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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第三章 確執
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27.棟梁の誇り

盃をたくさん並べた膳を、ひっくり返さないように気をつけながら宴席へと戻っていく時。


ふいに門の方で馬の嘶きが聞こえた。

次いで慌しく寝殿の方へ駆けてゆく足音がする。


足早に渡殿を渡り、母屋への妻戸を開けると同時に大きな声が響いた。


「大殿に申し上げます!左大臣頼長さまより火急のお召しにございます!!」

 為義さまの六条のお邸の家人のようだった。

 

「何事じゃ」

 通清義父上が、先ほどとは一変した厳しい表情で簀子に出てゆかれる。

「は。中納言家成卿の邸宅を襲撃せよ、と。去る七月にあちらの下人が左大臣さまの従者を侮辱なされた報復とのことにございます」


座がどよめく。


「なんと…!」

義父上は険しい表情で大殿を振り返られた。

その時には、すでに為義さまは盃を置かれ、立ち上がられていた。

水のような無表情で、静かな挙措であられた。


「ともあれ左大臣邸へ参る」

「父上!」

義朝さまが、膝元の御膳を蹴散らすような勢いで立ち上がられる。

為義さまはそれには応えられずに、通清義父上をご覧になられた。


「通清。そなたはすぐに六条へ戻り、人数を揃え、陣備えをして待っておれ。わしが戻り次第出陣じゃ」

「……はっ」

義父上が短く応えてすぐに階を駆け下りてゆかれる。


「父上!」

義朝さまが為義さまの腕をつかまれた。


「行ってはなりませぬ! 先年、命じられるがままに摂政殿のお邸に押し入った結果、父上は何を得られた!? 何も変わらぬ。今もこうして番犬のように追い使われておるだけだ。それだけではない! 洛中で強盗まがいのことをしでかしたと言って、院や主上、女院さまのご不興を蒙り、今ではその御所にも出入り出来ない有様ではありませんか! その間、平氏の忠盛、清盛らは院や帝のお側で重用されておるのですぞ。今日(こんにち)、我が源氏が平氏と比べ、こうも軽んじられておるのはすべて父上がそのような振舞いをなされてきたからだ。父上は武士として……源氏嫡流の棟梁としての誇りをお忘れかっ!!」


バシン…!


と、鈍い音が響いた。


為義さまが。


義朝さまの頬を嫌というほど張り飛ばしたのだ。


武家の棟梁というお立場に似合わず、温和で柔和な印象のご容貌でいらっしゃる為義さまが見せた思わぬ激しさに、私は息を呑んだ。

室内が怖ろしいほどの静寂に包まれる。


「そなたにともに来いとは言うておらぬ。そなたにはそなたの考えがあるように、わしにはわしの生きかた……誇りの貫き方がある……。地を這いずり、泥を啜ってでも守り抜いてきた、わしなりの誇りがな」


