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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第四章 動乱前夜
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撫子(二)

秋が深まってきた。

九月に入ると途端に朝夕の風が冷たさを増してきた。


私は家中の調度類の模様替えをした。

几帳の垂れ布や御簾の飾り紐などの色合いを、今までの二藍(ふたあい)と青を基調としたものから、朽葉や黄の色を基調にしたものにとりかえて、気持ちだけでも温かさを感じられるような部屋にした。

そろそろ新年の支度のことも考え始めなければならない。

 

正清さまのお支度だけではない。

夫に仕えてくれている従者、厩番やその家族などの食べるもの、着るもの、住む場所などの心配をして、色々と世話を焼くのも私の役目だった。


まあ、そのあたりは万事心得ている槇野が、口も出したい放題出しながらも何くれとなく手伝ってくれるのでさしたる問題はないのだけれど。

今年の秋は野分(のわき)(台風)も多かった。


世間ではそれを帝の御病がなかなか快方に向かわれないことに結びつけて、世の乱れる前触れのように憂う人もいるようだったけれど、私はそれよりも現実的な、日々の雑事に忙しかった。

なにしろ、先日の野分で下人たちの起居している小屋の屋根は飛ばされてしまうし、せっかく植えてあった秋の草花は根こそぎ倒されてしまうし。


『源氏物語』のなかには、野分の翌朝、紫の上が御殿の端近に出て風で乱れた庭の様子に心を痛めているところを、偶然垣間見た夕霧の中将が、紫の上の『曙の霞の間より、樺桜が咲き乱れたる』ような美しさに心奪われるという場面があるのだけれど。


私にはそんな風に物思いに耽るような暇はなかった。

端近に出てぼうっとしていたところで見惚れてくれる人がいるわけでもないし。


模様替えをひと段落させて、さて夕餉の支度にでもかかろうかとしたとき。


「御方さま。お客さまでいらっしゃいます」

新参の侍女の若菜が遠慮がちに声をかけてきた。


「お客様?どなたかしら」 

私が首を傾げると、彼女はおずおずと答えた。

「三条のお邸の女房どので、千夏さまとか」


しばらくして案内されてきた千夏は私を見ると大袈裟に眉をあげてみせた。


「なんだ、元気そうじゃないの。心配して損しちゃった」

「何よ、それ。元気で悪いみたいに」

私の文句に構わず千夏は、若菜の作った席にさっさと腰を下ろした。


「だって佳穂ったら、もう十日以上もあちらに顔を見せないじゃないの。何かあったんじゃないかって御方さまもご心配なさってるのよ」

そう言って、手にした布包みをずいっと押し出す。


「これ。御方さまからのお見舞いの品。内親王さまからの御下賜の唐菓子だそうよ」

「まあ、もったいない」

私は恐縮して、その包みを両手で押し戴くようにして受け取った。

 

「でも、浅茅さまの方には家の方がちょっと立て込んでいるのでしばらく参上出来ませんってちゃんと言づてをお願いしておいたはずだけれど」

部屋の外に控えていた若菜を呼んで菓子の包みを渡し、高坏に盛り付けてくるように言いつける。


その足音が遠ざかるのを待って、千夏が身を乗り出した。


「そうは言っても、この間、野分で家の屋根が吹き飛ばされても呑気な顔でやってきていた佳穂が、十日も家を空けられない立て込んだ事情っていったい何なのかって心配になるじゃないの。なあに? 今度はいったい誰にヤキモチを妬かれて閉じ込められてたの?」

抑えきれない好奇心で目がきらきらと輝いている。私は千夏の額を軽くつついた。


「残念でした。今回はそういうのじゃないの」

言いながら、ある意味、そちらの方が随分とましだった、という思いがちらりと脳裏を過ぎる。


「じゃあ、何がそんなに忙しいのよ。見たところ普通に呑気にしているみたいだけど。そんなんだったら、明日にでも一度顔を見せなさいよ。御方さまも、若君がたも寂しがっていらっしゃるわよ」


「もったいないこと」

 私は心から言った。

 千夏に言われるまでもなく、あちらへ参上したいのは山々なのだけれど、今はそうもいかない事情があるのだ。忙しいというのとはちょっと違うのだけれど。


その時。


とてとて、とどこか覚束ない足音が近づいてくるのが聞こえた。

千夏が振り向くのとほとんど同時に、「それ」は室内に駆け込んできた。


朽葉色の濃淡でまとめた秋の室内に、花やかな春の色彩がこぼれる。

季節外れの桜襲(さくらがさね)(あこめ)を着た少女は、私を見るとたちまち小さな顔を綻ばせて、頼りなげな足取りで、とことこと駆け寄ってきた。


「かあしゃま!」

六条のお邸の天王さまよりもまだずっと小さなからだを、私は柔らかなその着物ごと抱きとめた。

小さな子特有の甘酸っぱいような匂いが鼻をくすぐる。


「まあ、姫。お昼寝していたのではなかったの?」

「うん。かえでとおひるね、してたの。おっきして、かあしゃまのとこにきたのよ」

「まあそう。いい子ね」


三つ半になるのだというその子を膝に抱き上げながらふと目をやると。

千夏が、それでなくとも大きな瞳をこぼれそうなほどに見張ってこちらをみつめていた。


十日前の私もあんな顔で、正清さまを見ていたのかもしれない。

そんなことを思いながら、私はまたふうっと溜息をついた。


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