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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第四章 動乱前夜
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骨肉(三)

東国から届いた友切の太刀を受け取った義朝は、それを満足げにつくづく眺めるとすらりと鞘から抜き放ってそれを掲げた。


日の光を反射した刀身が白く輝く。


寝殿の南庭に集まっていた武士たちが歓呼の声を挙げた。その声は、数人の武士が蓋のついた丸い木桶を載せた台を恭しく運んでくるとますます高まった。

あたりを揺るがすようなその声のなかで、正清は妙に静かな気持ちで運ばれてくる木桶と、それを迎える義朝の姿をみつめていた。


義朝は、折烏帽子に鎧直垂という戦の時そのままの装束に身を包んでいる。

今から、義朝の異母弟。次郎義賢の首実験の儀が始まるのだ。


義朝が床几から立ち上がる。

傍らに控え、弓杖と扇を捧げ持っているのは、義賢を討ち取った義朝の嫡男、義平の母の一族、三浦家の者だ。


数日前。早馬の知らせが着くまで正清は義朝が、鎌倉にいる義平に叔父である義賢を討つ命令を下していたことを知らされていなかった。

無論、事前に打ち明けられていれば自分は、一門を統べる者が我が子に弟を討たせるという非道を咎めただろう。

人道的な意味からだけではない。


人は自分には決して出来ない強さと酷薄さをもった者を畏れ敬う。その刃が自分に向けられることを恐れて頭を垂れ、服従を誓う。

けれどそれは諸刃の剣だ。

人は自分には出来ないこと、非道とされていることを易々と行う者を理解出来ない。

父に逆らい、一族の多くと敵対し、自らの子に自らの弟を殺させるような者のことを受けれることは出来ない。人としての本能が拒むのだ。

その本能的な嫌悪感は、その者が圧倒的な強さを誇っている時はなりを潜めている。

けれど一たび、落ち目になったと見た瞬間、その感情は濁流のような勢いとなって相手に襲いかかるのだ。

 

坂東武者の歴史は、血族争いの歴史である。

正清はそのようにして、一時は勢威を誇り、その後無残に滅びていった者たちを数多く見てきた。

 

義朝は強く、誇り高い。武家の名門、源氏の棟梁として彼ほど相応しいものはいない。

そう信じているからこそ、正清は義朝に危険な橋を渡らせたくはなかった。

もっと違う方法で武家の頂点に立つ。義朝にならばそれが可能だと思った。


だから、ずっと為義との歩み寄りの道、あまりにもあからさまに一門のなかで孤立の道を歩もうとする義朝を止めようとし続けてきた。

けれど、それは何の意味もないことだったのだろうか。

意味がないどころか、義朝をよけいに駆り立ててしまっていただけだったのではないだろうか。

正清は生まれて初めて、物心ついたときから一緒に育ってきた義朝のことを遠くに感じていた。


首実験が終わった。

その時、ふいに周囲の声が止んだ。

見ると、中門を抜けて為義が庭に入ってくるところだった。すぐ後ろに通清を従えている。


為義が歩いていくにつれ、水が油に弾かれるように人の群れが退いた。

為義のおもては水のように静かだった。しかし小柄なその姿には侵しがたい威厳が備わっていた。武家の棟梁として、多くの武士たちの上に立ち続けてきた者だけがもつ「威」がそこにはあった。


後ろに控えた通清も無言で、伏し目がちに歩いていたがその手はいつでも抜けるように腰の太刀にかかっていた。

誰も声ひとつ立てなかった。

為義の視線がゆっくりと動いて、義朝の前に置かれている木桶の上で止まった。

為義は静かに歩み寄ると、地面に膝をついてその桶に手を伸ばした。ゆっくりと蓋を取り去る。酸っぱい酒の匂いにも似た腐臭が正清のいる場所まで漂ってきた。


為義はじっと桶の中をみつめていた。

その表情は哀しそうではあったが、あくまで静かだった。

為義が顔を上げて義朝を見た。

黙って視線を交わし合う父子を、人々は息を呑んで見守っていた。


「……父上が、させたのです」

先に沈黙を破ったのは義朝だった。

ぽつりとそう呟くと、

「父上が義賢に友切を授けたりしなければ……! 公然と俺に敵対させるような真似をさせなければ討つ必要はなかった。俺に義賢を殺させたのは父上、あなたがそうするよう仕向けたからだ!」

反論されるのを恐れるように声を張り上げた。

「この友切は源氏重代の太刀。代々の源氏の棟梁──一門のうちで最も、力強きものがもつべきものです。だから俺は力で強さでこれを手に入れた。最も相応しいものの手に友切を取り戻すために!」

