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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第三章 確執
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すれ違い(一)

「それで結局、なんだというのだ」

地面に頭をこすり付けるようにして平伏している七平太に対して、正清は苛立って尋ねた。


「そ、それが、その……御方さまにはお目通り叶いませず。橋田の爺さんがいうには、なんでも堀河の本邸の方においでになるそうなのですが、どうも、何を聞いても要領を得ませず……」


「要は、父にも会えず、佳穂にも会えず。あれが今、どこで何をしておるのかも分からぬと。そういうことなのだな」

「は、はい……有体にいえばそういうことで」

「子供の使いか、おまえは!」

正清が怒鳴ると七平太は亀のように首をすくめた。


……が、平伏した顔を恐る恐る上げると。


「おそれながら、一度、殿が直接、六条の大殿さまのもとへいらして下さるわけにはゆきませぬでしょうか」

たまりかねたように言った。


平素はあるじに対して、このような差し出口をきくことなどない男なのだが。


「『佳穂さまはここにはおらぬ。詳しいことは知らぬ』と言われてしまうと、それがしのような者にはもうそれ以上、どうしようもなくて……。なれど、御方さまがあちらにゆかれてからもう七日も日が経っております。その間、一度も何の音沙汰もないなど、御方さまのご性質を思えばどう考えても不自然です。御身になにかあったのやもしれません。殿に無断で強引に連れてゆかれた手前、それを言い出しにくくて通清さまは隠しておられるのでは……」

切々と訴えかける言葉には心情がこもっていた。


確かに

(何日も留守にするのに一度も連絡を寄越さないのは佳穂らしくない)

という、言い分には一理ある気がしたが。


「あれのことだ。父にちやほやとおだてられて、ぼんやりと呑気に日を過ごしておるだけではないのか」

妻が帰ってこないなどという理由で、ずっと無沙汰をしている父のもとをわざわざ訪れるのも気がすすまず、わざとそっけなく言うと、


「御方さまはそんな方ではございませぬっ!!」

七平太はたちまち、きっとなって叫んだ。


「確かに御方さまは日頃、おっとりとしたおおらかなご気性でいらっしゃいます。なれど……このように人が心配することがわかったうえで、連絡をお忘れになられるような、そんなお方ではございませぬ!」


「成る程。おまえは俺などより余程、あれのことを分かっておるようだな」


皮肉げな物言いをものともせず。


「御方さまは、常日頃、我らのような下々の者にも、いつも細やかなお心配りを下さって、お優しいお声をかけてくださるような方なのです。先だっても、それがしがお使いに出た先で時間をくって、戻りが少し遅くなった折にもお咎めになるどころか、門のところまでわざわざ出迎えて下さって『良かった。帰りが遅いから心配してたのよ』と。『遠くまでお使いを頼んでごめんなさいね』と……そう仰せられて……」


言いながら、感極まって涙ぐみはじめた七平太の頭を正清は、べしっと叩いた。

「分かった。もういい!」


七平太が佳穂に対してあるじの北の方に対する敬慕、という意味以上の好意を抱いているのは、薄々気がついてはいたが……。

(数日、あれが留守にしたくらいで大の男が涙ぐむとはどういうざまだ。馬鹿馬鹿しい)


溜息をついて踵を返しかけた瞬間。

「もういい、とはどういう事でござりましょう」

すぐ側の衝立の陰からぬっと槇野(まきの)が顔を出して、正清は驚きのあまり声をあげそうになったのを何とか飲み込んだ。


「な、な、何をしておるのだ、そこで!」

「いえ、ちょっと片付け物などを」


槇野は悪びれた風もなく言って、さっさと裾を捌き、そこに腰を下ろした。


「それはそうと今のお話ですけれど、『もういい』とはいかがな意味でござりましょうか? 七平太どのでは埒があかぬゆえ、殿がお直々に六条の義父上さまのお邸に出向いて姫さまをお迎えに行ってくださるとのことにございましょうか?」


