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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第四章 動乱前夜
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決裂 (一)

仁平三年(1153年)

明けて間もなく、ひとつの知らせが都の内を騒がした。


それは平氏の棟梁、平忠盛さまがお亡くなりになられたとの報だった。

新しき棟梁には、ご嫡男の安芸守、清盛さまがたたれた。


以前から、清盛さまのことを何かにつけ意識され、対抗心を燃やしておられた義朝さまのこと。

さぞかし大騒ぎをなさるのでは、というのが三条坊門のお邸に仕える女房たちの予想だったのだけれど、実際のところは邸内には目立って何の動きもなかった。


そもそも、昨年の暮れから義朝さまはほとんど三条のお邸にお姿を見せられることがなくなっていた。


霜月のはじめに、由良の方さまが無事、義朝さまには五郎君となられる健やかな若君をご出産なされた当初は、


「でかしたぞ、由良。鬼武者には初めての同腹の兄弟じゃ。いずれ源氏を背負って立つ兄の力になれるよう強き男子に育てよ」


と大層なお喜びようで、その後しばらくはこちらへお留まりになっておられたのだけれど、暮れが近づいたあたりから、めっきり足が遠のかれるようになった。

今年はといえば、御方さまが正室のつとめとしてご用意なされた新年のご衣裳を取りに元旦の日におみえになったきり。

それきりぱったりと足が途絶えてしまわれていた。

御方さまは何もおっしゃられない。


お生まれになられたばかりの竜王丸たつおうまると名づけられた若君のお世話をされながら、以前と変らず鬼武者さまの手習いや笛のお稽古を見て差し上げるなど、端からみると、むしろ幸福で満ち足りた日々を送っていらっしゃるようにさえ見える。


けれど、そのお心の奥深くにやるせない悲しみを隠していらっしゃることを側仕えのもののなかで知らないものはいなかった。


義朝さまのご愛妾、常盤御前。

宮中で中宮呈子さま付きの雑仕女としてお仕えになっておられたその方は、今はお勤めを退いて、七条あたりに義朝さまが用意させた館に住まうておられるらしい。

夏には御子がお生まれになられるとのことだった。


その夏も過ぎ、八月になった。


平氏の棟梁が改まられたのと同様に、こちらの源氏の御家にも容易ならざる変化があった。


義朝さまが、従五位の下、下野守の位に任ぜられたのだ。

これは青天の霹靂ともいっていい驚きと喜びをご当家にもたらした。


河内源氏の御家からの受領就任は、八幡太郎義家公のご嫡男であられた源義親公以来、五十年ぶりの慶事であった。

これにより義朝さまは、検非違使であられるお父上、為義さまの官位を遥かに凌駕されることとなった。


由良の方さまのご実家の後ろ盾。

そして、御方さまご自身が鳥羽院の皇女であられる統子内親王さまにお側近くお仕えし、ご信頼を賜っておられるご縁もあって。


源氏の粗野さを忌避され、平氏ばかりをご重用になっておられた鳥羽の院も、義朝さまには少しずつお心をかけてくださるようになった。


朝廷の威の及びにくい東国に強大な支持基盤を持っておられる、ということも院のお目には頼もしく映られたらしい。


相変わらず威勢も盛んな寺社勢力に対抗する力の一翼として、義朝さまはかねてよりの念願であられた鳥羽院の御所への近しい出入りを許される御身となられたのだが。

それは、藤原摂関家…とりわけ、かねてより為義さまが近しくお仕えしてこられた左大臣頼長さまと対立することを示していた。



そんなある日。

「佳穂はおるか」

ふいに四条の邸に通清義父上が尋ねてこられた。

その日は、朝から部屋で縫い物をしていた私は慌てて針をおいて頭を下げた。

「まあ、義父上。おひさしゅうございます」

  

昨年のあの紗枝どのの一件を発端に起こった一連の騒動のあと、義父上と正清さまはこれまでにないほどの父子喧嘩をなされ。

(怒っておられたのは主に正清さまで義父上は、のほほんとそれを聞き流しておられたけれど)


