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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第六章 慟哭
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苦悩

「ひそかにお逃しいたしましょう。都を落ち、東国へ入ってしまえばそこはもう朝廷の手は及びませぬ。この正清がお供いたします」


 家臣の主だったものを集めた場で、真っ先に口を開いた正清の進言をきいた義朝はかたわらの脇息を拳で殴りつけた。


「簡単に申すな。それが出来れば何も悩まぬ。発覚すればどうなる? 褒賞としての今の地位を失うだけならばまだ良い。下手をすれば主上を欺いた咎で俺までもが罪人とされるかもしれぬのだぞ!!」

 その語気の強さに、正清の意見に同意しかけていた家臣たちが皆、口をつぐんで視線をそらす。


「そこは身代わりを立てれば……大殿に面差しの似た老武者の首を探させてそれを差し上げれば良いのです」


「いや。源氏の棟梁として長く都でお過ごしの大殿のお顔を知る者は多く、下手のことをすればすぐに見破られてしまうだろう。ただでさえ身内による処刑ということで身代わりを疑う者は多いだろうし」


「しかし、大殿をはじめ五人の御曹司がたを皆殺せとは無茶な。信西入道は一門の血を絶やすおつもりか」


家臣たちが口々に意見を述べたが、どれもまさか為義を斬るわけにはいかない、だが朝廷に逆らってすべてを取り上げられては元も子も──という意見ばかりで、どうすべきかという具体的な提案がなされることはなかった。


次第に、末席の方で控えて成り行きを見守っていた者たちの間にもざわめきが広がり始めた。


「殿は此度の戦勝将軍であろう。それが褒美を下さるどころか親兄弟を殺せとは。こんな馬鹿な話があるか! 断固、その信西とかいう坊主に抗議するべきだ」

「いや、今回の命令は表向きは勅命で、今上帝直々のご命令ということになっておる。逆らえばそれこそ朝敵に……」


「今の主上は今様狂いで政など興味がなく、その坊主に任せっきりというではないか。そんな方が、もう何百年も例のない死罪などお命じになるものか。すべてその信西坊主の差し金であろうよ」


「誰の差し金であろうと勅命として下されていれば同じことよ。ここで不興をかって義朝様まで朝敵ということになどなったら、いったい我らは何のために先の戦で身命を賭して戦ったのか分からぬ」


「まったく……。我が家は兄と甥が此度の戦で死んでおる。それもこれも義朝さまが源氏の棟梁となられ我ら一門を盛り立てて下さると思えばこその参陣であったのに、無駄死にであったということになどなれば、やりきれぬわ」


「そもそも褒賞を返上などということになったら、我らへの恩賞は出るのか」

「まさか、何もないということはないであろう」

「そうは言っても何もなければ、分け与えるものもないであろう」


「んんっ」

 低い咳払いでそれらのざわめきを黙らせたのは波多野義通だった。


「ことは殿のお身内──ましてや御父君に関わること。血縁以外の者がとやかく言うことではない。殿には殿のお考えがある。我らは殿のご決断を待ち、それに従う。それだけではないか!」


 義通の声には人々を黙らせる威厳があった。

 正清も義通の言ったことに賛成だったが、それはそれとして「血縁以外が」という言葉には、義朝の二男、朝長の生母の兄であり、義朝とは義兄弟の仲であるという特権意識が透けて見えるようだった。


 そう感じたのは正清だけではないようで、後ろの方で

「ふん。そんなことを言うのなら戦も身内だけでやったら良かったじゃないか」

 という囁きが聞こえた。

 義朝は不機嫌そうに押し黙ったまま、じっと目を閉じてそのやりとりを聞いていた。


 義朝の苦悩は深かった。皆を下がらせ、部屋に引き取ったあとも長い間、黙って考え込んでいた。次の間に控えている正清も何も言うことが出来なかった。


 先ほどの会議の場で、正清は「為義をひそかに逃す」という自分の案がもっと支持されるものだと思っていた。もちろん、そう簡単にいかないのは分かっている。

だが、無理を承知で「そうすべきだ」と。「何とかしてその方策を考えよう」という声が主流となると思っていた。


 だが違った。皆の心の中には思った以上に「戦の恩賞が平氏の側に手厚かったこと」を不満に思う気持ちが燻ぶっていた。


 もともと正四位下安芸守の位にあった平清盛と、従五位下下野守で昇殿も許されていなかった義朝との身分の隔たりは大きく、それを考えれば今回の恩賞の沙汰も決して不公平、偏り過ぎているというわけではなかった。


だが、清盛が今回与えられた播磨の国は豊かな国であり、そこの国守となればかなりの富を約束されている。当然、一門やその配下の家臣たちにまでその恩恵が及ぶであろう。


それに比べて義朝が賜った左馬頭という地位、殿上を許されたという栄誉はあくまで義朝個人に属するものである。


「義朝さまも、もっと大国の守の位をお望みになっても良いのではないか。戦の功に比べて褒美が少ないのではないか」

と思っていたところにもってきて今回の沙汰である。


「大殿を斬れとは無体な命令。しかし、ただでさえ少ない恩賞を大殿の助命のために投げ出すとはどういったおつもりか」


もっと言えば

「そんなことを今さらになって言い出すくらいなら、何故、御父上と袂を分かってまで帝方につかれたのか。何のための戦だったのか」

という声なき不満が思った以上に渦巻いているのを正清は知った。


今ここで義朝が、すべての恩賞と引き換えに為義を救いたいと言い出せば、自分や波多野義通をはじめ、義朝により近い立場の者たちは理解を示すだろう。

 だがそれ以外の者たちの心は離れてしまうのではないだろうか。


 それは義朝が一番よく分かっているのだろう。

 義朝の思案は夜が更けても終わることはなかった。



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