先ほど為朝の矢が突き刺さった宝荘厳院の門の脇へ退いて


「武蔵、相模の強者どもよ。駆け出て八郎の軍勢を蹴散らして来い」

と命令した。

「おおっ!!」

配下の名だたる坂東武者たちが先を争って名乗りを上げ、馬に鞭を入れて我先にと駆け出していく。

たちまちあたりは乱戦となった。



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