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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第二章 上洛
20/122

20.由良御前

 深山の常盤木を思わせるような鮮やかな青の小袿(こうちぎ)に、華やかな朽葉色を重ねた青紅葉の衣。

 初秋の今の季節に相応しい、優美な衣装をまとった女性が、楽しげな微笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「北の方さま!」

 正清さまが腕に抱えたままだった私を放り出すように下ろすと、さっと膝をつく。


 私も慌ててそれに倣った。

 驚いた拍子に涙は引っ込んでしまった。

 正清さまのお背中のかげで慌てて涙を拭う。


浅茅(あさじ)たちがご内儀のお姿が見えなくなったと騒いでおりましたけれど、行き逢えましたか?」

「は、はい。お騒がせを致しましたて、面目次第もございません!」


 北の方さま……由良姫さまはにっこりと笑って首を振られた。


「それならば良かったわ。そちらは……ええっと」

「これはご無礼を。ほら、ご挨拶せぬか」

 促されて、私は深々と頭を下げた。


「佳穂と申します。本日はご拝謁を賜りまして、光栄至極にございます」

 由良姫さまはクスクスと笑われた。

「通清から少しお話を聞いてはおりましたけれど……可愛らしい外見に似合わず活発な方なのね。お怪我はありませんでしたか?」

 言われて私は真っ赤になった。

 どうやら……どこからかは分からないけれど、木登りしていたのをご覧になられていたらしい。


「も、申し訳ございません!お恥ずかしい限りで……!」

 正清さまが、こちらが気の毒になるくらい狼狽して頭を下げられる。


「ご覧のとおり、妻はこのような……なんというか、田舎育ちで世慣れぬというか、本当にまだ子供のような女で、とても北の方さまにお目通り願えるようなものではなく。お見苦しいところをご覧に入れたようでまことに申し訳ござりませぬ…」


