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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第三章 確執
26/122

26.菊花の宴

仁平元年(1151年)の九月。

昨年、上洛してから一年が過ぎようとしていた。



由良の方さまは、日に日に緊張を増してゆく義朝さまと、お父上であられる為義さまとの御仲を案じておられた。


「ことは御父子の間の仲の良し悪しという問題に留まりませぬ。このままご一門の間での不和が続き、先々争いごとが起きるようなら、我が子鬼武者の行く末にも関わりますゆえ」


口ではそんな事を仰せになっておられるけれど、御方さまが、義朝さまのご心中を察してのことだというのは、周りにいる私たちにもよく分かった。


ある日のこと。

珍しく為義さまが三条坊門のお邸を訪れられた。お供のなかには通清義父上のお顔もあった。


その日は、義朝さまも朝からこちらのお邸にいらして、鬼武者さまの弓のお稽古などをご覧になっておられた。


「父上……」


驚いたお顔で腰を浮かせかけたところを見ると、義朝さまはこの事をご存知ではなかったらしい。

そのすぐ後ろにお控えになられた正清さまは、私の方を見ると小さく頷かれた。


実は今日のことは御方さまのご発案で、重陽の節句の菊の宴を口実に、正清さまと通清義父上を通して、御父子がお顔を合わせる場を設けたのだった。


「おじじさま!」

数えで五つになられる鬼武者さまが声を弾ませて、為義さまに駆け寄られる。


数えるほどしかお会いになったことはないものの、母君が日頃言い聞かせておられるおかげで、鬼武者さまは祖父君を、一門の棟梁として、そして高名な武士として尊敬しておられた。


