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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第四章 動乱前夜
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昇殿

内裏──高松殿では帝が南殿にご出御になって公卿僉議(くぎょうせんぎ)が開かれた。

武士たちのなかでも、義朝をはじめ、義康、清盛ら主だったものたちは特に呼ばれてその場に連なっていた。


「………で、どう思われますか? 鎌田殿。──鎌田殿?」

ふいに肩を揺すぶられて正清は、はっと顔を上げた。

山内首藤刑部の息子、滝口俊綱のいぶかしげな顔が目の前にあった。


「何だ、じゃないですよ。此度(こたび)の戦はどのようになると思われますか、ってさっきから何度も聞いてるのに上の空で」

「あ、ああ、そうか。すまない」

「いいですよ、もう。どうせ佳穂どののことでも考えてたんでしょう。いいですね、いつまでも新婚みたいにお熱くて」


「この馬鹿! そんなわけがあるか! 陣中で女のことなど考えておるのはおまえくらいのものだ」

「失礼だな。だから俺はさっきから戦の話をしてるのに。ぼんやりしているのは鎌田殿の方ではないですか」

「別にぼんやりしていたわけではない。考え事だ」

正清は憮然として言い返した。


考えていたのは、父の通清のことだった。

義賢の首実検の日に三条坊門の邸での一別以来、父には一度も会っていない。


主君の義朝がその道を選ぶのなら──と、自分も父子の縁を切り、敵味方に分かれて戦う覚悟はとうに決めたはずだったが、いざ、その時を前にすると気持ちがざわついた。


むこうの様子は半刻と間をおかずにやってくる物見によって、つぶさに報告されている。

それによると、あちらは今のところは静観の構え。


為義の子息らは、八郎為朝が大炊御門(おおいみかど)の門を固め、頼賢(よりかた)頼仲(よりなか)ら年長の者たちは二条河原周辺を。楓の夫となった六郎為宗(ためむね)とその下の為成(ためなり)が南面の門を守っているらしかった。

どちらの陣営にも、それぞれ身内や知人がいるので、旗指物や郎党の顔ぶれでどの将がどのあたりにいるのかだいたい分かるのだ。


総大将の為義は、御所の南庭。

上皇と前左府のいる御座所の近くを守っているらしい。通清がいるならばそこか。


いや、年若の御曹司たちに付き添って、どこかの門か鴨川べりに布陣している可能性も高い気がする。

どちらにしても、いざ戦場で父と相まみえることになったら……。

迷わずに弓を引けるのか、正清には自信がなかった。


滝口が話を続ける。


「あちらには鎮西からきた八郎御曹司がいるじゃないですか。何でも身の丈七尺五寸を超える大男で、八尺の弓を軽々と引いて、一矢放てば、五、六騎は軽く吹っ飛ばし、怪力で牛でも馬でも片手で薙ぎ倒して、一度捕まったら兜ごと首を捩じ切って投げ捨てられるって聞いたんですけど、本当ですかね?」

「そんなわけあるか。れっきとした殿のご舎弟、源家の御曹司なのだぞ。それではまるっきり化け物ではないか」

「そりゃまあ、そうですね」


その時、近くの一団が何やらざわついているのに気がついた。

自分に従ってきた鎌田の家の郎党たちである。


「どうした? 何を騒いでいる?」

聞けば、年長の者たちを中心に初陣の若者を励ましていたらしい。

中に胴丸を着こんだ七平太の姿を見つけた。緊張のためか、硬い顔をして朋輩たちにからかわれている。


無理もない。小競り合い程度の小さな争いに出た経験もほとんどないのに、いきなり国の行方を左右するような大戦に駆り出されるのだ。

硬くなるなという方がおかしい。


「七平太、こっちへ来い」

声をかけると、七平太は裏返ったような声で返事をしてぎくしゃくとこちらへやって来た。

「な、何用でございましょうか、殿」


「用ではない。ただ、戦が始まったらおまえは出来るだけ俺の側から離れるな。戦場は思っている以上に騒がしい。俺の声が通るところに居よ」

「はっ」


「戦場で怖いのは敵ではない。雰囲気に呑まれ、自分が今どこにいるのか、どこへ向かって何をすべきなのかを見失うことだ。だが、戦に馴れぬ者に戦に呑まれるなと言っても無理なこと。だから、俺の指示が通る場所にいろ。指示を聞いて動け。そうすれば容易くは死なん。いいな?」

「は、はい!」

「他の若い者にもそう言うておけ。俺でなくともいい。戦経験が豊富で、ある程度状況を見て指示が出せる者の側から離れるな。功を焦って一人で敵陣に突っこんだりはするな。そんなのはおまえ達にはまだ百年早い。いいな?」

「心得ました!」

七平太は頬を紅潮させて、勢いよく頷いた。



その頃、義朝は南庭の砂上に跪き、信西と対面していた。

赤地錦の直垂(ひたたれ)に、脇楯(わいだて)小具足(こぐそく)をつけて太刀を佩いたその姿は武門の棟梁というにふさわしく、勇ましくも頼もしげに見える。


下野守(しもつけのかみ)義朝、この度は親兄弟を捨て此方に参候のこと、主上におかれても大層お喜びである。そこで此度の戦の総大将をそなたに命じる。優れた忠功を示せば、かねてより所望であった昇殿もただちに許されるであろう。心して励むが良い」

