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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第三章 確執
25/122

25.源平の御曹司 

世にいう「朱器台盤強奪事件」から数ヶ月が過ぎた。


明けて仁平元年。(1151年)春。



「あ」


渡殿を渡る途中。

庭の方で正清さまのお姿を見つけて私は足を止めた。


朋輩らしい方々と何やらお話しながら行き過ぎようとされた正清さまが、それに気づいてふっとこちらをご覧になる。


思わず両手を胸の前でひらひらと振ると、声には出さずに口だけで

「馬鹿」

と仰ると、右手で追い払うような仕草をしてそのままこちらに背を向けてしまわれた。


「なーによ、もう。手なんか振り合っちゃって!」

千夏(ちなつ)がどんと私の背中を押して言った。

「ほんとに仲が良いのねえ」

小妙(こたえ)も感心したように言う。

 

「そんなんじゃないわよ」

 私は頬を染めて首を振った。


「照れるくらいならそういうことしないでくれる?独り者には目の毒なんだけど」

「独り者って……千夏にはちゃんと恋人いるじゃないの。ほら、永井の四郎君だっけ?」

私が言うと、千夏はぶーっと頬を膨らませた。


「とっくに別れたわよ、あんな奴」

「え、なんで。この間まであんなに仲が良かったのに」

「喧嘩したんですって。他に女君がいたんだそうよ。しかも二人も」

小妙が心底、気の毒そうに言う。


「そうやってあからさまに同情されるのも腹がたつんだけど」

千夏に睨まれて、気の優しい小妙が身を縮める。


「まあまあ。千夏。気持ちは分かるけど、小妙に当たったって仕方ないでしょ。私もこれからは寂しい独り者の千夏の前で、殿との仲睦まじいところをあんまり見せないように気をつけるから」

「うるさいわね、この!結婚して何年も経つのにいつまで新婚ボケなのよっ」

「きゃー!ちょっとやめてよ、痛い!」


千夏に頬をつねられて私は悲鳴をあげた。

怒った顔をしてみせている千夏も目は笑っている。

それを見ている小妙もくすくすと笑っている。


ここは三条坊門の由良姫さまのお邸。


あのとんでもないご挨拶に参上した日以来。

私はもったいなくも、由良姫さまの直々のご希望ということで、こうしてしばしばこちらのお邸に参上しては、お話相手や身の回りのちょっとしたご用事などを務めている。


正清さまはあからさまに不安そうで、行かせたくなさそうだったけれど、北の方さまのご希望とあれば無下にお断りすることも出来ず、渋々、私のお邸勤めを認めて下さった。


参上する当日の朝まで、

「よいか。くれぐれも馬鹿げたことをするでないぞ!  猫が鳴こうが馬が騒ごうが、猿が木から落ちようが一切構うでない。分かったか!?」


と、くどくどと念を押していられたけれど……。


幸い、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の浅茅さまにも気に入っていただけたようで、北の方さま付きの侍女の方々とも早々に打ち解けることが出来た。


なかでも、初めてこちらに参上したあの日。

私を控えの間に案内してくれた千夏と、あの日の騒ぎのもととなった小妙とはこうやって軽口を叩き合えるほど仲良くなっていた。


あの夜の事件から数ヶ月。

世の中は表面上は平穏を保っていた。


しかしその平穏さは、縁のぎりぎりいっぱいまで水を入れた盃のように。

あと数滴の雫で溢れ出てしまうことが分かっている、危うい、緊張感をはらんだものだった。


強引な手段で氏の長者の座を奪取された左大臣頼長さまは、その後「内覧」の宣旨を受けられた。


「内覧」というのは帝に奏上する文書に事前に目を通し、政務を代行することが出来るという役職で。

これにより、頼長さまは事実上、摂政忠通さまを凌ぐ権力を握られたことになる。


摂政と内覧の位が分離し、しかもその両者が対立関係にあるなど、きわめて異例のことであった。


大殿の為義さまをはじめ、義朝さまの御弟君、次郎義賢(よしかた)さま、四郎頼賢(よりかた)さまらは最近では大炊御門(おおいみかど)高倉の左大臣さま邸に毎日のように参上され、交代で警護を務めておられるようだった。


