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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第二章 上洛
16/122

16.再会

 九月の二十日過ぎ。私たちの一行はようやく京の都へと入った。


 四条大路の北、高倉小路を入った辺りにある父さまが用意してくれた館にいったん入り、その日のうちに私は橋田どのに伴われて六条堀河の源氏の棟梁、為義さまのお邸にご挨拶に参上することになっていた。


槙野だけがついてきた。ちなみに私たちはいまだ、冷戦中である。


「我が殿、通清さまは近頃では六条堀河のお邸にほどんど詰めきりでして。すぐ側に自身のお邸もお持ちなのですが。御方さまがお着きになられたら、六条殿の方へお連れするようにとのことでございます」


例の病の一件以来、ぐっと私に打ち解けた態度を見せてくれるようになった橋田どのは、私と槙野との間に流れる冷ややかな空気に遠慮しながら説明してくれた。


「あの……槙野どのと何かございましたので?」


 瀬田の宿を出てから、もう何度目かの質問を橋田どのがこっそり投げかけてくる。

「いいえ、別に何も!」


その都度、私はそう答える。

あんな理由、恥ずかしくてとても人には言えやしない。


槙野は槙野で、自分のしたことは、あるじである私の為にしたと固く信じ込んでいるようで、絶対に謝ってこようとしない。


そんなこんなで、今までの付き合いのなかでも最長の喧嘩の期間を、日々更新しているのだけれど。

正直、私の方はもうそんなには怒っていなかったのだけれど。(怒ったところで今更、仕方ないし)


けれど、思い返しただけで今でも顔から日が出るほど恥ずかしくて、とても槙野の顔なんてまともに見られなくて。

結局、仲直り出来ないでいる、というわけなのだった。



六条堀河邸に着いた。

源氏の棟梁たる方のお邸だけあって、さすがに広く、建物全体が重厚な厳しさに包まれているような気がする。


渡殿をいくつも渡った先の、小さな部屋に私たちは通された。


邸内でいうと、西の対屋あたりになるのかしら。

簡素だけれど、趣味のいい調度でまとめられた感じのいいお部屋だった。


小半刻ほどして賑やかなお声が縁先に響いた。


「おお、おお!佳穂どのか!よう来た、よう来た!」


日に灼けた、人懐こそうな笑顔で室内に入ってこられたのは婚礼の日以来お目にかかる通清義父上だった。


私は慌てて平伏した。


「おひさしゅうございます。義父上さま。この度は上洛の労をおとりいただき……」


「よいよい。堅苦しい挨拶は」


義父上は豪快に笑って私の挨拶を遮られた。


「そんなことよりこの義父によう顔を見せておくれ。おお、大人びられたことよ。年齢はいくつになったのだったかな?」


「はい。十五になりました」

答えると、義父上は満足げに目を細められた。


「花なら蕾の年頃じゃな。こんなに可愛らしい妻を、そこいらに放り出しておくとは、息子の気が知れぬわ」


正清さまのお名前が出たので、私は思いきって気になっていた事を尋ねてみた。


「あの……義父上さま。我が殿……正清さまはいずこにおられましょう。こちらにおいでではないのでしょうか?」


いくら、随行役の橋田どのが通清義父上の直属の部下だとはいえ、夫である正清さまのもとより先に、この六条堀河に連れてこられたこと。

そして、迎えてくださった義父上さまが正清さまとご一緒ではなかったことに私は少なからず違和感を覚えていた。


「おお、おお。そうか。こんな爺の顔を拝むために遠路はるばる上洛してきたわけではないのだものな。

やはり、正清の方がよいか」


「い、いえ。そういうわけでは…」


私は頬を染めて首を振った。


「ただ…その、上洛を促して下さるお使いをいただいて以来、我が殿からはいっこう何の音沙汰もないのが、すこし気になっておりまして……。あの、正清さまは今回のわたくしの上洛のこと……本当にご承知でいらっしゃいますのでしょうか?」