それ以来、義父上が坊門のお邸やこちらを尋ねてこられることも絶えてなくなっていたのだ。

もちろん、私の側から六条のお邸に出向くことはとても厳しく禁じられている。


それどころか、あれから半月ほどは

「体調が優れませぬゆえ」

という理由をつけさせられて、坊門の邸はおろか、家からほとんど出して貰えなかったほどなのだ。


私は急いで縫いかけの着物を片付けて義父上のお席をつくった。


小さな二藍の単衣を見て、義父上が軽く眉をあげられた。

「なんだ。随分と可愛らしい仕立物ではないか。正清が他所で子でも作ったか」

「違います」

私は憮然とした。


「三条のお邸の若君がたの夏のお支度ですわ。こちらのお色の少し濃いのが鬼武者さま。こちらの淡い色のが竜王丸さまのものでございます」

「成る程。佳穂は相変わらず働きものじゃのう。感心なことだ」


満足げに頷きながら、私が差し出した白湯と、唐菓子のお皿を乗せた御膳を引き寄せられる義父上に私は尋ねた。


「それで、今日はいったいどのようなご用向きでいらっしゃいますか?」


「愛想のない言い草じゃのう。用がなくては来てはいかんのか」

「そんなことはありませんけれど…殿がお帰りになられたら、また嫌なお顔をなさいますもの」


「なんだ、あれはまだあのことを根に持っておるのか。昨年の話ではないか」


「義父上がお悪いのですよ。あんな悪ふざけをなさって」

私は溜息をついた。


あの日、正清さまが日頃では考えられないほど強引に六条堀河のお邸から私を連れ帰られたのは、義父上がこともあろうか頼賢さまが私に懸想していらっしゃるなどという出鱈目を仰ったせいだということを、後日私は菊里さんから聞いて知った。


あの後、六条のお邸の口さがない女房たちの間では、正清さまが私を他の殿方の目に触れさせるのが嫌なあまり宴の席に乱入して無理やりに連れ帰ったという噂が広まってしまい。


それがどこをどう伝わったものか、こちらのお邸の方にまで流れてきてしまったものだから、義朝さまや朋輩がたにさんざん冷やかされた正清さまはもう大変なお気鬱ぶりで、その反動で一時は私にさんざん当たり散らしてもう大変な有様だったのだ。



「最近になってようやっと、それについてのお小言が出なくなってきたところなのです。また、元に戻られたら困ります」


「小言とは何だ?あれに関しては佳穂を叱ることなど何もないではないか」


「殿はそうお思いではないのです。こちらに戻ったその日から、

『そもそもそなたが考えなしだからだ』だの『勝手に出歩くなと何度申したら分かるのだ』だの。この馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿と何度言われたか分かりませぬ。試しに一度数えてみたら一日で三十四回も馬鹿と仰られた日がございました」


「成る程」

義父上は渋いお顔をなさった。


「話が長くてくどい挙句に、何度も何度も同じところをまわるのであろう。やれやれ、やっと終ったかと思うとまた最初に戻る。あれの母親がそうであった。あれは鬱陶しいものじゃのう」


私は思わず頷いた。

「本当にございます。しかも、その長い長ーいお話の間、ちょっとでもよそ事を考えているそぶりを見せようものなら……」


「『聞いていらっしゃるのですか!』とこうであろう?『聞いておられたのなら、今私がなんと申し上げたか言ってみて下さいませ』とこうであろう」


「その通りでございます。それでまた、そういう時に限ってそこのところを聞き逃していたりして」


「『聞け聞け』というわりにはそう大した内容も話しておらぬくせにな。そんなに訴えたいことならば紙にでも書いて置いておけというのだ。そうすれば後で何度でも読み返してやるゆえ」

「本当に」


力を込めて相づちを打ちかけて私ははたと気がついた。

いけない。

愚痴を聞いていただいてすっきりしている場合ではないのだったわ。

 

「ともかく殿はいまだ、あの日のこととなるととてもご機嫌が悪くおなりなのです。私が邸に戻ってしばらくなどは、今度、義父上から何か言ってきたら石を投げてでも追い返せと仰っていたくらいなのですから」


