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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第三章 確執
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夕暮れ(一)

(どうしよう…ものすごく、気まずいんですけど……)


私をなんの躊躇もなく置き去りにして下さった義父上と、その時のどさくさに紛れてこの場を立ち去らなかった自分の迂闊さを恨みながら。

私は俯きながら、その場に控えていた。


バンッ!!

激しい音に私は身を竦めた。


驚いて顔を上げると、頼賢さまが膝をついた姿勢のまま、傍らの欄干を殴りつけたところだった。

力まかせに打ち付けた拍子に、金具で引っ掛けでもしたのか、手の甲の端が切れて血が滴っている。

私は思わず立ち上がった。

簀子縁に出るとそこに膝をつく。

 

「あの……」

恐る恐るお声をかけると、頼賢さまはその時になって初めて、私がそこにいることにお気がつかれたらしかった。


「おまえ……」

私は深く頭を下げた。


「何をしている。父に殴られた馬鹿息子の顔がそんなに珍しいか」

嘲るように言われるそのお声には、私に向けてというよりも、ご自身を嘲笑っているような響きが強く含まれていた。


私は急いで首を横に振った。

「いえ……その、御手が……」

「手?」

私の言葉に頼賢さまは視線を落とした。

手の甲の傷を見て、ふっ、と口元を歪められた。


「……まったくざまはないな」


私は黙って懐から布を取り出した。


「なんだ、それは」

「その、さしあたっての手当にはございますが、血止めだけでも」

「要らぬ」

頼賢さまは、不機嫌そうに私を睨まれた。


「子供ではあるまいし。これくらい放っておけば治る」

「でも……」

「煩い。こんなかすり傷ごときで大袈裟にそんなものを巻いていれば、それこそ物笑いの種だ」

私より確か五つの御年上だという頼賢さまは今年、二十三になられるはずだったが。

そんな風に言い張られるお顔は、御年五つの鶴若君とそう大差なかった。


長兄の義朝さまといい、駄々っ子なのはお血筋でいらっしゃるのかしら。


(そうでございますか)

とでも言って立ち去ってしまおうかとも思ったが。

頼賢さまの、手の傷とはまた別の痛みを堪えるような、苦しげな表情が気にかかって私はおずおずと口を開いた。

 

「畏れながら」

「何だ?」

「掠り傷と軽く見て放っておいて、そこから悪い風邪など入るようなことがあれば大変でございます。あの……僭越なことを申し上げているのは承知のうえなのですが。私などで、よろしければ、手当をさせていただけないでしょうか?」


頼賢さまはちょっと驚いたように眉をあげられた。

そのまま、しばらく私の顔をじっとご覧になると。


「好きにせよ」

放り出すように、短く言われた。


私は奥から小さな木桶を借りてきた。

井戸端にいって、そこに水を汲んで満たす。

桶と、分けて貰ってきた綺麗な白布を抱えて戻ると、頼賢さまは呆れたように私をご覧になった。


「本当に戻ってきた」

「え?」

私が首を傾げると

「手当の道具を取りにゆくという口実をつけて、逃げていったのかと思っていた」

と仰って、ははは、と声をたてて笑われた。


私はほっと肩の力を抜いた。

お怪我をなさっておられるのを放っておけなかったとはいえ、義朝さまや正清さまにあからさまな反感を抱いていらっしゃることが分かっている方のお側近くに、一人きりでいるのは少し怖かったのだ。


「少しはそうしようかとも思いましたけれど」

 冷たい水に浸した白布を御手の傷口に当てて、そうっと拭いながら私は言った。

「なぜ、そうしなかった?」

 私はちょっと考えて、お返事した。

「よく分かりません」


「おかしなやつだ」

「え?」

「いや。佳穂とかいったな」

「はい」

「そなたは優しい女子だな」


まっすぐにこちらを見ながら率直に言われて、私は手にした白布を取り落としそうになった。


「い、いえ。滅相もない……」

慌てた拍子に傷口のうえを強く抑えてしまったらしい。

「っつ……!」

頼賢さまがお顔をしかめられる。

「あ。申し訳ございません!」

「いや。大事ない」


その後、血止めの軟膏を縫って、傷口のうえを細く裂いた布で覆って縛っている間も、頼賢さまは、じっとこちらに視線をあてたままだった。


為義さまに打たれた箇所を冷やす為に、井戸水で濡らした布を差し出した時も、てっきり受け取ってご自身で頬に当てられるのかと思いきや、当然のようにこちらに頬を向けられたので、


「ご、ご無礼致します」

と、お声をかけて、私が持ったままの白布を頬の赤くなっているところにお当てしているのだけれど。


(妙に緊張する……)

