骨肉(一)
その年の七月。
長く病の床にあった近衛帝が世を去った。 十七歳という若い帝の崩御の知らせに都は悲しみに包まれた。新しく帝の位についたのは、鳥羽の院の四の宮、雅仁親王だった。これは誰もが予想もしないことだった。
次の帝は新院──崇徳院の皇子、重仁親王がつくものだと思っていた都の人々は、この思いがけない事態にあれこれと噂したり、憶測しあったりした。
最も驚き、無念の思いを噛みしめていたのは崇徳院であった。
騙し討ちのようなかたちで、帝位を腹違いの弟の近衛帝に譲らされた後、心の支えになっていたのは、次こそは重仁親王の御代が来るという希望だった。それが無残にも打ち砕かれたのだ。
しかも、新帝──後白河帝の東宮には、その皇子の守仁親王がたてられることが早々と決まった。 崇徳院の血筋は、永久に帝統から締め出されることになってしまったのだ。
崇徳院の御心に、強い憤りと恨みが沸き上がってきた。
同じ頃。大炊御門高倉にある邸では、左大臣藤原頼長が不満を燻ぶらせていた。
近衛帝が崩御したとき、頼長はちょうど妻の喪中であった。「穢れ」を忌み嫌う現代では喪中のものは宮中に出入りすることが出来ない。
次代の帝を決めるという重要な会議に、頼長は出席することが出来なかった。
蓋を開けてみれば、帝位についたのはそれまで誰もが顧みることのなかった雅仁親王だった。
重仁親王が即位するものだとばかり思っていた公卿たちは大騒ぎで、それまで新院の御所に機嫌伺いに参上していたものたちが、雪崩をうつように雅仁親王の乳母の夫である信西入道の邸へと押しかけているという。
「世の常とはいえ、あさましいものだな。しかし今様狂いと評判の四の宮がよもや帝位につかれるとは……」
頼長は苦々しげに言って漢籍の本を開いた。
愚かな君主が頂きに立つ世でこそ、自分のような学識深く、清冽な心をもった者が貴族たちの長として必要とされるのだと思った。
(これまで以上に、気を引き締めて厳格に政に当たらなくては……)
そこへ思いがけない知らせが飛び込んできた。
先帝の死は何者かの呪詛によるものであり、それが頼長の仕業だという風聞が立っているというのだ。
父、忠実の代から仕えている源氏の棟梁、源為義からの報告を受けた頼長は愕然とした。
「馬鹿な! なにゆえ私が先の帝を呪詛しなければならぬのだ!」
「帝は、ご生母の美福門院さまや関白忠通さまの言われるままになって、皇后さまを遠ざけられ、中宮さまばかりを重んじになっておられました。それをお恨みに思って、帝のご治世を縮めようとした、と」
確かに近衛帝は、兄、忠通の養女である中宮呈子ばかりを重んじて、頼長の養女である皇后多子のことをあまり顧みようとはしなかった。 それを不満に思っていたのは事実である。
「しかし、呪詛など……この私がそのような卑劣な真似をするはずがないではないか!」
すぐにも弁明に赴こうとした頼長であったが、鳥羽の院からは体調が優れぬので目通りはかなわぬ、といわれて断られてしまった。その後、何度掛け合おうとしてもかえってくる返事は同じであった。
避けられていることは明白である。
「いったい、誰がそのような讒言を……」
頼長の脳裏に、兄忠通の得意げな顔が浮かんできた。頼長は扇を持つ手にぐっと力を籠め、それを力まかせに脇息に叩きつけた。
一方、東国。武蔵の国。大蔵館。
夜半。源義賢は、その日都から届いた文に灯あかりの下で目を落としていた。
薄緑色の薄様に、見事な筆跡で書かれたその文は左大臣頼長からのものだった。
文に焚き染められた香のかおりが義賢に都での華やかな日々を思い起こさせた。
義賢は、頼長の「お気に入り」であった。 頼長に伴われていった宴の華やぎ、楽の音、都の風物の美しさを思い出して義賢は深く吐息をついた。
二年前。父・為義の命令で都を離れ、この武蔵の国の豪族、秩父重隆の婿となってここで暮らすようになって以来、それらはすべて遠い過去のものとなってしまった。
そのはずだった。
(しかし、そうではなかったようだ)
文を読み返しながら義賢は微笑んだ。
頼長からの文は、義賢に都に戻って来るようにと促すものだった。
御代が替わり、新帝の側では頼長と敵対していた兄の忠通が力を伸ばしており、頼長はそれに不満を抱いているようだ。
信頼する義賢に戻ってきて以前のように側近として仕えて欲しいという気持ちが、熱心に綴られていた。
(左大臣さまは、まだ俺を必要として下さっている)
義賢は得意に思った。
先ごろ、兄の義朝は鳥羽院の御所に足繁く出入りしてその警護を許されているらしいが、それはあくまで番犬がわりの武士の一人に過ぎない。
左大臣という高位にある人からこのように熱のこもった直筆の文を送られている自分とは比べものにもならないであろう。
(だいたい、父上も父上だ。義朝兄上が下野守に任じられたくらいで血相を変えて俺を東国へ下らせたりして。俺を次代の棟梁として東国の武士たちに認めさせたいという気持ちはありがたいが、そもそも俺には田舎暮らしなど向いていないんだ。こんなことは頼賢か為宗あたりにやらせておけばいいんだよ)
しかし、「武士の棟梁となる以上、坂東での地固めは不可欠だ」などともっともらしく言っていた父も、ことが頼長直々の命令となれば義賢を呼び戻さないわけにはいかないだろう。
義賢は満足そうに微笑むと、返事をしたためるために文箱の蓋を開けた。




