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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第三章 確執
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40.本音(三)

「佳穂」

義父上が私の名を呼ばれた。

お顔立ちはあまり似ておられないけれど、義父上と正清さまのお声は時に、驚くほど似通って聞こえる。

馴染んだお声に優しく名を呼ばれて、私の目尻から涙がぽろりと零れた。


「泣くでない。何なら本当にわしが正清を叱っておいてやるぞ」

私はぶんぶんと首を横に振った。


(違うのです。殿は何も悪くないのです)

そう云いたかったのだけれど、今口を開いたらまた子どものように声を上げて泣いてしまいそうだった。


義父上がふうっと溜息をつかれた。

困らせてしまっていると思うと情けなくて、私はますます俯いた。


(嫌だな……。義父上や正清さまの前ではこんな事、絶対言うつもりはなかったのに……)


私は正清さまの前では、何の悩みもないような屈託のない妻でいたかった。

馬鹿で他愛がないと思われてもいい。


内心で鬱々(うつうつ)と抱え込んでいるこんな気持ちに気づかれるくらいなら、少しくらい(あなど)られているくらいでちょうど良いと思っていた。


今の義父上にそうさせてしまっているみたいに。

こんな風に困ったお顔をさせてしまうくらいなら。


跡継ぎも儲けられない正室ならば、せめて。

殿のお気持ちを沈ませたり、煩わせたりするようなことだけはしたくなかった…のに。


「佳穂」

義父上が再び、名を呼ばれる。


「……はい」

私は蚊の鳴くような声でお返事をした。


「先ほどお方さまの御前で見せていただいたのだが、こちらの節句飾りは佳穂がつくったものだそうだな」

 唐突に変わった話題に私はきょとんとして思わず顔をあげた。


「はい……」

「見事なものだな。色合いといい細工といい華やかで美しかった。やはり娘というのは良いものだな。我が家などは男ばかりで無骨でいかん」


何を仰ろうとしているのか分からずに首を傾げている私を見て、義父上はにっと笑われた。


「そうだ。ちょうど良い。今から六条の邸へ来て五節の飾り付けを手伝ってはくれぬか」

「えっ?」


「近々、あちらで端午の節句の宴を催すことになっておってな。北の方さまが人手がいくらあっても足りぬと仰っておったのだ」


義父上は、はやくも立ち上がり私の手を引いていこうとされている。


「善は急げというからな。今から参ろう。すぐに参ろう」

「お、お待ち下さい」

私は慌てて言った。


「あの薬玉がお気に召したのでしたら、今日から早速取り掛かりまして、出来上がり次第、そちらへお届けにあがります。ですから今からすぐにそちらへ伺うというのは……」


「なんじゃ。嫌なのか?」

「いえ、嫌などということは決して。なれど我が殿にもお伺いをたててみませぬことには……」


「なんじゃ。あんな浮気男のことをいちいちそのように気にすることはない」

義父上は構わず私の手を引いて連れ出そうとする。


「殿のことをそんな風に仰らないで下さいませ」


「この期に及んでまだそんなことを言うとは。佳穂はそれほどあれに惚れてくれておるのか。いじらしいのう」

「い、いえ。そういう問題ではなくて」

私は赤くなって首を振った。


「その、昨晩も殿と少々、口諍いをしたばかりでございますし……。昨日の今日でまたお許しも得ずに義父上のお邸に伺うというのはちょっとその、また色々と揉め事の種になりそうなというか……」


「さてはあれは、そなたが上洛の折に、わしが黙ってそなたを連れてきたことをいまだに根にもっておるのだな」


図星である。

私が、菊花の宴の一別以来、自分からは義父上に連絡をとろうとしなかったのは、もちろん由良の方さまのように細やかな気配りが足りなかったというのは勿論なのだけれど。


ご自身を通さずに、私が直接、義父上と関わりを持つことを正清さまがあまり、快く思われていないというせいもあったのだ。


「まったく心が狭いというか器の小さい男だ。自分はよそに女をつくって浮かれ歩いておるくせに、妻には(しゅうと)のわしにさえ近寄らせたがらぬとは」

義父上はぶつぶつと言われた。


私は急いで否定した。

「いえ、そのようなことは……。殿は私がまた何か馬鹿げたことをして義父上にまでご迷惑をかけはしないかと心配しておいでなのです」


義父上はにっこりと微笑まれた。

「佳穂は本当に可愛いのう。気立ても優しくて器量もよくて、まこと三国一の花嫁じゃ」

「まあ、そんな」


「ますますともに六条へ連れ帰りとうなった。そなたならば北の方さまもお気に召されるに違いない。正清のことなら心配せずともよい。まあ、ともかくともに参れ」


言うなり義父上は私の背に腕をまわすと、今にも抱えあげかねないような勢いで私を廊下へ連れ出した。


「あ、あのう。義父上……」


戸惑う私に構わず、

「では少し佳穂を借りて参る。浅茅どのや御方さまによろしくお伝えくだされ」

呆気にとられている千夏と小妙に言い置いて、義父上は私の手をつかんで歩き出された。


「義父上、困ります。私、本当に殿にお許しをいただいてからでないと……」

私は引きずられるようにして歩きながらも懸命に言った。


「なんじゃ。そんなにあれが怖いか」

「怖いと申しますか、今はちょっと時期が……」


渡殿の途中で押し問答になっている私たちをみつけて、庭先を通りかかった七平太が駆け寄ってきた。


「御方さま。大殿。いかがなさいました?」

「おお。七平太。ちょうど良いところに来た。これから佳穂をちょっと六条へ連れて参る。用が済んだら返すゆえ、正清にそのように申し伝えよ」


「ええっ!」

七平太が声をあげた。


「駄目ですよ、そんな!」

「なにが駄目だ。主家のあるじに向かって」


「だって出し抜けにそんな……。そんなことをそのまま申し上げたら俺が殿にお叱りを受けます。そもそもお方さまが嫌がっておいでではございませぬか!」


七平太の言葉をうけて、義父上がこちらを振り返られる。


「なんだ、佳穂。わしと一緒に来るのがそんなに嫌か。わしはそんなに嫌われておるのか」


わざと哀しげなお声で言われる。


「とんでもございません。いえ、ですからそういう問題ではなくて……」

「では、どういう問題なのだ」


「ですから何度も申し上げたように昨晩、喧嘩をしたばかりですぐに勝手な真似をするというのは……」


「喧嘩とは言うてもその分、その後は一晩じゅう、夜が白むまで仲良うしておったのであろう。泣かされた分、存分に甘えてやったか」

「義父上っ!」

私は真っ赤になって叫んだ。


「そう気に病まずともあっちの方では、喧嘩のあとというのも、かえって盛り上がってたまにはいいものだ、ぐらいの事を思ってとっくに機嫌など治っておろう。男なんぞというのはそんなものだ。泣いてやきもちを妬くほど自分に惚れているそなたが可愛くて、昨夜はいつもよりも激しかったのではないか?」


七平太はもう真っ赤になって顔を反らせている。


「義父上、もういい加減になされませ!」


「佳穂がそんなにまで、一晩たりとも正清の側を離れとうないと申すのならば仕方がない。北の方さまが随分とお困りであられたゆえ、少しでもお力になれればと思うたのだが。あちらの北の方さまがいくらお困りであろうと、そなたには何の関わりもないことではあるしな……」


そう言って、私の手を離すとわざとらしく背を向けられる。


人聞きの悪い……。


「分かりました。ご一緒に参ります」

私は仕方なく言った。


「おお、まことか。そうしてくれるか」


その途端に義父上はくるりと(きびす)を返される。

私は、深く溜息をついた。

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