出来るだけ距離をとろうとはしているのだけれど。


そうすると、腕を精一杯まっすぐに伸ばすことになり、袖がずり下がってきて、肘のあたりまで腕が(あらわ)になりそうになってしまう。

それもはしたないので、仕方なくお側に寄りお顔に布を当てて差し上げている。


頼賢さまは傷が痛まれるのか、目を閉じてじっと黙っていらっしゃるけれど。

ふと身じろぎした拍子などに膝と膝が触れたりして、その度にいちいち頬が熱くなってくるのを感じる。


私は正清さま以外の殿方のお側にいるという状況に慣れていなかった。

先ほど、不意打ちのように

「優しいな」

などと褒め言葉をかけられたことも、それに拍車をかけていた。


布を冷たいものに替えようと一度手を離したとき、頼賢さまが目を開けられた。

至近距離で視線があって、ますます頬が熱くなる。


「どうした?」

「い、いえ……ちょっと布を冷たいものに取り替えようかと…」


私はあたふたとお側を離れて木桶のなかに布を浸した。

「水が温くなって参ったようですので、新しいものを汲み直して参りますわね」

わざとらしい朗らかさで言って、立ち上がったのだが。


「ならば俺もともに行こう」

と言うなり、頼賢さまに木桶を取り上げられてしまう。


「いえ、そんな!御曹司にそのような事をしていただくわけには……」

「それを言うたら、俺だとて当家重代の家臣の北の方さまにそんな水仕女のようなことをしていただくわけにはゆかぬ。そもそも、そなたはこちらの女房でもなんでもないのだからな」


冗談めかした口調で言いながら頼賢さまは、取り戻そうと伸ばした私の手から届かないところに桶を差し上げてみせた。

困ったけれど、むきになって拒み通すようなことでもない。

私は仕方なく、頼賢さまの後ろについて井戸へと向かった。


釣瓶を取り上げようとすると、

「そんな小さな手で。見ておれぬわ」

と、横からそれも奪われてしまった。


「いえ。日頃からしておることですので…」

さすがに恐縮していうと、

「俺の妻であれば、扇よりも重いものなど持たせはせぬのにな」

悪戯っぽく笑いながら顔を覗きこまれて、私はまた真っ赤になった。


「お戯れを」

まったく、こちらのお家の御曹司がたときたら。

女子とみれば片っ端から口説いてみよ、という家訓でもおありになるのかしら。


からかわれているのを感じて少しむっとしたのをお察しになられたらしい。

「怒るな。可愛い顔が台無しだぞ」

また頼賢さまが言われる。


「どうせ台無しな顔でございます」

つんとして言って、少し強引に木桶を自分の手元に取り返すと。


「そんなに怒るなと申すに。良いからかしてみよ。俺に出来ることといえば、こんなことくらいだからな」

冗談めかしたなかにも、深刻な自嘲の響きがお声に混じっていて。

私は思わず、頼賢さまのお顔を見た。


「義朝の兄上の所業に異を唱え。父上のなさることを歯がゆく思いこそすれ……。だからといって自分が一門の為に何が出来ているのかと問われれば、返せる答えは何もない。父上の仰る通り、俺などが一門の大事に口を挟む資格などないのかもしれぬな……」

「そのような……」


思わず否定しかけたものの、事があまりに重要で、私の立場などで介在していいはずもないことだったので。

それ以上は続けられず、私は黙って俯いた。


「本当は分かっておるのだ。父上が一番頼りにし、誇りに思うておるのが誰なのかという事くらい。あの人はいつも、一門のなかで特別だった。我ら兄弟のなかで一人、異質な光を放っておられた。それゆえ、孤立し、理解されずに、一族のなかからはぐれたような立ち位置に立っておられるが……。家臣たちの誰もが、声には出さず、その実、切ないほどの強さで願っておるのを知っている。あの方が……あのお方こそが、跡継ぎとして大殿のお側にあってくれたら、次代の棟梁として自分たちを導いていってくれたら……、他の息子たち全員をかき集めて、引っくくっても、あの御方のかわりにはなれぬと……。そう思うておることを……」


私は声もなく立ち尽くした。

頼賢さまの仰る『あのお方』……義朝さまの精悍なお顔が脳裏に浮んだ。


頼賢さまは私に構わず続けられた。

「そして、他ならぬ父、為義が誰よりも強くそう願うておることを……俺は知っている。が、駄目だ。義朝の兄上では駄目なのだ。あの兄が、ご自身のお心を枉げ、父上のお志に添われる日など決して来ぬ。あの人が、父上の誇らしい嫡男として我らのもとへ戻ってくることはもう決してないのだ! 父上もそれを分かっておられる。分かっておられながら、それでも……それでも、やはり我ら兄弟の誰よりも、義朝の兄上を買っておられて……」


なんと返せばいいのか分からずに、私は手桶を抱いたまま少し後ずさった。


その拍子に地面に落ちていた枯れ枝を踏んでしまった。

ぱきっと乾いた音が鳴った。

かすかな音だったけれど、頼賢さまは弾かれたようにお顔を上げられた。


視線が合う。

私はたぶん、困ったような、戸惑ったような表情を浮かべていたことだろう。

頼賢さまは苦笑して、持っていた釣瓶を放された。

カラカラという音がして、水桶が井戸のなかを下がっていく。


底の方で、ぱしゃんと水音が鳴った。


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