「はっ」


義朝はまっすぐに顔を上げて信西を見た。


「畏れながらこの下野守。合戦に出る際は常に命を捨て、生きては戻らぬ覚悟で臨んでおります。それは此度の戦とて同じこと。死んで後の褒美をお約束いただいたとて何の栄えがございましょう。同じことならば今この場で、昇殿をお赦しいただきたい!」


そう言って、階のすぐ下まで進み出て返答を迫った。

(なんと不躾な……)

信西は内心、鼻白んだ。


(義家、忠盛らが昇殿を赦されたのは朝敵を平らげ、帝と朝廷に献身を尽くした功を認められてのこと。まだ何もせぬうちから、地下人の子に過ぎない者が突然昇殿を赦されるなど、聞いたことがないわ)


信西がそう言うよりも早く、御簾の内から後白河帝が扇を鳴らして合図をした。

信西が近寄ると帝は、

「異例といえば、今の世など異例なことだらけだ。このような乱世に先例ばかり持ち出しても仕方ない。構わぬ。昇殿を赦せ」

と仰せになった。

義朝は身内を心地よい戦慄が走るのをおぼえた。

昇殿となれば、河内源氏としては曽祖父の八幡太郎義家以来の快挙である。


続いて、合戦の計画について奏上するようにと命ぜられて、義朝は軍装のまま簀子の端に上がった。


「夜討ちこそ最上の策かと存じます」

義朝の説明は簡潔だった。


「夜が明けぬうちに兵を挙げてあちらへ攻め寄せましょう。聞けば前左府に味方する南都の衆千余騎が明朝にもあちらへ合流しようと、急ぎ上洛の途にあるとのこと。一刻の猶予もありませぬ。この義朝が今すぐ兵を率いて出陣し、援軍が到着する前にあちらを攻め滅ぼしてご覧にいれましょう」

これを聞いた信西は深く頷いた。


「詩歌管弦の道ならばともかく、合戦の手立てとなれば我ら貴族はまったく不案内だ。総大将に任じたからには、すべてそなたの采配にまかせよう。下野守義朝。頼んだぞ。主上のご威光をもって、朝敵どもを討ち滅ぼすべし!」


「必ずや!」

 義朝は颯爽と退出していった。その動作からは、清盛をさしおいて総大将に任じられた誇りと自信が溢れていた。

自分の陣に戻った義朝は、戦の総大将に任じられたこと。殿上への昇殿を赦されたことを高らかに告げた。

郎党たちの間から歓喜のどよめきがあがる。


「正清、正清! やった! 俺はやったぞ!!」

群がる人々を押しのけるようにして駆け寄ってきた義朝は、子どものように正清にしがみついた。


「父上も祖父上も出来なかったことを俺はやった! 聞いたか? 帝がこの俺に官軍の総大将をまかせると仰せになったのだぞ! 平家の清盛ではなくこの俺に!!」


興奮した面持ちでまくしたてる義朝の前で、正清はその場に膝をついた。


「さすがは我が殿。八幡太郎義家公の三代の後胤、源氏の嫡流、御大将にございます! この正清。大将軍の御旗下にて、力ある限り、一命を賭して戦います!!」

大声でそう宣言すると、あたりからたちまち賛同する叫びがあがり、皆が正清にならってその場に膝をつき、口々に義朝を称えた。


その様子を感極まった顔で見ていた義朝は、

「金王丸! 鎧を持て! すぐに出陣だ!!」

と従者の童を声高に呼び立てた。

すぐさま、数人の少年たちが駆けだして義朝の鎧櫃をとりにいく。


やがて、陣幕の内から源家伝来の「八竜」という鎧をまとって出てきた義朝は、輝くばかりの武者ぶりであった。


源氏の家には、先祖代々さまざまな武具が伝えられていたが、なかでもこの「八竜」は正統な嫡流が継ぐものとして伝えられていた。

その特別な品を戦の始まる前、為義は義朝のもとへ送って寄越した。

この期に及んで為義は、義朝を源家の嫡流──自分の後継者として認めると言ってきたのだ。


義朝は複雑だった。

だが、今まで自分をずっと否定してきた父が、この最後の時になって自分を認めると言ってくれたことが嬉しくないはずはない。


現に今、戦の大将に任じられたこと。

内の昇殿を赦されたことを誰よりも伝えたいのは、敵の陣中で指揮をとっているはずの父だった。


義朝が甲の緒を締めて、黄覆輪(きふくりん)の鞍を置いた逞しい黒馬にまたがって高松殿の門を出ると、そこには乳母子の正清をはじめ、河内の源太朝清、佐々木の源三、波多野小次郎、山内首藤刑部(すどうぎょうぶ)父子ら、義朝直属の精鋭たちがすでに顔を揃えて、大将の出馬を待っていた。



義朝は手綱を控え、懐に入れた紅の扇をさっと開いて周囲を見回した。


「この義朝。いやしくも武門の家に生まれてこのような大戦にあうこと叶うとは幸いなことよ。此度の戦は、常日頃、戦ってきた私闘とは違い、勅命を賜って弓、太刀をとる誰はばかることのないものだ。皆々、力を尽くし、名を後代に挙げるべし!!」


高らかに言って扇をかざすと、金泥で描かれた日の丸が篝火の明かりに映えてきらきらと光った。

両脇に控えた近習が、大将の馬印となる白い房飾りのついた旗と黄金の(ほこ)を掲げる。


兵に魚鱗(ぎょりん)鶴翼(かくよく)の陣形を命じ、悠然と馬を進めるその姿は、さすがに大将軍に相応しく威風堂々としたものだった。

 正清は胸が熱くなる思いでその姿を見ながら、そのすぐ後に控えて馬を進ませた。



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