そんな孫の君をご覧になって、為義さまも面を綻ばせる。


「おお、おお。鬼武者か。しばらく見ぬうちに大きゅうなった」


目を細めて、若君のお頭を愛しげに撫でられる。

義朝さまは、気まずげな表情で、所在なげにその様子をご覧になっておられる。


「鬼武者。祖父上さまに鍛錬の成果を見ていただいたらいかがです?」

黙り込んでいる義朝さまをとりなす様に、御方さまが柔らかく声をかけられる。


「ひさしぶりに父君に稽古をつけていただけるのが嬉しくて、朝から弓を放そうといたしませぬ」

後の言葉は為義さまに向かって仰せになる。


「おおそうか。武家の子たるもの、鍛錬を怠ってはならぬゆえな。感心な子じゃ」


 祖父君に褒められて、若君はたちまち勇み立たれた。


「じじさま。ご覧になっていて下さりませ!見事あの的の真ん中を射抜いてみせます!」


高らかに叫ばれると、小さなお体で巧みに弓を引き絞られる。

ヒュン、という風を切る音がして矢が放たれる。


しかし、矢は目標の的を大きく反れて、横の立ち木の幹に突き刺さってしまった。


「馬鹿者、何をしておる!」


義朝さまに叱責されて、鬼武者さまが身を縮める。

その時、為義さまがすっと立ち上がられ、庭へと降りてゆかれた。


面目を失ってしょんぼりとされている孫君のお手をとって、


「もっとこう肘をあげて。足を開くのじゃ」

と、正しい姿勢を教えて差し上げている。


「もう一度射てみよ」

「はいっ!」


鬼武者さまが矢を番えられる。

放たれた矢は、的の端に音を立てて突き立った。


「お見事にございます!」

 正清さまが間髪を入れず、お声を上げられる。


「まこと!血は争えませぬな。関東一の弓取り、八幡太郎義家公のお血筋じゃ!!」

通清義父上が快活に叫ばれる。


「なんの。的の端を掠めただけで大仰な」


 為義さまが苦笑されると、鬼武者さまがむきになったようにまた矢を手にとられた。


「なれば今一度!今度こそ、的の真ん中を射抜いてみせまする!」


「向こうっ気の強さは父譲りじゃのう。義朝。そなたも鬼武者が大きゅうなったら息子に『しっかりせぬか! この甲斐性なし親父が!』と、怒鳴られる破目になりそうじゃな」


「な……!? そんなことはさせませぬ!」


義朝さまが思わず反論なさる。


「いや。今のは若殿の負けじゃ。ひさしぶりに我が殿が一本お取りなされたわい」


通清義父上の楽しげな笑い声が響く。


義父上と、義朝さまも元を正せば、乳父と養い君という実の親子以上に近しい間柄である。


拗ねた子供のように口元を引き結んで、義朝さまが引き下がられる。


詳細はわからないものの、義朝さまに似ていると言われた鬼武者さまが嬉しげに顔を輝かせて


「では、私もいずれ父上のような立派な源氏の武者になれましょうか?」

と、為義さまにお尋ねになる。


「ああ。なれるとも。この祖父や父などより、ずっと立派な、日の本一の大将軍となれるぞ」

為義さまが請合われる。


由良姫さまがひそかに安堵の吐息を漏らされ、背後に控えた私と浅茅さんに目配せを送られる。


秋の気配を滲ませはじめた七月の夕暮れ時は、そうして和やかに過ぎていった。



日が落ちて、夕餉の時間となった。


上座には為義さまと義朝さまが座を並べ、その傍らには、鬼武者さまがお膳を並べている。


お行儀の良い若君なので、子供らしくはしゃいでみせるようなことはなさらないのだけれど、珍しく父君、祖父君がお顔を揃えて夕餉を囲まれることがよほどお嬉しいらしく、目がきらきらと輝き、頬が上気されている。


ご家族水入らずの団欒に遠慮されて、通清義父上、正清さまは少し下がった廂の間に控えておられる。

由良の方さまは座のご様子を満足げにご覧になりながら、御自ら酒器をとって為義さまにお酌をなさる。


縁起物ということで、家臣の方々にもお酒のご下賜がある。

盃に注いだ酒に菊の花びらを浮かべたもので、邪気を払い長寿を願うものとされている。


武家の北の方とはいえ、公家のご出身であられる由良の方さまは、こういう四季折々の行事や祭事にお詳しかった。

私は御方さまのご命で、宴席に侍り方々に菊花酒をお注ぎしてまわるお役目をいただいていた。


こちらの女房衆は、公家のお家にしかお仕えしたことのない京生まれで京育ちの方々が多いので、東国武士の家臣方が多く集まるこのような場は、皆恐れて誰もあまり出てきたがらないのだそうだ。


「その点、佳穂なら安心して頼めるわ。武家の出ですものね」


そう仰っていただいて、もちろん快くお引き受けしたのだけれど。


簀子縁から庭先に敷いた毛氈の上に居並んだ、為義さま、義朝さま双方の家臣の方々はいずれも歴戦の勇者というか、なかなかに迫力のある面差しの方ばかりで。

確かに、都育ちの女房がたが怖がられるのも無理はないと思えた。


「佳穂は今日も可愛いのう」

白い花びらを浮かべた盃をお渡しすると、通清義父上が目を細めて言われた。


「久方ぶりに会うたが、前回会った時よりもずっと大人びて、美しくなったようじゃ。今日の衣もよう似合っておる」

「まあ、義父上」

私は頬を染めた。


今日の私は宴の趣旨に合わせて、白菊襲の小袿を身につけていた。

衣装を褒められるのはいつだって嬉しい。

 

「ありがとうございます。義父上だけですわ。そんなお優しいことを仰って下さるのは」

御礼を言って、お隣りでそ知らぬ顔で盃を口に運んでおられる正清さまをちらりと見る。


「我が殿など、私の衣のことなどついぞお口にされたこともございませぬ」

声を潜めてそう言うと、義父上がからからと笑われた。


「それはそうであろう。わしだとて、こんなに可愛い妻がおれば衣の色などどうでもいいわい。何も着ておらぬ姿が一番いいわ。のう。正清」


「義父上!」

私は真っ赤になって義父上のお膝をぶった。


義父上のお声は大きいうえによく通る。


座に笑いが起こった。

恐る恐る振り替えれば、案の定、上座で為義さまも義朝さまも笑っておられる。


御方さまは慎ましく、お袖で口元を覆っておられたけれど、お肩が少し揺れていらっしゃる。


正清さまは、慣れておられるのか諦めておられるのか、ちょっと溜息をついて、知らぬふりをされている。


私は恥ずかしさにいたたまれなくなって、

「お、お酒のおかわりをいただいて参ります」

と言い置いて、簀子縁へと出た。


背中からまた、「佳穂はほんに可愛いのう」という義父上のお声が追いかけてくる。


まったく……!

義父上ったら……。


婚礼の夜に初めてお会いした時から相変わらずでいらっしゃる。


真っ赤に染まった頬を両手で押さえながら、私は台盤所へと向かい、追加のお酒を貰ってきた。


宴席に戻るのも恥ずかしいが、御方さまからいただいたお役目を途中で放り出すわけにもいかない。


それにしても。


婚礼の前夜、私が厩でとんでもない失態をしてしまった時もそうだったし、その後の婚礼の場でもそうだったけれど。


義父上には、その場の雰囲気を一瞬でぱっと明るく楽しげなものにしてしまわれるところがある。


義父上のいらっしゃるところではいつも笑い声が絶えなくて、皆が楽しい気持ちになれるのだ。


今だって、さっきの弓場でだって。

義父上のひと言で緊張して、どこかぎこちなかった場の雰囲気が一瞬にして、和らいでしまった。


(そう思うと、どんなにからかわれても憎めないのよね…)


 



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