14.撫子の扇
久安六年(1150年)九月
その日も朝から槇野は、上洛のお沙汰がないことについてブツブツと文句を言っていた。
前回、七平太が訪れた時以来、槇野はもう遠慮も会釈もなくおおっぴらに正清さまのなさりようについて愚痴を言っている。
何度か母さまが嗜めて下さって一時はそれもおさまっていたのだけれど。
最近ではもうその効き目も薄れ、暇さえあれば
「だからあんな気心も知れぬよそ者の東国侍なんかに姫さまを差し上げるのは反対だったんです!」
と、文句を言い暮らしている。
また、この間みたいに茶化してもかえって面倒なことになりそうなので基本的に聞き流すようにはしているけれど。 毎日毎日、そんな事ばかり聞かされているとさすがにうんざりしてくる。
(あー、もう。この際、私はもういいから槇野だけでも誰か京に連れていってくれないかしら。)
そんな事すら思い始めていた折のことだった。
自室で秋の風を楽しみながら、楓と双六などしていると。
どどどどどどっ!
と、館を揺るがすような音を響かせて、誰かが渡殿を駆けてくる足音がした。
驚いているうちに御簾を蹴飛ばすような勢いで、室内に飛び込んできたのは槇野であった。
「何よ、もう。若い侍女たちが少しでも廊下を走ったら目を吊り上げて怒るくせに」
呆れて言うと、槇野は息を切らせながら
「も、申し訳ござりませぬ。一刻も早く姫さまにお知らせしたくて……」
とその場に膝をついた。
「姫さま。おめでとうございます……っ!」
「え?」
「殿から……正清さまからのご使者にございます。『吉日を選んで、一刻も早く上洛せよ』との御文を携えたご使者が、たった今お着きになられましてございますっ」
「殿から……」
私は喜ぶ、というよりもぽかんとして、手にしていた双六の筒を台の上に置いた。
「それはまた…随分と急なお話ね」
「何が急なものですかっ!春からこっちもう半年以上も待たされ続けて、やっと、やっとのお召しではございませぬか!」
槇野はそう言ったけれど、私はなんとなく腑に落ちない気持ちで首を傾げた。
「ご使者って?七平太が来ているの?」
「いえ。それが。此度は橋田三郎光義とおっしゃる方がおみえになっておられます」
「橋田三郎……」
誰だろう。
殿のお供まわりの者の名は一通り記憶しているつもりだったけれど、その名には覚えがなかった。
「どうして今回に限ってお使いが七平太じゃないのかしら?」
「さあ。このような重要なお使いの折ゆえ、あのような若輩者では心許ないとでも思し召しになられたのではありませぬか」
槇野はもう有頂天といっていい浮かれぶりである。
「そんな事はどうでも良いではありませぬか。橋田殿をこちらへお通り頂いてよろしゅうございますか?」
「ええ。もちろん」
私は頷いたけれど、腑に落ちない思いはまだ続いていた。
そもそも、『吉日を選んで一日も早く上洛せよ』なんていう言い回しが何となくいつもの正清さまらしくないというか……。
結婚してまだ年月も浅いし、お会いしたのも数えるほどしかない夫君だけれど。
正清さまだったら、こんな時、まずは先に御文を下さって、
「いつくらいにこちらへ迎えようかと考えている。その心づもりで支度をしておくように」
とか伝えて下さるような気がする。
そのうえで、こんな折だからこそ、私も顔見知りで、気心の知れた七平太を迎えに差し向けて下さるような気がするんだけど……。
それを口にすると、傍らに控えた楓は、
「そんなお気も回らないほど、殿も姫さまに早くお会いしたいと思し召しなのでしょう」
と嬉しそうに言った。
そこへ槇野の先導で、ご使者だという橋田三郎どのがやってきた。
浅葱色の直垂に身を包んだ、通清義父上や、うちの父さまと同じ年頃の男性だった。
よく日に灼けた人の良さそうな顔は、槇野の夫の清五郎を思い出させる。
「御方さま。この度はおめでとうござりまする」
橋田どのは座につくと、まずは深々と一礼した。
私も慎み深く会釈を返したが、次の言葉を聞いた途端、思わず目を丸くした。
「それがしは鎌田の大殿、通清さまにお仕えしておる橋田五郎光義と申す者でございます。
お初にお目にかかりまする。この度、大殿の御命を受けて、御方さまを京のお邸へとお迎えするべく、罷りこしましてございまする。
不肖ながら身を尽くして勤めさせていただきますゆえ、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
その口上が終るのを待って私は慌てて口を開いた。
「お待ち下さい。橋田殿。今、大殿の御命でと申されましたか?」
「はい」
「あの……それはどういった事でしょう。この度のお使いは我が夫……正清さまからではないのですか?」
「あ、いえ もちろん、若殿、いえ正清さまの思し召しでもございます。その、それがしがこちらに参ったのは確かに大殿のお指図ですが…若殿も勿論、御方さまのご到着を首を長くして待っておいででございます」
なんだか、よく分からない……。
私は首を捻った。
通清義父上とは、婚礼の折にお会いしたきり。
確かにあの折は、私のことを気に入って(というか面白がって)下さっていたようではあったけれど、 それ以後、そんなに交流があったわけでもなく。
