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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第五章 保元の乱
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大炊御門の攻防

清盛が為朝の威勢を恐れて兵を引いたという話は、二条河原に陣を敷いた義朝のもとにも伝わって来た。


「ふん。清盛も情けない。少しばかり弓に長けているとて八郎は十七、八の小僧ではないか。それを恐れて逃げるとは武門の名が泣くというものだ」

と、せせら笑った。

「いいだろう。この義朝が八郎めに坂東武者の戦というものを見せてやろう。鎮西あたりの木っ端武者の小競り合いと、本物の戦の違いを教えてやろうではないか」


 そう言って駆けだそうとするのを、慌ててて正清は制した。



「お待ちください、殿! このような戦で最初から御大将がうって出るなど聞いたことがございません!」

 だが、勇み立っている義朝は聞き入れようとしない。


「そうは言っても大炊御門の門は八郎を恐れて近づく者もおらぬ有様だと聞く。そのようなことが世に広まれば、帝から直々に総大将を仰せつかっている俺の名折れよ!」

と言い張って尚も駆け出そうとする。


 やむなく正清は、周囲の郎党たちに義朝のまわりを取り囲ませ、容易に駆けだせないようにしたうえで、

「分かりました。ではこの正清が殿のご名代として出向き、様子を伺って参りましょう」

と進言した。

 まだ何か言おうとする義朝にさっと一礼して、自らの郎党三十騎ばかりを率いて大炊御門門へ向かった。

 正清たちが近づいていくと、門のまわりに集っている兵たちが余裕たっぷりの様子で顔を上げ、それぞれ弓や太刀を取り上げた。

 中に、頭ひとつ──いや、それ以上に飛び抜けて背が高く、逞しい武者がいるのが離れた場所からでもよく見えた。



 顔立ちまでは甲にかくれて見えないが、その体躯や落ち着き払った物腰は、とても十七、八の若者とは思えず、百戦錬磨の古豪のような風格があった。


「あれが八郎御曹司か……」

「……でかいな。本当にまだ十七なのか?」

 郎党たちの間にざわめきが起こる。


 それを片手を上げて制して、正清は馬を前に進ませた。

 視線を為朝に向けたまま、深く息を吐き、ゆっくりと吸う。幾度か繰り返すうちに戦場で敵を眼前にしたときの、独特の高揚感、闘争心が湧き上がってきた。

 その一方で神経は妙に研ぎ澄まされ、静まり返っている。


 正清は、大きく息を吸うと敵陣に向かって高らかに声をあげた。


「我こそは此度の戦の大将軍、下野守殿の乳母子。鎌田権守通清が嫡子、鎌田次郎正清! 主君より先払いの役を賜り参上した。この門を固めし、御大将は誰ぞ。いざ、立ち合い候え!!」


 その声に呼応するように為朝が悠然と兵たちを押し分けて前に出た。


「鎌田といえば当家重代の家人ではないか。相伝のあるじに向かって小面憎い言い様よ。おまえ如きがこの為朝の相手になるものか。義朝の兄上は何をなさっておられる。我が弓の勢いを恐れて物陰で震えておられるのか」