「聞いておったのか?」

無作法を咎める意味を口調にこめてやったが、槇野は気にした風もない。


「いいえ。片付け物の途中で、偶然耳に入ってきただけでございます。なにしろ、この槇野の大切な養い君の御身に関わるお話のようでございましたゆえ、聞き捨てに出来ませず」


(何が片付け物だ。こんな何も置いていない部屋で)

忌々しく思いながら、正清は、はあっと溜息をついた。


「御身に関わる、とは大袈裟な。あれも子供ではないし、行き先が知れぬというのならともかく父のもとにおるのであろう。放っておけばそのうち戻ってくるわ。騒ぎ立てるようなことではない」

「なれど」

槇野は僅かに膝を進め、声を落とした。


「御方さまがお留守にあそばしたのが、先だって殿と(いさか)いを遊ばした日の翌日から、というのが槇野は少し気にかかっておりまして」

「諍い?」

正清は眉をひそめた。


「はい。あの、殿が御宿直の折にお他所の御膳を美味しく召し上がられたと仰られていた日のことでございます」

「ばっ……!」

 正清は真っ赤になって絶句した。


「なんでそなたがそんな事まで知っておるのだ。あれはそんなことまで、喋り散らしておるのかっ!!」

「まあっ! 滅相もございません! 姫さまは私などには何一つ、愚痴めいたことなど仄めかされたことすらございません! 今のは私が、ご夫婦のお居間の前を通りかかったときに偶然、たまたま、お二人のやり取りが耳に入ってしまっただけのことでございます」


「そんな偶然があるか! それは盗み聞きということではないかっ!」

「人聞きの悪いことを。私はただ、姫様の御身が案じられて、ついつい足を止めてお話を伺っていただけにございます! それも乳母としてのつとめにございますゆえ」


「威張って言うな! 盗み聞きがつとめの乳母など聞いたこともないわ!」


「ともかく! 申し上げておきたいのは、我が姫さまは決して背の君の悪口や愚痴などを、たとえ相手が乳母の私であろうと、軽々しく仰られるようなお方ではありませぬ、という事でございます。それだけははっきりさせておいて下さいませ」


きっぱりと言い切って胸を反らしてみせる槇野の前で正清はがくりとうな垂れた。


これまで佳穂が事あるごとに、槇野と派手派手しい口喧嘩を演じ。

 

夫婦でいる時に、槇野が少しでも口を挟もうとしようものなら

「いいから槇野はあっちに行っててちょうだい!」

と、日頃のおっとりとした気質に似合わず、言い立てるのを、

(なんだ、いつまでも乳母に反発して、あんな口を聞いて。子供っぽさの抜けぬやつだ)

などと内心、おかしく思っていたのだが。


(これは確かに喧嘩にもなる)

正清の心中を知ってか知らずか、槇野はさらに口を開いた。


「姫さまはああ見えまして、意外にも、繊細で傷つきやすいところが、まるでないというわけでもない御方にございます。殿のお言葉を内心では深くお気に病まれて、もう、自分は殿のお側にいる資格はないと思い定めて、家を出られたのやもしれませぬ」


「まさか」

正清は鼻を鳴らした。

「あれが、そんなにしおらしい性質なものか。いつも、俺の叱言など話し半分にしか聞かずにけろっとしておるようなやつが」


「それは表向きのこと。姫さまは、深く思い悩まれている時ほど、それを胸の奥に秘めて表に出すまい、人に気取られまいとして、殊更に明るく、呑気にしておられるようにお振る舞いになられるところがおありになります。姫さまの赤子でいらした頃より、ずっとお側に仕えさせていただいておりますこの槇野が申し上げるのですから、間違いありませぬ!」


大威張りで胸を反らしてみせる槇野にうんざりしながらも、自分との喧嘩が原因で佳穂が家に戻って来ないのだ、とまで言われればさすがに気にかかる。


槇野に指摘されるまでもなく、佳穂がいらざる告げ口のようなことをするような女ではない事は承知していたが。

例の騒ぎで、しょんぼりしていた佳穂を見かけた父の通清が、持ち前のあの、過剰なまでの世話好きなところを発揮して、

「気が晴れるようにこの父が物詣にでも連れていってやろう」

などと言って佳穂を無理矢理六条の家へと連れていった、という可能性は確かになくはないとは思う。


しかし。


(確かに喧嘩はしたものの、あれはもう片付いたというか、あれが家を出ようと思い詰めるような事柄ではなかったように思うのだが)