その義父上が正清さまに替わって、息子の嫁である私の上洛のお世話をやいて下さる、というのがどうにも解せなかった。
すっきりしない気持ちを抱えている私をよそに、その日から邸内は上洛準備におおわらわになった。
九月の初旬。
私は生まれてから十五年間、住み慣れたこの野間庄を離れ、京へと発つこととなった。
母さまは、いつも通り朗らかな笑みを絶やさなかったけれど。
私が車に乗り込む直前。
ふいに「佳穂」と小声で言われると、私を抱きしめて下さった。
母さまが衣に薫きしめていらっしゃる香がふわりと私を包む。
「息災で。正清さまの仰せによく従って、夫婦仲良く暮らすのですよ」
「はい。母さま」
「この野間の里しか知らずに育ったそなたが都にあがれば、何かとつらいこともあるでしょう。他の人が何を言っても、それで自分の値打ちを貶めるようなことがあってはなりませぬよ」
「……はい。母さま」
「あなたのその明るい気立てが、きっと夫君とそのお家に幸いをたくさん運びます。そのつもりで。いつも笑顔を絶やさぬように」
「分かりましたわ。母さま。この間からそればっかり」
母さまは、うふふと笑って、
「私も年かしら。煩わしいとばかり思っていた年寄りの繰言を自分が言うようになりました。でも、最後にこれだけ」
そう言って、強く私を抱きしめた。
「佳穂。可愛い姫。……母はいつでもここからそなたの幸せを祈っております。それを忘れないで」
頷く私の後ろで、槇野がまたあたりを憚らずに泣いている。
槇野は、母さまが長田の家に嫁がれる時に一緒についてきて、私の乳母になるまではずっと母さまの一の女房を勤めていた
それゆえ、母さまとの別離となる今回の上洛は感慨もひとしおなのだろう。
母さまは、潤んだ瞳で苦笑されながら、槇野を宥めている。
父さまはといえば、上洛が決まって以来ずっと
「こんなことなら親戚筋か、家臣の誰かにやれば良かった」
と、ずっとブツブツこぼされている。
それでも、この度の上洛にあたって在京の知人の方をあたって、四条辺りに小さな家を用意して下さっていた。
現代のように、殿方が複数の妻妾をもつのが当然という風潮の世の中の場合。
妻たちの間の優劣を決めるのは、要は実家方の財力や人脈。
それらを使って、いかに婿君を力強く後援出来るかにかかっていると言っても良かった。
もちろん、槇野がしきりに気を揉んでいるように、跡継ぎとなる男子の有無というのも大きいだろう。
けれど、他の女人に先駆けて男子を挙げればそれで「勝ち」なのかというと、そういうわけでもなく……。
2番目、3番目に男子を儲けた妻の実家が裕福だったり、血筋が良かったりした場合は、長男、次男を飛び越えて三男が「嫡男」という場合も結構ある。
現に正清さまの御あるじ、義朝さまのところがそうだ。
生まれ順では、三男にあたる鬼武者さまが、東国の有力豪族、三浦氏の姫をご生母とされている長男義平さまや、同じく、波多野氏の姫君をご生母として生まれられた次男朝長さまを差し置いて、まだ齢三つにしてすでに嫡男の待遇を受けておられるのは、ご生母、由良姫さまが、熱田神宮の宮司の姫という由緒正しいお家柄の姫君であられたことと。
あとは、舅であられる藤原季範さまが、待賢門院璋子さまのお側近くお仕えしていて、中央の政界に繋がりを持っておられるという事が大きかったみたいだ。
うちみたいな、高貴な血筋も、中央政界への伝手も持たない田舎豪族の家の場合、どれだけ財政面で婿君のお暮らしを支え、お力になれるのかというのが鍵となってくる。
こんな事を言うのは、身もフタもないけれど。
鎌田のお家が、私を正清さまの妻として望まれたのも、伊勢の海の交易権を持っていて財政的に豊かな我が家の財力を見込まれて というのが一番の理由だと思う。
それが分かっているからこそ。
父さまは、京へわざわざ屋敷をしつらえ、私がそこで正清さまをお迎え出来るように配慮して下さったのだろう。
あちらのお屋敷に一部屋をいただいてそちらに引き取られるのと、小さくても館女主人としてそこで夫を迎えるのでは妻としての有り様が違う。
縁もゆかりもない京の都で、夫だけを頼みに上洛した私が心許ない思いをしなくても良いように、という親らしい、お優しいお心遣いだった。
いよいよ、車に乗り込もうとした時。
見送りの人垣の向こうに致高さまの姿が見えた。
婚礼の日以来、ふっつりとこちらへの訪れをやめてしまわれていたけれど。
数日前。
ほんのついでのように、ふらりと私の居間の前の庭を通りかかられて、濡れ縁の欄干越しに放り投げるようにして、一本の扇を下さった。
広げてみると、撫子の絵柄が描いてあった。
私の一番好きな花だ。
「餞別だ」
そう言い捨てるなり、御礼をいいかける私を一瞥もせずに背を向けてしまわれた。
「致高さま。どうぞお元気で」
背中に向かってそう声をかけたけれど、お返事はなく。
とうとう一度も振り返られなかった。
年明けて春には、北の方を娶られるらしいと槇野から聞いたのはその翌日のことだった。
撫子の扇は、今も私の懐におさまっている。
 