たった今、ご子息を殴り飛ばしたとは思えない静かな口調でそういわれると、為義さまは部屋を出てゆかれた。


残された人々のうち、為義さまに従う方々は足早に大殿のあとに従って去ってゆかれる。


義朝さま配下の家臣の方々が息を詰めて見守るなか。

義朝さまはぐっと唇を噛み締め、こぶしを固く握って、父上の去っていった夜の闇を睨み据えておられた。


「殿……」

由良の方さまが気遣わしげにお側に寄り、お手にそっと触れられる。


義朝さまは邪険にその手を振り払われた。

そのまま、ひと言も発することなく足音荒く部屋を出てゆかれる。


「御方さま…」

私は御膳を置くと、急いで歩み寄った。


「私は……私はただ……殿に喜んで、いただこうと……」


いつも聡明で凛とされているお方さまが、途方にくれた少女のようにぺたりと床に座り込んで呟かれる。


なんとお声をかけていいのか分からず、ただ少し離れた場所で控えていると。


「佳穂」


名前を呼ばれた。


振り向くと、奥の間との仕切りの襖を開けて正清さまが手招いておられる。


ちょうど浅茅さんが御方さまのもとへやって来られたので、私はそちらはお任せして正清さまのところへ立っていった。


「はい」

「若君を頼む」


見ると、正清さまの腰のあたりにしがみつくようにして、鬼武者さまが立っておられた。


先ほどの騒ぎの直前。


父君と祖父君の争い。


ましてや、崇拝する父君が殴打される場面を若君に見せまいとして、咄嗟に正清さまが奥のお部屋へとお連れしていたのだと、その時はじめて気がついた。


鬼武者さまは、わけが分からず、一家の団欒の時間を突然破られた戸惑いと悲しさで瞳を潤ませて。

それでも男の子らしく、泣くまいときっと唇を噛み締めておられる。


「かしこまりました。さ、若君。こちらへ」

柔らかく言って手を差し伸べたけれど、鬼武者さまはますます正清さまにしがみつかれた。


「正清までどこへ行くの?父上は?おじじさまはどこへ行ってしまわれたの?」


震える声で気丈に仰るのが、いじらしくもお労しい。


「おじじさまは父上がお嫌いなの?どうしてお二人ともお怒りになられたの?」


正清さまは、その場に膝をつかれると若君のお顔を覗き込まれた。


「お嫌いなどというこは決してありませぬ。我が殿は、大殿にとっては自慢のご嫡男。関東一の武勇をうたわれし,源氏随一の武士(もののふ)なのですから」


そう言って正清さまは鬼武者さまの肩に手を置かれた。


「ただ、お2人とも少しお酒を過ごされたようだ。人は酒に酔うとどうでも良いことで大笑いをしたり、逆に腹を立てたりもします。若君は酔っ払いをご覧になったことはおありでしょう」


「うん。でも母上はあまりお好きじゃないよ。だらしないしみっともないって」


正清さまは小さく笑った。


「荒くれの武者たちを統べるには酒を(たしな)み、時には酔うて見せるとも棟梁の器量にございまするぞ。若君も祖父君、父君のお跡を継いで、源氏の棟梁となられるからには覚えておおきなさいませ」


「うん。分かったよ、正清」

鬼武者さまは素直に頷かれる。

今にも零れそうだった涙はすでに引っ込んでおられた。


正清さまは満足げに笑って、鬼武者さまの頭を優しく撫でられた。


「しかし、確かにあまりみっとも良いものではありませぬな。大の男が酒に酔って喧嘩をするなど。北の方さまが嫌がられるのも無理はありませぬ」


「そうだよ。母君はずっと前から今日の準備を一生懸命していたんだよ」

鬼武者さまが可愛らしく口を尖らせる。


「それは申し訳ないことを致しました。この正清が父上を少しお諌めしておきましょう」

「本当?」

「はい。若君や北の方さまをあまり驚かせてはいけませぬと。殿も大殿もお叱りしておきまする。ご安心下さいませ」

「うん。分かったよ」


笑顔で頷かれる若君の両肩を抱いて、

「北の方さまはお疲れでございましょうから、少しお休みになられる間、うちの妻がお相手を仕りましょう。粗忽者ゆえ、何かと無調法がございましょうが、ご容赦くださりませ」

私の方に押しやられる。


(粗忽で無調法ですって。……否定は出来ないけど)


内心そっと膨れる私の心中などお見通しになられたように、

「では御前、失礼致しまする」

そういって、部屋を出てゆかれながらぽんっと私の頭を軽く撫でてゆかれた。


そんな些細なことで嬉しくなってしまうことに少しだけ悔しくなる。


「どうしたの?佳穂?顔が赤いけど?」


鬼武者さまが、私の顔を見上げて言われる。

「佳穂もお酒を飲んだの?」

「い、いいえ。なんでもございません。さ、若君。 東の対のお部屋に戻りましょうか。乳母(めのと)どのがきっとご心配なさっておいででしょう」


「うん」

鬼武者さまはこくりと頷いて、私の手をとられた。


私が軽くお手を握り返して微笑むとにっこりと笑われた。

生い先見えて端正で、輝くような若武者ぶりが今から想像出来る、可愛らしくも凛々しいお顔立ちである。


この若君は、この先どのような春秋を送られるのだろう。

そして、御父上であられる義朝さまと。

祖父君であられる為義さまの御仲は、どうなってゆくのだろう。


為義さま。


義朝さま。


そして、我が夫、正清さまが駆け入って行かれた夜の闇。


その闇の中から、今まさに家成卿のお邸を取り囲んでときの声を挙げようとしている武者たちの喧騒が聞こえてくるようで。


私は小さく身震いした。


夜明けまではまだ遠い刻限だった。




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