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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第四章 動乱前夜
84/122

84.高陽院(一)

思えば数奇な生涯である。

泰子はかたわらの経机の上に落ちた仏花の花びらを見ながらふとそう思った。


高陽院(かやのいん)、と呼ばれている。

女院号を賜ったのは今から十五年ほども前。四十四歳の時だった。


泰子は、今は宇治の禅閤(ぜんこう)と呼ばれている藤原忠実の長女として生まれた。

時の関白の一の姫である。

幼い頃より、いずれは宮中に入り后の位に上るものとして育てられた。母譲りの美貌に加えて生来、聡明で和歌にも筝の琴にも人並み以上の才を示した泰子を父の忠実は溺愛した。


泰子が十四歳の時、治天の君である白河院から、まだ当時六歳だった鳥羽天皇のもとへ入内させるように打診があった。

帝が幼少であるのも、泰子の方がはるかに年上であるのも当時としては珍しいことではなかった。にもかかわらず忠実はその申し出を断った。

理由は分からない。


ただ、泰子と弟の忠通の生母、師子はかつて白河院の寵姫であった。

皇子を一人産んだあと、院に顧みられなくなっていた母を見初めた父が、どうしてもと望んで妻に迎え入れたのだそうだ。

院の見境のない好色さと飽きっぽさを知り尽くしている母が、その院の好き心が孫帝の后に向けられることを懸念して反対したとも言われているが、本当のところは分からない。


その後、父はやはり白河院の養女である璋子を弟の忠通の妻にという申し出を辞退した。

当然のことだ。

璋子は白河院の養女、という立場だからこそ重んじられているものの、元は閑院の大納言公能の娘にしか過ぎない。

大臣の娘か、皇女ならば二品の宮以上でなければ、ゆくゆくは父の跡を継いで関白の位にのぼることが分かっている忠通の北の方に相応しいとは到底言えない。しかし、これは当の忠通には不満だったようだ。


治天の君の最愛のご養女を妻に迎えることで、その覚えがめでたくなるチャンスを父が潰したと、泰子の前で不満をこぼしたことがある。


「あら。でも彼の姫は、院のただのご養女ではないという評判だったじゃないの。そんなふしだらな女が義妹になるだなんて考えただけで気持ちが悪いわ」

泰子は、はっきりと言ってやった。

忠通は呆れたようにため息をついた。

「分かっていないな、姉上は。彼の姫がどんな人であろうと、どんな評判があろうとそんなことはどうだっていいんだ。大切なのは彼女が院に大切に重んじられているっていうことだ。その大切な姫を院は私に下されようとなさったのに。まったく父上は何をお考えなのか」


その翌々年の永久五年。

璋子は鳥羽天皇のもとに華々しく入内した。

ふたつ年上の璋子への天皇のご寵愛はめざましく、入内したその時には女御の宣旨が下り、その翌月にははやくも中宮として立后された。

中宮璋子は懐妊し、その翌年の五月には第一皇子となる顕仁親王を出産した。


失望する忠実に思いがけない声がかかったのは、白河法皇が熊野御幸で都を離れている保安元年のことだった。

その頃、中宮璋子は体の不調を訴えて実家である白河院の御所に下がりがちで、帝の再三の催促を受けて参内しても、理由をつけてお召しを辞退することが多いという評判であった。

 

ご不在がちの中宮お一人きりの後宮を飽き足らず思われた若き帝が、かねてより話のあった関白の娘の存在を思い出し、入内させる気はあるかと打診されたのだ。


この時、泰子は二十五歳。

当時の女性としての適齢期を著しく過ぎてはいたものの、邸の奥深く養われた瑞々しい美貌はいささかも衰えていなかった。

忠実は舞い上がって早速入内の支度を始めた。

しかし、これが白河院の知るところとなった。


「自分が声をかけた時はすげなく断っておきながら、鍾愛の養女、璋子が入内してときめいている今となってその競争相手として娘を入内させようとは」


院の怒りは激しかった。

「帝、御自らお声がけいただいて、どうしてお断り出来ましょう」

という弁明も何の効果もなかった。

忠実は、関白と兼任していた内覧の地位をどちらも解かれ、宇治に蟄居することを余儀なくさせられた。


忠実は、

「我が生涯はもうおしまいだ」

と嘆き、

「この父は、姫の前途をも閉ざしてしまった。許しておくれ」

と泰子をかき抱いて涙に暮れた。


「泣かないで、お父さま。私ならば平気。むしろそんな恐ろしい法皇さまがいらっしゃる宮中などに上がらずにずっとお父さま、お母さまの娘としてこの家にいられる方がどれだけ嬉しいか知れないわ」

半分は父を慰めるためだったが、あとの半分は本音だった。

忠実はますます泣いた。


忠実が失意のうちに宇治に去ってから二年後、御代が替わった。

二十一歳という若い盛りの鳥羽天皇にかわって帝位についたのは中宮璋子の産んだ第一皇子──わずか五歳の顕仁親王だった。

白河法皇の強い意向だったのだそうだ。

これについて世の人々はあれこれを噂し合った。

それらの噂は広大な邸の奥にいる泰子のもとにも届いた。

女房たちが声を潜めて囁き合うそれは、一の宮の出生によるものだった。

「だって、その頃、中宮さまはずっとお里下がりで……」

「月数が合わないわ」

「では、やはり」

「一の宮さまはあの御方の……」

そんな声を聞きながら泰子は改めて、そんな禍々しい場所に行かずに済んだ自分の幸運に感謝した。



高陽院泰子は、最初の名は勲子。立后後に泰子と改めたと言われていますが、こちらでは分かりにくさを避けるため「泰子」に統一しています。


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