 為朝の空気を震わせるような大声が響き渡ると、それに追従するような笑い声が敵方から上がった。

 正清はすっと目を細めた。

ほんの偵察のつもりだったが、衆目の前でこうまで義朝を馬鹿にされて黙って引き下がるわけにはいかない。

手綱を軽く引き、馬の向きを変える。

左手で持った弓に矢を番え、馬上のまま大きく引き絞った。


 照準は当然、為朝である。

 当の為朝は狙われているのを承知でいながら、悠然と腕を組みこちらを見返している。


 思った通りだった。

 年の離れた異母弟とはいえ、やはり兄弟。為朝は誇り高く自信家のところが若き日の義朝にそっくりだった。


 見下している敵の弓の前にこそこそ後に退いたりしない。いや、出来ないのだ。

 勝機はそこにあると正清は見た。


「──相伝のあるじと言われるが、今は主上に弓引く八逆の凶徒ではないか。この矢は某が放つにあらず。八幡大菩薩の放ちたもう御矢なるべし!!」


 言うなり引き絞った矢を素早く放った。


 まっすぐに飛んだ矢は、為朝の左頬を掠めて切り裂き、甲の鉢付の板にずしりと突き刺さった。


 為朝は激昂した。

 甲に突き立った矢を抜き捨てると、自慢の矢を射返すことも忘れて馬上で鞭を振り上げ、

「おのれ、小癪な! その首捩じ切って八つ裂きにしてくれるわ!!」

と叫ぶなり、先頭に立って突撃をかけてきた。


 まさか、為朝自身が馬で突出してくるとまでは予想していなかった正清は内心驚いたが、ここで自分が怯む様子を見せてはただでさえ少ない自分の手勢は総崩れになるだろう。

 正清は突っこんでくる一団に向かって、数本の矢を素早く放った。


 数人の騎馬武者がその矢にあたって後退したが集団の勢いは止まらない。

 なかでも為朝は、他の者などまるで目に入らないような凄まじい形相で正清を睨みつけて、まっすぐに突っ込んでくる。


「他の者に構うな。手取りの与次、討手の城八! 鎌田を捕らえよ! 生け捕りにして我が前に引きずって来い!!」

 その叫びに応えて、熊手を手にした徒歩武者たちがこちらへ駆けてくる。


 鎧に熊手の爪を引っかけて馬から引き落とすつもりなのだ。


「あ奴らを殿に近づけるな!!」


 東国時代から正清に仕えている郎党のなかでも筆頭格の八田の小次郎という男が周囲に命じる。


 たちまち激しい斬り合いが始まった一団のなかに七平太の姿を見かけた気がして一瞬、気を取られた正清は、次の瞬間、入り乱れる敵味方の姿の向こうに馬上で通常の弓の倍もありそうな大弓を軽々と引き、こちらに向かって構えている為朝の姿に気がついた。


 矢の先はぴたりとこちらに向けられている。


 ハッとした時にはもう遅かった。


 放たれた矢は凄まじいうなり声をあげて、まっすぐに正清の喉笛を射抜くべく迫ってくる。


 もう駄目かと覚悟を決めかけたその時。

 目の前に青毛の馬が駆け入ってきたかと思うと、ドスッという鈍い音と低い呻き声が聞こえた。


 赤糸縅の背中がぐらりと揺れる。

 鎧の色目から、都筑の四郎という自分と同じ年頃の古参の郎党だと気がつくのと、その都筑が仰向けに馬から転げ落ちるのがほぼ同時だった。


 が、転げ落ちるかと思われた都筑四郎はそのまま仰向けにのけ反った奇妙な格好のままで馬の背に揺られている。

  見れば鎧の胸を射抜いた為朝の矢が、そのまま体を突き抜けて鞍の後ろに突き刺さっているのだった。


 馬上に縫い留められた形になった都筑四郎は、すでに絶命しながら落馬することも出来ずに鞍の上で主の制御を失って暴れる馬の背で揺すぶられるがままになっている。


 あまりの弓の威力を目の当たりにして全身から血の気が引いて行く。

 鎧の下の体からどっと汗が噴き出した。


「動きを止めるな! 矢の的になるぞ。駆けろ、駆けまわれ! 敵と入り乱れて弓を使わせるな!!」


 正清の指示で、味方の騎馬武者たちが突っ込んでくる敵を攪乱するように縦横に駆け回る。


 敵の数はこちらとそう変わらない、三十騎前後である。


 しかし、こちらは最初から為朝の武勇の評判と、その堂々たる姿に怯んでいたところをその弓の威力の凄まじさを見せつけられて、全員が浮足立っていた。

 なかには七平太をはじめ、戦に馴れない若武者もいる。


 もともと斥候の目的でやって来たので、為朝直属の精鋭部隊を迎え撃つ布陣ではないのだ。


 乱戦になった為朝は弓を小脇に手挟み、太刀を抜いて駆け回っている。

 その強さは弓ほどではないものの十分に凄まじい。

 立ち向かう郎党たちを一度に、二、三人も蹴散らす勢いである。


 このままでは味方は全滅する。

 遅まきながら正清は、撤退を決意した。


「皆、南だ。南へ駆けよ!! ここはいったん退き、鴨川を南に駆けるのだ。騎馬はそれぞれ、離れて駆けよ。徒歩の者は逆に味方と離れるな! 何人かで固まって走れ!!」


 混乱のなかで将の声を聞いた味方の兵たちがいっせいに動き出した。

 正清も向かってくる徒歩武者をひと太刀で切り下げ、馬首を南に向ける。


 が、今の指示が先ほどから執拗に正清だけを探し求めていた為朝にその所在を教える結果になった。


「逃さぬぞ!! その四肢を引きちぎって義朝の兄上のもとへ送り返してくれるわ!!」

 雷鳴のような大音声で叫ぶとまっしぐらにこちらへ向かってくる。


「殿!!」

 七平太の悲鳴のような声がする。

 そちらへ視線も向けずに、


「馬鹿! よそ見をするな!! 南に駆けよ!! 味方とはぐれるなよ!!」

 叫ぶのが精一杯だった。

 あたりを揺るがすような地響きが迫り、雪崩のように周囲を呑み込んでいく。正清は愛馬の手綱を引き、右手に握った太刀を強く握り直した。



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