その夜のやりとりを、記憶の底から引っ張り出してみる。


(紗枝のことで言い争いになって、あれが泣いて大騒ぎをして、そのあと……)


きゃんきゃんと泣きながら文句を言う佳穂を持て余しながら。


それでも、

(お慕いしているから怒っているし、お慕いしているから悲しいのです!)

と涙をいっぱいにためた瞳で云うのがいじらしくて。


日頃、夫などいてもいなくとも別に構わぬ、という、のほほんとした空気を漂わせ、最近ではお邸勤めの方にばかり熱心になっているように見えた佳穂が、自分が他の女と寝たというだけのことで、子供のように泣きじゃくるほど嫉妬しているというのが、ちょっとした驚きで。


驚いたあとは、それがどうにも可愛くて。


思わず肩を引いて抱き寄せようとしたのを、邪険に拒まれてむっとしてあれこれと言わずもがなのことを言ったような気はする。


そもそも、あの夜は久しぶりにこの四条に帰れた夜だったのだ。

その前に戻った夜は確か、あれが月の触りだとかで部屋も別々にして休んだきりで。


そして、その前に訪れた時は、三条の邸で急ぎの仕立て物を頼まれて、数日来夜更かしが続いていたとかで、床入りして灯りを消して横になるなり、あれはすぐに寝息を立て始めていて……。


それとなく揺すぶってやったり、鼻をつまんだりしてやったが、一向に目を覚まさずに結局そのまま何事もなく朝を迎えて。


と、いうようなことが重なって、なんだかんだと一月余りも夫婦としての夜を過ごしていなかったのだ。

その挙句に、久方ぶりに勤めの暇をみつけて戻ってやったかと思えばあの騒ぎである。

文句の一つも言いたくもなるというものだ。

いや、それにしても……。


「確かに諍いはしたが、それはもう片がついたというか済んだ話だ。あれとて、翌朝は別になんでもない風で普通に三条の邸へと出かけていったではないか」


「で、ございますわね。それきり姫様ご本人からは御文の一枚もなく、今日までお戻りがないわけでございますけれど」

しれっとして槇野が言う。

正清はむっとした。


「何が言いたいのだ! だいたい、そう思うておったのなら何故今日までそ知らぬふりをして放っておいたのだ! そんなに心配ならさっさと六条の邸へ押し掛けていって佳穂を連れ戻して参れば良いではないか!」


「まあ、とんでもない」

槇野は大仰に身を竦めて首を振った。


「乳母とはいえ単なる使用人の身で、どうしてそのようなあつかましい真似が出来ましょう。ましてやか弱い女の身で、いかめしい坂東武者の方々が集うておられる知遇もいないお邸へ一人で訪ねてゆくなど、到底無理でございます。私はこう見えても、控えめで物怖じするたちなのでございます」


(誰が控えめで物怖じするたちだ)

正清はこめかみを押えて溜息をついた。


佳穂のことを、おとなしげに見えるが、その実、かなり風変わりな女子だと思っていたが。

この乳母に育てられてあの程度ならば、随分とまともに育った方だと言わねばならぬであろう。


「で、そなたは俺にどうせよと申すのだ」

「ですから、先ほど七平太どのが仰られていたように、殿が御自ら、御父上さまのもとをお訪ねなされて、姫さまがどうしていらっしゃるか伺ってきて下さいませと申し上げているのです。もしかしたら、姫さまご自身が先日のことをお気に病まれて帰られるのを躊躇われておられるのやもしれませんし。夫君、自らお迎えにいって差し上げてくださいませ」


「だからあれが気に病んで家に帰れないようなことなど、何もなかったと申しておるであろう」


「まあ……」

 槇野はまじまじと正清の顔を見た。

 呆れた、といった表情だった。


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