 義父上はちょっと目を丸くされて、それからゆっくりと微笑まれた。

「あのう……」

「いや、案ずることはない。あれには使いを出してある。もうおっつけここへ参ろう」


そう言って、義父上は「道中、疲れたであろう?」だとか「京の都は賑やかであろう。驚いたのではないか?」などと当たり障りのない話題に話をふってしまわれた。


「橋田どのがなにくれとなくお世話くださいましたので、とても快適な道中でございました」

 にっこりと笑ってこちらも当たり障りのない返事を返しながら。


 やっぱり今回の上洛は通清義父上の独断で行われて、正清さまは何もご存知ないのでは…という確信を内心ひそかに固めていた。


どうして義父上がそんなことをされたのか分からないけれど。

 そしてそれを知った正清さまがどんな反応をされるのか……と思うと、正直不安があるけれど。


 私は今もうここに来てしまっているわけで。

 それについては、くよくよ思い悩んでも仕方ない。


 ただ、槙野がこの間からくり返し言っている通り、私はやっぱり少しばかり「ややこしい御家」に嫁いでしまったのかもしれない。


 しばらくして、橋田どのがやってきて正清さまの訪れを告げた。

 どんな表情をしていていいのか分からずにもじもじしている私に、義父上が台盤所に酒肴の支度がしてあるので運んでくるように言いつけた。


「長旅で疲れておるところをすまぬな」

「いえ。とんでもございません」


することが出来て、むしろほっとしながら私は立ち上がった。

橋田どのに教えられて台盤所へ向かうと、もう徳利と盃、簡単な肴の乗ったお膳が用意されていた。


お膳を受け取って戻ると、元の居間から義父上のお声が聞こえてきた。

低くてよく響くお声なので、三間先ほどからでも洩れ聞こえてくる。


「申し忘れておったが、わしはこの度、後添えを迎えることにした」

「それはまた……急なことでござりまするな」


戸惑いがちに答えたお声は正清さまのものだった。

久しぶりに聞くお声に鼓動が跳ねる。


妻戸のそばまで寄って、そっと耳をそばだててみる。


「そなたにとっては一応、義理の母となるゆえ引き合わせておこう。まあ、義母とはいってもそなたよりもずっと年若だが……」

義父上の得意げなお声が続く。


「いったいお幾つの方なのです」

「今年で十五じゃ」

「じゅ………っ!?」

正清さまが絶句される気配がする。


妻戸のこちらからでも、その表情が目に見えるようで私はそっと笑いを堪えた。


どうやら義父上は、この状況をつかってひと遊びなされるおつもりらしい。

婚礼の夜に、正清さまが義父上のことを「冗談が好きな人で」と仰っていたのを思い出した。


その時。「戻ったか?入って参れ」と義父上のお声がした。


一瞬、躊躇ったが、ここまできて迷っていても仕方がない。


「失礼します」

と声をかけて、心もち俯き加減になって室内に入っていった。


義父上が指し示す座につき、深々と平伏する。

ゆっくりと顔を上げると、訝しげにこちらをご覧になられていた正清さまの表情が一変した。


「なっ……!」

それきりお声にならないのを楽しげにご覧になりながら、義父上が私の肩に手を置かれる。


「これがそなたの義母になるわしの新しい内室じゃ。どうだ、美しかろう?」


 どういう顔をしていいのか分からずに、じっと俯いていると、


「おまえっ…佳穂!どうしてここに……こんなところで何をしておる!」

 頭の上からお声が降ってきた。


やっぱり正清さまは私の上洛のことなど何もご存知なかったらしい。

そっと義父上の方をみやると、まだ大真面目なお顔をなさって、


「この者はな。もともと人の妻であったのだがその夫というのが薄情な男でな。あるじへのご奉公の多忙を理由に、婚礼以来、ろくに家にも寄りつかなんだらしい。独り無聊をかこっているのが可哀想で、わしが引き取ることにしたのだ」

などと、仰っている。


「父上!!」

 正清さまが真っ赤になって怒鳴られる。


「戯れもいい加減にして下さい!……これはいったい、いかなる事なのです!」

「如何なることも何も。今申した通りじゃ。おまえがいつまでもこの佳穂どのをこちらへ呼び寄せもせず放り出しておくから、わしが貰いうけることにしたのだ」

「父上!」

「まあ、それは冗談にせよ。いまだ跡取りもおらぬのに夫婦がいつまでも離れて暮らしておるのは良くない。 そなたが何かと忙しそうにしておるから、わしが気を利かせて連れてきてやったのだ。嬉しかろう」


義父上はそう言って、私の背を押し、正清さまの方に押しやるようにされた。

「さ、遠慮のう持って帰れ」


「何が遠慮のう、ですか!」

 噛み付くように言って、正清さまは私に向き直られた。

「佳穂、これはどういうことだ」


 今まで見たこともないほど怖いお顔をされている。私は思わず首を縮めて平伏した。


「も、申し訳ございませぬ」

 義父上がのんびりと割って入られる。


「佳穂どのを怒っても仕方がないぞ。わしがそなたも承知の上での事じゃと偽りを申して呼び寄せたのだからな」

「それにしても…!ひと言くらい俺に確認をとっても良さそうなものだろうが!それを何のことわりもなく事を運んだ挙句に、今しがたはあのようなふざけ散らした振る舞いにまで加担しおって…!おまえは俺を馬鹿にしておるのかっ!」