おおっ! と周囲から賛同の声があがる。


「義朝」

為義が静かに息子の名を呼んだ。

「その通りだ。確かにおまえは強くなった。……我ら源氏の血は常に近しき者の血を求める。その屍を踏みつけてその上に立つことを躊躇わぬものだけが、上に登ることが出来るのだ。その意味では、そなたほど、源氏の棟梁の座に相応しいものはおらぬのかもしれぬな」

低い声がそう告げた瞬間、正清は身震いした。

血の海のなかでたった一人で立ち尽くしている義朝の幻影が頭をよぎったような気がしたのだ。


正清は、居並ぶ郎党たちを掻き分けて側へ行こうとした。

為義は、通清とその家人に命じて首桶を白布に丁寧に包ませて立ち去ろうとしていた。


その背中に向かって義朝が声をかけた。

「俺をあくまで、正式な後継ぎとお認め下さらぬのなら父上もそのようになされれば良い! 弓をとり、太刀をとって、義朝の首を獲れ、義賢の仇を討てと弟らにお命じになればよかろう!! 俺が、源太に命じて義賢を討たせたように!!」


為義は立ちどまった。

しかし、振り返りちょっと微笑んだだけで、何も言い返すことなくまた踵を返して歩き出した。

あとには、友切を手に傲然と立ち尽くす義朝が残された。


「つくづく、腑抜けた御方だ。我が子を殺されて仇討ちを叫ぶことも出来ぬとは」

吐き捨てるように言ったその言葉は、正清にはやけに力なく、途方にくれたように響いた。

幼い頃、正清が所用でそばを離れなければならない時。

「もうよい! 小鷹などどこへでも行け! もう帰ってくるな!!」

そう言って顔を背けたときの。強がりながらも泣くのを我慢している。寂しさをこらえている子どもの声だ。


反抗し、対立しながらも義朝は常に父、為義に認められることを求めていた。

本当は、この場で為義から自分が、次代の河内源氏の棟梁に──為義の後継に相応しいと言って貰いたかったのだ。しかし、為義は黙って背を向けることを選んだ。


「……御曹司」

父の声に正清は、はっと顔をあげた。

気づくと為義は家人たちとともに去ったあとで、その場には通清ひとりが残っていた。


「己の望みのために、御子に弟君を殺させることが、あなたにとっての武士の強さなのですか……?」

通清の声に責める響きはなかった。

ただ、とても寂しそうだった。


義朝は怯んだように唇を噛みしめ、それからそんな自分に苛立ったように通清を睨みつけた。

「ああ、そうだ。俺は父上や義賢のような、摂関家の顔色を伺うことしか出来ぬ腑抜けの、飼いならされた犬とは違う! 武士としての誇り、強さを取り戻し、その頂きに立つ為ならば、その邪魔になるものはそれが何者であろうとも討ち果たすまでだ!!」

通清は静かに目を伏せた。


「我が殿の強さは……お身内を、ご一門を──我ら家臣たちの暮らしを守るためのものにございます。その為ならば、権門の門前に頭を垂れ、走狗のように追い使われることもお厭いにはなられない。御曹司のような、御身の武威を、源氏の強さを天下に響かせようという輝かしいお志とは対照的な……しかし、それは──他者を守るために我が身を粉にし、泥水を被るような殿の生き方は、決して腑抜けてなどいない! 人の守るための忍従は、優しさは決して弱さではない!!」


通清の声がその場に響き渡った。

義朝は食い入るようにその通清の顔をみつめていた。


通清がその場に膝をついた。

「それがしが乳父として申し上げるのはこれが最後です。義朝さまはお強くなられた。もはやこの爺のお役目は終わりました。お暇をいただきとう存じます」


義朝が、視線をさ迷わせた。自分を探している。

早くお側に行かなくては、と人を掻き分けて進もうとしたその時。

通清が立ち上がった。


「いや、まあ三十を超えた髭っ面の男子をつかまえて御曹司も乳父もないものだのう。いささか申し上げるのが遅すぎたわ」

うってかわった明るい声を響かせる。


「しかし、義朝さまもご立派になられた。ご幼少の頃は少しわしの姿が見えぬだけで泣きながら後を追っていらしたものを」

「な、何を言うか! このような場で」

「いやいや。本当のことでございましょう。そのようないたいけな若君がようも雄々しくご成長になられたものよと褒めているのですよ。まあ、これでわしの乳父としての肩の荷も下りました」