 何と言われてもこの場合、仕方がないので私もその隣りでひたすら小さくなって頭を下げる。


 ああ…。

 なんだってあの時、猫の声なんかに気づいたりしたのかしら。

 そして、自分で木の上に登ろうだなんてとんでもない考えを起したのかしら。


 婚礼の夜、正清さまを馬泥棒と間違えたときもそうだったけれど、どうも私にはよく考えずに行動してしまって、あとから困ったはめに陥るという癖があるらしい。

 これからは馬が鳴こうが猫が鳴こうが、軽はずみに部屋を出ないように気をつけよう。


「あら。勘違いしないで。咎めているわけではないのよ」

 由良姫さまが軽やかに言われた。

「佳穂どの、と仰いましたわね。想像していたよりもずっと可愛らしい方。 正清が大事に隠して、人前に出そうとしないのも無理はないわね」


「いえ!そのような……」

 正清さまが否定しかけるのを遮って、

「我儘を言って来ていただいたかいがあったわ。どうぞこちらへ。 よろしければお近づきにならせて下さいませね」

 優雅に裾を捌いて、室内に入っていかれようとする。


 濡れ縁との境でこちらを振り返って、いざなうように小首を傾げられる。


 そのお声。

 物の仰りよう。


 小さな仕草のひとつひとつが、とても優雅で洗練されていて。

 私は今の状況も忘れてうっとりと御方さまを見上げた。


 見えない糸に引かれたように、ふらふらと立ち上がりかけた私を正清さまが慌てて制した。


「いえ!恐れながら、こんな無作法者に御方さまの大切なお時間を割いていただくわけには参りませぬ。

連れてかえって、それがしからようく言い聞かせておきますゆえ今日のところはこれにて失礼を……」


「あら」

 由良姫さまが軽く正清さまを睨まれた。


「そんな事を一度連れて帰ったらもう二度と会わせてはくれないつもりでしょう。ダメよ。こんな面白そうな方をこのままお話もしないで帰せないわ。 ねえ、佳穂どの?」


 そういわれて、否定するわけにも頷くわけにもいかずに、困って私はお二人のお顔を交互に伺った。


 そこへ浅茅さんと、最初に私を案内してくれた千夏どのといった女房どのが連れ立って戻って来られた。

 由良姫さまがいらっしゃるのを見て驚いた顔をする。


「ま、御方さま!そのような端近に……」

 浅茅さんが眉をひそめて言いかけて、私たちに気がついた。


「まあ。鎌田どの。そちらは……」

「お騒がせ致した。妻の佳穂です」


 私は慌てて頭を下げた。


「ご無事でいらしたのならよろしゅうございました。それで何処に……」

「浅茅。そんな事はどうでも良いではありませぬか。それよりそなたからも言っておくれ。せっかく来ていただいたのに、正清ったらもう佳穂どのを連れて帰るなんて言うのよ」


「え、いや…それは…」

 さすがに浅茅さんの前で木登り云々のことを持ち出すのはためらわれるらしくて、正清さまが言葉を濁す。


「いくら大切な北の方とはいえ、あんまりだわ。 私、お会いできるのを楽しみにしていたのに」


 由良姫さまはわざと可愛らしく拗ねたように言われる。

 浅茅さんがふっと表情を緩めた。


「あらあら。鎌田どのが年の離れたご内室を風にも当てぬように大切にしておいでだという家中の噂は本当でしたのね。けれど、せっかくのお方さまの思し召し。 今日一日くらい外の風に当てて差し上げなくてもよろしいではありませぬか」


