91.鎮西八郎為朝
十一日、早暁。
高松殿では、もとから詰めている武士たちに加えて新たに参上した兵たちが加わって表の大路、小路にまで人が溢れかえっていた。
義朝は特に許されて、帝の御座所である寝殿の南庭に早くから詰めていたがそこへその日、安芸守、平清盛とその一門の率いる兵がたちがやって来た。
清盛の亡き父の正室、池禅尼が新院の第一皇子、重仁親王の乳母であったことから、平氏一門は新院方に着くのではないかと危ぶまれていた。
多くの兵力を有している平氏には、両陣営から再三にわたって招聘の使いが出ていたが、清盛は何を思ってか今日までその去就をあきらかにしていなかった。
それが蓋をあけてみたら、涼しい顔をしてこちらに参上し、最初からこちらに詰めている自分と同等の場所に悠々と座っている。
なんでも、
「美福門院さまからの直々の御文を賜り、亡き鳥羽院への御恩に報いるため」
とか言っているらしいが、それならばもったいぶらずに最初からこちらへ来れば良い。
(もったいをつけて、自分の値打ちを吊り上げようとしているのだ)
その思惑にまんまとはまったように、帝方では関白忠通も信西入道も、清盛と平氏一門の参上に大喜びしている。
これでは、最初から二心もみせずにこちらへ忠誠を誓っている自分たちが馬鹿みたいだ。
義朝は面白くなかった。
平氏方では清盛の叔父、忠正が上皇方に参じていたが、その他の清盛の兄弟、父祖の代からの郎党たちは、ほぼ皆々清盛に従ってこちらへ参上していた。
幾人いるかも分からない清盛の弟や息子たちが、ひっきりなしに棟梁である長兄のもとを訪れ、あれこれと報告をしたり、指示を仰いだりしている。
清盛は、いちいちそれを聞き、言葉短かに指示を出した。
それはいかにも適格で無駄のないものだった。
これまで、平氏は公家かぶれの弱武者揃いだと蔑んでいた義朝は内心、意外な思いだった。
そして、同じ武門の長男と生まれながら、一門からはぐれ、この場に一人として味方となる兄弟がいない自分の境遇に耐えがたい恥辱をおぼえた。
一方、新院方の白河北殿にも味方する武士たちが続々と集まっていた。
長絹の直垂に黒糸縅の鎧を着た為義の風貌は、さすがに武家の総帥としての、ゆったりとした風格があり、同じ陣営の武士たちの尊崇の視線を集めていた。
為義は、七人の息子たちをそれぞれ御所の守りにつかせた。
御所の西を流れる鴨川の河原には、四男頼賢、五男頼仲を将として置き、敵方の殺到が予想される大炊御門の西門には、齢十七にしてその勇猛さを天下に鳴り響かせている八男、為朝を守りの要として置いた。
六男の為宗、七男の為成には、鎌田通清をつけて南面へ。
末の十六歳の九男、為仲は御座所近くの自分の陣の側へ置いた。
新院方についた兵は千を超えるはずだが、そうして各々の門に割り振ってみると御座所のまわりは人もまばらなほど、心もとない様子になってしまった。
新院は、頼長とともに御着背長(貴人の着用する鎧)をお召しになられたが、それを見た左京大夫、教長に
「畏れ多くも上皇という尊い御身でありながらそのような物をお召しになるなど先例がございません。ただでさえ、このような暑い折に、お体を損なわってしまわれますぞ」
と諫められお脱ぎになられた。頼長も鎧を脱いだ。
教長をはじめ、院の近臣たちは皆、水干、袴の上に馴れない腹巻を着て落ち着かない様子だった。
為義を幾度も召して、
「戦の様子はどうなのだ。大丈夫なのか? 必ず勝てるか?」
と尋ねる。
(必ず勝てる戦などあるものか)
為義は内心、閉口しながら
「戦のことはこの老い武者よりも息子の為朝の方がよほど心得ております。あれにご下問下さるように」
と答えた。
早速、為朝が御前に召された。
やってきた為朝は、他の者よりもゆうに二、三尺はぬきんでた長身で、その風貌、顔つきは見るからに荒々しく、恐ろしげな様子である。
普段ならば、見るのも恐ろしいような荒武者を新院も、頼長もこのような時なのでたいへん頼もしく思った。
頼長は機嫌良く声をかけた。
「そなたが為朝か。話に聞いていた通り素晴らしい武者ぶりだ。一騎当千とはそなたのような者のことを言うのであろう」
為朝は、感激する風もみせずに平然と聞いている。
「為義は戦の采配はすべてそなたに聞けという。どうだ? 考えがあるか?」
聞かれて為朝は答えた。
「この為朝。幼き頃より鎮西にて育ち、合戦に出ること二、三十回に及びます。その経験から申し上げられるのは、戦に勝利するには一にも二にも夜討ちである。夜が明けぬうちに高松殿に攻め寄せ、三方から火を放ち、残る一方から一気に攻め入る。
炎と攻め手の兵とを同時に凌ぐのは至難の業。あちらは大混乱になるだろう。
その混乱に乗じて、この為朝が長兄、義朝を討ち果たす。
我が兄、義朝さえ討ち取ってしまえば、混戦をまともに指揮出来る将はおらぬはず。平氏の木っ端武者のへろへろ矢など何のこともない。
いよいよとなれば、敵は帝をよそへ移そうと御輿にのせて担ぎ出すに違いない。
その時は容赦なく矢を射かけるまで。駕籠丁どもが恐れて逃げ出したところを御輿ごと捕らえて、こちらの御所へお連れするまでだ」
頼長はこれを聞いて仰天してしまった。
「な、なん……なんという恐ろしい……いや、畏れ多いことを言うのだ。御輿に矢を射かけるとは──。
そもそも、これは鎮西の田舎あたりの私闘ではない。帝と上皇の、国を分けての戦で夜討ちなどという卑怯な真似が出来ようか。
それにただでさえ、御前にこんなにも人が少ないのにこの上、皆が攻め出てしまったらいったい誰がここを守るのか!?
今晩には奈良の衆徒や、吉野、十津川からの兵たちが宇治の父上のもとへ参集し、明朝にはこちらへ着くはずだ。
そうなれば兵の数は一気に膨れ上がる。それを待って合戦をしても遅くはあるまい。いや、そうせよ。兵が集まるまでは、こちらから打って出たりはせず御所を守っておるのだ」
声高にまくしたてた。
為朝は不服だったが、さすがに前左大臣に向かってそれ以上反論も出来ず不承不承引き下がった。