義朝さまはその様子を見て

「まるで摂関家の走狗だ。命ぜられるまま、盗賊のような真似を働くなど……。父上には武士としての誇りはないのか!」

面と向かって痛罵された。


当然ながら為義さまは激昂された。

つかみ合いになられたお2人を、通清義父上と正清さまが割って入り、やっとのことで引き離されたが、そうでなければ互いに刀に手をかけかねない剣幕であられたという。


「殿の仰られることも分かるが、大殿にもお立場というものがあろう。あのように公然と父君を走狗呼ばわりなされるなど、以前の殿らしゅうもない。お焦りになられるお気持ちも分かるが……」


夜。

正清さまは私を相手に沈痛な表情でこぼされることが多くなった。


「お焦りに……とは、どうしてでございましょう?」

空になった盃にお酒を注ぎ足しながら、私はお尋ねする。


「平清盛、という方がおる」

 正清さまは難しいお顔で言われた。


刑部卿(ぎょうぶきょう)忠盛の嫡男で、次代の平氏の棟梁となる御方だ」

「お名前だけは存じております」

 私は徳利を持ったまま頷いた。


「我が殿、義朝さまより五つお年上の平氏の御曹司だ。その方が先ごろ、安芸守(あきのかみ)に任ぜられた」


「安芸守……」


 安芸は数多ある受領の任国のなかでも上国である。

 海が近く、山や田畑の恵みも豊かで、そこの国司を一期、務めればかなりの冨を得ることが出来る、というのは田舎育ちの私でも朧ろげながら知っていた。


「それに引き比べ、我が殿は現在、院の御所へお仕えし、ようやく多少のご信任を得ることが叶ってきたとはいえ所詮は無位無官。院にお仕えしている武士の一人に過ぎぬ」


「されど、清盛さまのお生まれは……」


私が遠慮がちに口にした言葉の続きは、正清さまも重々ご承知のようだった。


「そうだ。清盛公と我が殿とでは、父君の官位、ご出自もまるで異なっておる。安易に引き比べて対抗しようとするのに無理があるのだ。しかし、都雀(みやこすずめ)とは無責任なもので『源平の御曹司』などと言い並べては、なにかにつけて後塵を拝するかたちになっている義朝さまを揶揄するようなことを言う」


正清さまはご自分のことのようにお悔しそうだった。


京にあがり、お側近くで日々を過ごすようになるなかで、改めて実感したのは、正清さまの御あるじ、義朝さまへのご忠義心の強さだった。


「殿は人一倍誇り高く、自尊心の強い御方だ。かつてこの日の本に武名を轟かせた八幡太郎義家(よしいえ)公の末裔として、源氏一門に往年の勢威を……武門の総帥としての栄光を取り戻すことを生涯の悲願としておられる。それだけを支えに、遠い東国の地で、御自ら太刀をとり、馬を駆って戦場に身をおき、かの地の豪族たちを斬り従えてこられた。その誇りが、ご上洛になられてよりこちら、口さがない都人によって泥に塗れ続けておる」


私はもう口は挟まず、黙って正清さまがお話になられるのを聞いた。

返事を求められているのでないことは分かっていた。


ただ、宿直(とのい)されることも多い近頃のお勤めの忙しさを思い、お酒を過ごされないように、さりげなく徳利を置き、酒肴ののった皿をお膝元に進めた。


「殿が父君やご兄弟とも袂を分かち、院の御所に伺候されているのも、そのご宿願あってのことだ。王家や貴族に、言われるがままに召し使われるだけでない。その武力を持って、院や朝廷、摂関家に一目置かれ、自らの膝下にいて欲しいとあちらから懇願されるような、そんな存在になりたいと。その為には、今のようにただ盲目的に摂関家に服従していては駄目だと。我が殿はそう思し召しだのだ。我があるじながら気高く、壮大なお志だ」


いつもながら、義朝さまのことを語られる時の正清さまの口調は熱を帯びて。

幼い子供が憧れの昔物語の勇者について語るかのように、一途で、ひた向きな尊崇の念に満ちていた。


婚礼のあとで語られた通り。

正清さまはいつも、義朝さまの方を見ておられる。


それ以外のことはいつも二の次で。

すべての行いの基準が、義朝さまのためになるか否かということで判断されているようで。


当り前だけれど、そこに私なんかの存在が入り込む余地はほとんどなくて。


けれど、御あるじのことのみを一途に思うて、迷いなく日々を生きておられるこの方を、私はやっぱり好きだと思った。


正清さまが義朝さまの御為にすべてを捧げて、自らの御身すら顧みられないと言うのなら。


あの方がご自分のことを後回しにされる分だけ、私があの方を大切にして差し上げたいと思った。


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