戸惑い(二)
「そもそも、頼賢さまがあの人に言い寄られたというのは本当なの?」
「えっ!!」
ふいにそのお名前が出て、私は咄嗟に変な声を出してしまった。
車座になっていた女房どのたちの視線が集まる。
私は慌てて愛想笑いを浮かべた。
「どうなさったの、佳穂さん?」
萩乃の君という私と同い年くらいの女房どのが問いかけてくる。
「い、いえ。ちょっと針を指に刺してしまって。お騒がせしてすみません……」
そのまま、手元に視線を落として縫い物に戻ろうとしたのだけれど。
「ねえねえ。佳穂さんって鎌田さまのところのご子息のご内室なのでしょう?」
一人が身を乗り出すようにして尋ねてきた。
「え、ええ。まあ……」
曖昧に頷いたのを境に。
「まあ、では正清どのの?」
「随分とお若いのねえ。お年はいくつ?」
「今はどちらにいらっしゃるの?」
口々に質問を投げかけてくる彼女たちに、私はあっと言う間に取り囲まれ、車座の一員にされてしまった。
どうやら、新参者に興味を持っていて、話しかける機会を伺っていてくれたらしい。
私が一通り質問に答えると、中の一人が顔を寄せるようにして聞いてきた。
「正清どののご内室ならば、義朝御曹司に間近で拝謁したことはあって?」
目がきらきらと期待に輝いている。
「昔物語の絵巻にでも出てきそうな大層な美男でいらっしゃるという評判だけれど本当?」
どうやらこれを聞きたくて、私を話に引き入れたかったらしい。
「え、ええ。それはまあ、大層にお美しくていらっしゃいますけど……」
「まあ、やっぱり!」
女房たちは急に騒がしくなった。
「一度、よそながらちらりとお姿を拝見して、そうじゃないかと思っていたのよねえ」
「そうそう。お背も高くてすらりとしていらして」
「馬上のお姿がまた凛々しくていらっしゃるのよねえ」
「ねえ、義朝さまはどんな御方でいらっしゃるの?やっぱりお強くて頼もしい、素敵な方なのかしらっ?」
「ええ、まあ…それはもう、凛々しくて、素敵な方で……」
「やっぱりねえ!!」
私の答えなどろくすっぽ聞かないで、女房たちは勝手に盛り上がっている。
どうやらこちらのお邸とは疎遠にしていらっしゃることで余計に、義朝さまの美男でいらっしゃるという噂が女房たちの間に広まって、憧れを掻き立てているらしかった。
ひとしきり、彼女たちの騒ぎがおさまってから私はおずおずと尋ねてみた。
「あの、先ほど、頼賢さまのお名前が出ていたようだったけれど……」
「え?」
女房たちの視線が集まる。
私は赤くなって、慌てて手を振った。
「いえ、あの、この間、義父のもとで偶然お目にかかる機会があったものですから。頼賢さまも皆様の間で、やっぱり人気がおありになるのかな、って思って……」
(なあんだ)
というように女房たちは頷きあってみせた。
「ええ。人気があるといえばあるわよ。なんといっても主家の独身の御曹司じゃない? お邸勤めの女房にしてみれば無関心ではいられないわ。いつ何時、お目にとまってお側女のひとりになれるとも限らないものね」
「成る程……」
私は頷いた。
三条坊門のお邸には、現在、独身の御曹司といえば五歳になられる鬼武者さましかいらっしゃらない。
独り身でお若い御曹司のいらっしゃるお邸というのは、こういった盛り上がり方をするのか、と妙に感心させられた。
(ここにいたら千夏あたり、ここぞとばかりに張り切りそうよね……)
「でも。一番人気がおありになるのはなんといっても義賢さまよ!」
「義賢さま……」
確か義朝さまのすぐ下の、次男の君であられたかしら。
「ええ。これが同じ血を引くご兄弟かというくらいお一人だけ毛色が違う、というのも失礼だけれど、色も白くて面差しもお優しくて、物腰も優雅で……。まるで『源氏物語』に出てくる貴公子さまのような……」
「まあ、源氏物語」
私は目を瞠った。
「ええ。それはもう。東の対屋つきの女房たちの間では、誰が御膳を差し上げて、誰がお召し替えの介添えをするか、毎朝くじ引きが行われるほどの騒ぎだそうよ」
女房たちは、そういった騒ぎには加われないことをいかにも口惜しそうだった。
「くじ引きねえ……」
呆れるやら感心するやらの私をよそに女房たちの噂話は賑やかに続いた。
「頼賢さまも悪くはないわよね。義賢さまとは感じが違うけれど、いかにも武門の御曹司らしいというか、溌剌とした、凛々しい若武者ぶりでいらして……」
「そうそう。あれでなかなか崇拝者がいるのよ」
「小左京の君だってあれでしょ?言い寄られたなんて言いふらしてるけど逆でしょ。ご本人が頼賢の君にのぼせてるんでしょ」
「小左京の君?」
聞きなれない名前に私は首を傾げた。
もともとはその話題で盛り上がっていたらしい女房たちは、たちまちもの凄い勢いでそれについて話し始めた。
どうやら、小左京の君というのはこのお邸の東の対屋に仕えている女房どのらしくて、自他ともに認めるなかなかに美しい人らしい。
けれど、それを鼻にかけるような振る舞いも多いので朋輩たちの間の評判は芳しくないらしくて……。
「この間だって、ね?」
「そう」
女房たちは目混ぜをして、忙しく頷きあった。
「寝殿で騎射の儀が行われた時のことよ。あの方ったら、ちょっとお言葉をかけられただけで頼賢の君が自分に懸想していらっしゃるなんて言い触らして。文でも貰ったのかと聞いてやれば、なんのことはない。
二人になった拍子に軽く手を握られて、『今日の衣装も美しいな』と言われただけだと言うじゃない。呆れたわ。そんなの社交辞令のひとつじゃない。ねえ?」
「そうよそうよ。しかも、それだけじゃないわよ。その後の宴の最中、何度も義賢の君までもが自分に目配せをして、秋波を送って見せた、なんて言ってるのよ。自意識過剰もいいところよ!」
「あれはもう病気ね。あの人、あんな風に自慢ばかりしているわりにここ数年決まったお相手がいるわけでもないでしょう。欲求不満なのよ」
「よっきゅうふまん……?」
「そう!しばらく男日照りが続いてると、あんな風にどの殿方を見ても自分に気があって言い寄ってきてるように見えちゃうのねえ、怖い怖い」
「ああはなりなくないわよねえ」
「『おとこひでり』……って何ですの?」
次々と飛び出してくる聞いたことのない言葉に、私はついてゆけずに聞き返した。
女房たちは、けらけらと笑った。
「『男日照り』で『欲求不満』というのはですね。殿方がとご縁のない日々が長らく続いた結果、かかってしまう病気みたいなものですわね」
「そう。殿方とみれば誰にでも尻尾を振って愛想を振りまいて。それで相手が少しでも応える素振りを見せたら最後、自分に恋焦がれていると思い込んでしまう可哀想な症状のことですわ」
「しっぽ……」
気圧されて黙り込んでしまった私の背中を、なかでも年嵩の女房どのがばんばんと叩いた。
「どちらにしても佳穂さまのような若奥さまには縁のないお話です」
「そうそう。こんな話をご秘蔵の奥方さまに吹き込んだなどと知れたら、私たちが夫君に叱られてしまいますわね」
女房たちがわっと笑い、私も慌ててそれに合わせて笑顔をつくった。
 