「い、いえ。決してそのような……」


思ったよりもずっと激しいお怒りに、私は身のおきどころもなく頭を下げた。


生まれて以来、父さまにも兄さま方にも声を荒げて怒られたことなどほどんどなかった為、そんな風に怒鳴りつけられると怖くて、自然に涙が浮んでくる。

それを見て、義父上が眉をしかめられた。


「佳穂どのは何も知らなかったと申しておろう。なんだ。わしに怒れぬところを妻にえらそうに当り散らしたりして……器の小さい男じゃのう」


「な……っ!」

正清さまのお顔に血の色が上がるのを見て、私は慌てて言った。


「いえ…いえ!知らぬこととはいえ、殿のお考えをきちんと確かめもせずに勝手をした私が悪いのです。本当に申し訳ございません…」


「そなたは悪くないというに。可哀想に。正清。そなた、今までも妻にそのように横暴に威張り散らしておったのか。父は情けないぞ」

「いいえ、決してそのような」

 私は夢中で首を横に振った。


「殿は本当に佳穂にはもったいない背の君にございます。お会いしたいあまり、お伺いもたてずに上洛してしまったこと、思慮が浅かったと反省いたしております。 殿がさようにご不興であられるのならば、すぐにでも失礼いたしますゆえ……そのように義父上さまと諍いをあそばさないで下さいませ」


「なんと可愛いことをいう」

 義父上が目を細めて私の肩を抱き寄せられた。


「橋田がさんざん褒めておったが、そなたは心優しきおなごじゃのう。 そこの朴念仁にはもったいない。

 どうしても正清が帰れというのならやむを得ぬが。その前にせめて、京見物でもしていったらどうじゃ?

 この父が、清水でもどこでも行きたいところへ連れていってやろう」


「あの……」

 戸惑う私の腕を反対側から正清さまが引き寄せられた。


「誰も帰れなどと申しておりませぬ!佳穂、こっちへ来い!」


「何をする。そなたなどに渡せばまた泣かされるだけだ。威張るしか能のない男にはこれはやらぬわ」

「やらぬもなにも、そもそも、これは父上のものではございますまい」


「自分のものだというのなら、もうちっと大事にせよと言うておるのだ。わしにも呼び寄せた責任というものがあるからな。粗末にされると分かっておって渡すわけにはゆかぬ」


両側から腕を引かれて私は困り果てた。

「あ、あの……、殿?義父上さま……?」


「お二人ともいい加減になされませ!御方さまは長旅をして、いましがた京に着かれたばかりなのですぞ!」

部屋の隅に控えていた橋田どのが怒鳴った。


お二人の手が離れた隙に、私はおずおずと正清さまの側に身を寄せた。


「なんじゃ、つまらん。威張り散らすばかりの男でもやはりそっちが良いか」

義父上が鼻をならして言われた。

「また苛められたらいつでもこの父に言うのだぞ」


 正清さまは頭痛がする時のようにこめかみを押さえられて、

「まったく……火急の用があるなどと申されるから急いできてみれば……。帰るぞ、佳穂」

 私の手を掴んで立ち上がられた。


「なんじゃ。もう帰るのか。たまにはこちらでも宿直(とのい)のひとつも勤めたらどうだ。我が鎌田家は源家累代の家人。棟梁たる為義公へのご奉公も大切なつとめぞ」


 瞬間、お二人の間の空気がピン、と張り詰めるのが分かった。


「そもそも、帰るといったところでどこへ佳穂どのを連れてゆくのだ? おまえのいる男ばかりの曹司に一緒に住まわせるわけにもゆくまい。うちへ置いておいて、そなたがそこへ通ってくればよいではないか。

東の部屋なら、まだ空けてあるぞ」


 義父上が口調はあくまで、穏やかにのんびりと言われる。


「父上がご心配なさるには及びません。ゆくぞ、佳穂」

 正清さまは小さく一礼すると、足音も荒く部屋を出ていってしまわれた。


 私も慌てて義父上に一礼してお後を追う。 部屋を出るところで振り返ると、義父上が穏やかな、けれど、どこか寂しげな笑顔でこちらを見送っていられるのが見えた。

 

 正清さまは黙って足早に歩いていかれる。


 私も懸命にあとを追ったが、もともとの歩幅が違うものだからほとんど小走りになって、息を切らせながらついていくと、途中でそれに気がついた正清さまが振り返って足をとめて下さった。


「も、申し訳……ございません…」

「いや。こちらこそ、父の悪ふざけに巻き込んで悪かった」


 呟くように云われると、今度は少し速度を落としてまた先に歩いていかれる。


 そのお背中について歩きながら、槙野が心配していたのとはまた別の意味で、これからの京での暮らしは平穏にはいかなそうな予感を、私は覚えていた。




 






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