 浅茅さんににこやかに、澱みなく言われて正清さまは進退に困られたようだった。


 恨めしげにちらりと私を見る。

 私は申し訳なさに首を縮める。


「そんなにご心配なさらなくても、誰もとって食べたり致しませんわよ。あとでちゃんとお送りいたしますからご安心を」

「いや。それがしは別に…」


「殿へのご奉公一途で、堅物と評判の鎌田どのにも、こんな可愛らしい泣き所がございましたのね。 少々意外でしたわ」

 からかうように言われて、正清さまはたまりかねた様子ですっと立ち上がられた。


「では、それがしは表に戻らせていただきます故。妻のこと、よろしくお願い申し上げます」


 そう言うと、私にだけ聞こえるような小声で、

「よいか。くれぐれも、もう馬鹿げた真似をするでないぞ…!」

 と念を押して、足早に立ち去っていかれた。


 そのお背中を心細さ半分、お叱りを受けるのが先延ばしにされてほっとしている気持ち半分でお見送りしている私に、


「本当に仲が良いのね。ほんの少し離れただけでもそんなに寂しい?」

 由良姫さまの笑みを含んだお声がかけられる。


「い、いえ!そういうわけでは…」

 慌ててぶんぶんと首を振ると、

「あらつれないこと。正清が可哀想ね。あんなにあなたを大切にしているみたいなのに」

と言われる。


からかっていらっしゃるのは分かっているのだけれど、どうかわしていいのか分からず私は困ってしまった。


「その……殿、いえ、夫は私が目を話した隙にまた妙な真似をしでかさないか心配しているだけで……その、別に大切にしているわけでは……」


口ごもりつつ言うと、由良姫さまはクスクスと口元を覆って笑われた。


「確かに、あなたはなかなか目の離せない奥方のようね」

 どうやら、殿の北の方さまは事前にお話に伺っていたよりもずっと朗らかで、親しみやすい気立ての御方らしい。


 正清さまのお話からは、随分と気位の高い、近寄りがたい雰囲気の女性という印象を受けていたので少し意外だったが、ほっとした。


 浅茅さんは、ちょっと眉を上げてそんな私を見て、それから由良姫さまの方をちらりと見やってから


「何にせよ、こんなところでいつまでも立ち話をしていないでお居間の方へお通りいただきましょう。

 ……佳穂どの、と申されましたな? どうぞこちらへ」


 誘われて、私はおずおずと浅茅さまの後ろに従った。


 由良姫さまのお居間は、北の対の東側に面した明るく広々としたお部屋だった。

 先ほど通された小部屋と同様、華美に過ぎない趣味のいい調度品が、品よく並べられている。


 由良姫さまの御座に向き合う形で設えられた席に案内されて座ると、あらためて私は深々と頭を下げた。


「此度はお目通りをお許しいただき、有難うございます。鎌田次郎正清の妻で佳穂と申します」


 由良姫さまはにっこりと微笑まれた。


「こちらこそ。急なお願いに応じていただいてありがとう。由良と申します。どうぞ、よしなに」


 端正すぎて、一見冷たそうに見えるその細面の美貌が、ひとたび微笑まれた途端、ふわりと優しくなって、まるで白い花が開くかのようだった。


 座には、私と由良姫さまの他には浅茅さん。

 それと、最初に私を案内してくれた千夏と呼ばれた若い女房どの。

 

 少し離れた廂の間にも数人の女房が、それぞれに私から見たらまるでどれも姫君のお衣装のような美しい装束を見につけて伺候していた。


 そのどこにも小妙さんの姿は見えない。


 たまたま今は座を外しているだけなのか。

 それとも、まだ逃げていったゆき姫を探しているのか……。

 無事にみつかったならいいのだけれど。


 ひそかに案じていると、上座から声がかけられた。


「佳穂どのはおいくつになられるの?」

「はい。今年、十五になります」

「道理で可愛らしいこと。祝言は確か…」

「一昨年の秋でございます」

「そうそう。確か鬼武者が生まれた翌年だったわね。思い出したわ」

 由良姫さまは呟くように言われて、ふいにクスクスと笑い出した。


「その折に婚礼から戻った通清からあなたのお話を聞いたのだったわ」


 義父上から婚礼の折のお話って……。

 言ったらあのお話しかないわよね。


 私は全身から変な汗が噴出すのを感じながら、俯いた。


 浅茅さんや他の女房たちも面白そうにそれを聞いている様子から、どうやらこちらの御殿では周知の事実らしい。

 まったく義父上ったら……!

 

 正清さまが私をこちらへ連れて参上するのを渋られたのも無理はない。

 この様子では、参上する前からとっくに好奇の的だった感じだもの。


 しかも、私ときたら、その汚名を漱ぐどころか上塗りをするかのような真似をさっきしでかしたばかりだし。

 もじもじしている私を見て、由良姫さまは優しく微笑まれた。


「通清から聞いた話から、どんな勇ましい女傑なのかと思ったら、お会いしてみたら虫も殺さぬような可愛らしい方なのですもの。 びっくりしてしまったわ。あのお話は本当なの?確か、お館に押し入った賊に長櫃を投げつけて退治したとか……」


 私はがくりと前のめりに転びそうになった。

 噂に尾ひれがつくのはつき物とはいえ、これはあまりに酷い……!


「いえいえ!そんな大仰なことではなく!ただ、その婚礼の前夜の夜更けに我が邸に着いた正清さま…っと、夫が厩にいたのを、馬泥棒と間違えて、ちょっとした騒ぎになってしまった、だけ、で……」


 言っている途中で、「しまった」と思ったけれどもう遅く。

 気がつくと、座は笑いに包まれていた。


「まあ。では婚礼の前夜に正清を賊と間違えて打ちかかったというのは本当なのね?」

 由良姫さまがころころと鈴を転がすようなお声で笑いながら言われる。


 私は真っ赤になって俯いた。

 由良姫さまのお声の調子や場の雰囲気から嘲られているわけではないのは分かるけれど、なんにせよ恥ずかしいことに変わりはない。


「いえ。打ちかかってはおりませぬ…」


 蚊の鳴くような声でそっと訂正するのが精一杯だった。

 けれど、世の中何が幸いするか分からないもので。

 

 その話をきっかけに場の雰囲気は和らいで、その後は浅茅さんや他の女房どのたちも交えて、随分と和やかに談笑が続いた。


 小妙さんが八岐大蛇だと言った浅茅さんもニコニコと笑っている。


 風変りな田舎者と珍しがられているだけなのは重々承知だけれど。

 とりあえず、夫の主家の北の方さまの心証を著しく損ねずに済んだことに私は胸を撫で下ろした。


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