 通清が笑うと、あたりにも遠慮がちながら笑い声があがった。

 やはり皆、本音のところでは兄が弟の首実検をし、父がその首を引き取りにくるといった凄惨な場面にそれぞれ、息を詰めていたようだ。

 通清の言葉に、ほっと肩の力をぬくような様子が見られた。


「そこにおったか、正清」

通清がこちらに気づいて手を上げた。

「これからはこの正清が、それがしにかわって身命を賭して御曹司をお守りいたします。何卒、よろしくお願い申し上げます。正清。わしは為義さまのもとへ戻る。おまえは、おまえの信じる道を行け。良いな?」


正清は黙って頭を下げた。

限られた言葉のなかで、父が自分に決別を告げていることが分かった。

義朝が、一門と違う道を選んだその日から為義の側にいる通清との別れが来ることは分っていた。

けれどいざその時になると、親にはぐれた幼子のような心細い気持ちが胸の底から強く湧き上がってくることに正清は狼狽した。


正清は父が好きだった。

朗らかで豪放で。いつもふざけてばかりいるようで、本当に大切なことは相手が誰であれきっぱりと口にすることが出来る。

そんな父が憧れで誇りだった。


武士としての強さ、優しさ。

御曹司の乳母子として、もっとも側に仕える者としての誇りと覚悟。すべて父から教わった。


じっとこちらを見ている息子の目が赤くなっているのを見て、通清はふっと微笑んだ。

通清にとっても正清は大切な息子であった。

武勇にすぐれ、胆力があり、誰よりも忠誠心が厚い自慢の息子だ。

亡き妻ににて生真面目で、融通がきかない不器用なところがあるが、自分にはないそんなところも愛しかった。

為義の一の郎党として、そして義朝の乳父として仕えるなかで世の父の半分ほども、親らしいことをしてやれなかったが、それでも正清は自分を父として立て、尊敬してくれた。

感傷的な思いが湧き上がってくるのを誤魔化すように通清は言った。


「おお、そうだ。近頃は夫婦仲良うしておるのか。あまり泣かせるでないぞ、佳穂を」

周囲から笑い声が起きる。

「父上!」

果たして正清は赤くなって声を荒げた。

「何を言われるのです。このような時に!」

先ほどの義朝とそっくり同じようなことを言う。


「何って、そのままの事ではないか。あちらに帰るにあたって気がかりなのはもはや佳穂のことだけだ。あれはわしが無理やり、京へ連れてきたようなものだからの。それがおまえの浮気で泣かされてばかりおるとなっては申し訳なくて寝覚めが悪いわ」

「父、上!」

「おまえは堅物の朴念仁で、そちらの方では乳母子とはいえ御曹司とは似ても似つかぬと安心しておったのだが親の欲目であったようだのう。あまり大事にせぬようならどうだ、本当にわしが後添いに貰ってやるぞ」

「父上には菊里がおるではないですか」

「それを言うならおまえには何人おるのだ。それ、そこにも何というたか……」

「お帰りになるのではなかったのですか!!」

 正清がぐいっと肩を押す。


「なんだ、親に向かってその態度は」

通清はわざと顔をしかめて、今度は義朝を振り返った。

「御曹司もですぞ。こちらの北の方さまは古今稀に見るよく出来たご婦人でいらっしゃる。ふらふら夜歩きばかりしておらずに、大切になさらねば罰がそのうち罰が当たりますぞ」

「よ、余計なお世話だ!」

「もういいからお帰り下さい!」

 義朝と正清、二人に声を揃えて言われて通清は大仰に首をすくめた。


「分かった分かった。そう邪険にせずとも退散するわ。言いたいことは言わせて貰ったゆえな」

 そう言って通清は義朝を振り返った。


「養い君としてお側にお仕えさせていただいた今日までの日々、楽しゅうございましたぞ。御曹司、では御前失礼いたします」

朗らかに言って頭を下げる。


そのまま、くるりと踵を返して歩き出す。

周囲の人垣が笑いながら道を開ける。

名残惜しそうに何事か話しかける者もいて、通清はその一人一人に楽しげに言葉を返しながら帰って行った。


その背を黙って見送っていた正清は、

「正清」

義朝からかけられた声に、はっと顔を上げた。

「来い。行くぞ」

そうやって義朝から近しく声をかけられたのは、随分と久しぶりのような気がした。

最近の義朝は、三浦や波多野──それに類する武士たちを周囲に従えて、あえて正清とは距離を置くように振舞っていたから。


けれど今、こちらを見ている義朝の目にはいたわるような色合いがあった。

この場にいる者のなかで義朝ひとりが、たった今、正清が実の父と永遠に決別したことw理解してくれていることが分かった。

為義は去り、通清が去った。

けれど自分には義朝がいる。義朝には自分がいる。

これまでも、そしてこれからも。

「は、ただいま」

正清は短く言って、かつて片時も離れることのない自分の居場所であった義朝のかたわらへ控え、まっすぐにあるじをみつめた。


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