義父上は眉をしかめられた。


「なんという不孝者だ。まったく主従揃って父をなんだと思っておるのか…」

「だから義父上がお悪いのですよ。そもそもいったいなんだってあんな出鱈目を正清さまに仰ったのですか?」


「出鱈目ではないではないか。頼賢さまがなんのかんのとそなたにちょっかいを出しておったのは事実であろう」

「ですからそれは社交辞令の一環で……」


その時、門の方がざわざわと騒がしくなった。

簀子縁で控えていた楓が、

「殿のお戻りにございます」

と告げる。

 

私は飛び上がった。

「まあ、このような昼日中に急に戻られるなど珍しいこと。ここしばらく宿直が続いておられましたのに」


「宿直というのは例の紗枝とかいう女子のもとでか」

「違います! 義朝さまがこのところ、七条に常居なさっておいでなものですからそちらへお供されることが多いだけでございます!」


「さてはそちらの邸にも馴染みの侍女の一人か二人はおるな」


「要らぬお世話にございます!まったく誰も彼も似たようなことを」

にやにやしながら、あごを撫でていらっしゃる義父上のお袖を私は乱暴に引っ張った。


「そんなことより早くお帰りになって下さいませ。鉢合わせなさらないように裏口から」

「それが舅に対する態度か。それより誰も彼もとはどういうことだ」


「浅茅さまや千夏です。殿が義朝さまのお供と称して七条のお邸に行ったっきりなのはあちらにもよい人がおられるからに違いないとか、洛中一の美女の呼び声も高い常盤御前のお側付きともなれば、侍女の方々も粒ぞろいの美女ばかりに違いないだとか。浅茅さまなんて、『夫君をそちらに奪われるのが嫌なら、あなたの才覚で鎌田殿を説得なさって義朝さまの足をこちらへ向けるようになさい』と、仰るんですよ。ひどいと思われません?」


そうこうしているうちに、いよいよ足音が渡殿の方まで近づいてきた。

私は力まかせに義父上のお背中を押した。


「そんなことはどうでもよろしいですから、早くお帰りになって下さいませ」

「分かった。分かったからそう押すな、危ない」


「何をしている」

背後から聞きなれたお声がした。


振り向くと、部屋の戸口のところに正清さまが憮然としたご様子で立っていらっしゃった。

私は慌ててそちらへ向き直り跪いた。


「おかえりなさいませ。お出迎えもいたしませず申し訳ございませぬ」


正清さまは無言で室内に入ってこられると、義父上をじっとご覧になった。

義父上も何も仰られない。

ただ、あるかなきかの曖昧な笑みを浮かべて正清さまに対峙しておられる。


義父上が微笑んででおられるのにも関わらず、場には冷ややかなはりつめた空気が流れはじめていた。

先に口を開かれたのは正清さまだった。


「……今更、何の御用です」

「分かっておるのだろう」

「……」

「次郎君の御事についてだ」


次郎君、ということは、義朝さまの次兄、義賢さまのことよね。

とりあえず几帳を動かしたり、円座を敷いたりしてお二人の席を作りながら、私は以前、宴席でちらりと見たきりの義賢さまの色の白い、端正な面差しを思い出していた。


義父上と正清さまが黙ったまま、向き合って腰を下ろされるのを見て、何か果物でも差し上げようかしら、それともお酒の方がいいのかしらと思案しながら退出しようとした刹那。


「佳穂」

正清さまが私の名を呼ばれた。


「はい」

「何もいらぬ。少し、父と話がある。誰も部屋には近づけぬように」

「はい」


その常ならぬご様子に気圧されながら私は頷いた。

四方の襖と妻戸を閉め、几帳をたてると私は静かに部屋を出た。


その間、お二人はひと言もお口をきかれなかった。


私は楓を呼び、人払いの旨を言いつけると、自分は部屋から少し離れた濡れ縁に腰を下ろした。

ここなら誰かが渡殿を渡ってお部屋に近づこうとしたら、いち早く気がつける。


お部屋のなかの声は低く、どのような気配も伝って来なかった。


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