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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第六章 慟哭
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為義出頭

 帰ってきた正清を見た義朝は、「よう戻った。よくぞ無事で……」とあたり憚らぬ大声で言って涙を流した。


 通清の死はその夜に佳穂から知らされた。

 自分でも驚くほど静かな気持ちで正清はそれを聞いた。

 自分はとっくにそれを知っていたような気がした。


 が、その一方で父があの明るい声で「おう、正清。戻ったか」と言いながらそのあたりから顔を出しそうな気がして、その父がもうこの世にいないというのが信じられない気もした。


 橋田三郎の話をすると佳穂はまた泣き出した。持ち帰った橋田の遺髪を通清の葬られた寺へ持って行き、側に埋葬して貰った。


 戦勝将軍であり、戦後処理の責任者でもある義朝の毎日は多忙を極めていた。

 正清もその翌日からすぐに義朝のそばに戻り、忙しく働いた。

 

 乱の首謀者の一人である前左大臣頼長の行方は依然知れず、もう一方の首謀者の新院はすでに投降して仁和寺に身を寄せていたが、まさか先の帝という高貴な御方を訊問するわけにもいかず、義朝は苛立っていた。


 信西からは、新院の側近である左京大夫教長、四位少納言成澄、能登守家長と、頼長の従兄弟であり側近く仕えていた藤原盛憲、経憲の兄弟を捕らえて尋問するようにとの命が下された。

 取り調べは東三条殿で行われた。


 四位、五位の殿上人である彼らは容赦なく縄をかけられ、地面の上に引き据えられて、蒼白になり狼狽えた。


盛憲、経憲の二人は、頼長が行ったとされる近衛院、美福門院、両院に対する呪詛に関わった容疑で特に厳しく取り調べられた。


杖で打ち据える拷問も容赦なく行われ、立ち合った役人たちは、泣き叫び許しを請う様子を見るに堪えかねて顔をそむけたり座を立ったりした。


昇殿を赦され、院や大臣という尊貴の方々の側近く仕えた人々が拷問を受けるなどというのは異例のことだった。

噂を聞いた人々は、それを命じた信西の処断の厳しさに驚き、恐れた。


それらの処置には検非違使たちを率いて義朝も立ち合うこともあった。

義朝は、実力者である信西直々の命令に得意そうだったが、正清はその陰惨な取り調べを見るうちに暗い気持ちになった。


そして信西はそういった「汚れ仕事」を同じく「勝軍の将」であるはずの平清盛には命じていなかった。

乱後の除目で播磨守に任じられた清盛は、その後、願い出てさらに異母弟の教盛、頼盛の昇殿を赦されていた。


清盛が自らだけでなく、その一族の栄達をこの勝利によって得ようとしているその頃、義朝のまわりには身の栄達を喜び合い、分かち合うべき身内の姿はなかった。


そんな時。義朝の陣を一人の男が訪ねてきた。

正清はその顔に見覚えがあった。


「花沢ではないか」

 男は六条堀河の邸に仕えていた雑色の花沢だった。上洛したばかりの頃によく見かけたことがある。

 花沢は正清の顔をみると、ほっとした顔になり

「頭の殿にお取次ぎをお願いします」

 と言った。


 花沢を遣わしたのが父の為義だと聞いて義朝は驚いた。


「それで父上はどこにおられる!?」


「東国へと下られる途中、病を得られ近江坂本にてご療養になっておられましたが、先日。比叡山に上られご出家なさいました。かくなるうえは頼れるのは頭の殿ばかりと、恥を捨ててお願い申し上げると仰せになり、それがしを遣わされたのでございます」


「何が恥なものか。ご案じ召さるな。すぐにでも我が邸へお越しいただこう」

 義朝は喜んで迎えの輿を用意させた。


 聞けば、八郎為朝をはじめ息子たちは為義の覚悟を聞くと、泣く泣くそれぞれ父に別れを告げて落ち延びていったという。

 為義の心情を配慮して、正清は自分が迎えの役をかってでた。


「おお。そうしてくれるか」

「はい。亡き父のためにも必ずやご無事で大殿をこちらへお連れいたします」

 正清はそう言って、日が暮れるのを待って出発した。

 

 為義の今の立場は公的には、朝敵側の将である。あまり大々的にご帰還頂くというわけにもいかないのだった。

 為義は身を隠している寺に着いたのはもう夜も更けた頃だった。


「正清か。よう来てくれた」

 小さな寺の薄暗い僧房のなかで、墨染の衣に身を包んだ為義の姿を見た途端、正清は耐えきれずに涙をこぼした。


 いかにもあり合わせといった質素な僧衣に剃髪したばかりの頭の為義は、以前より一回りも小さく、みすぼらしく見えた。


 変わり果てた姿のなかで、それだけは以前と変わらない穏やかな声で名を呼ばれると、こらえようとしてもこらえられず正清は声を殺して咽び泣いた。


「無事であったか。八郎の軍とやりあったと聞いて案じておったが」

「はい。おかげさまでなんとか生き延びることが出来ました」


 為義はやさしく微笑んだ。


「通清は最後までわしに尽くしてくれた。白河北殿に火が放たれ、新院だけでもどうにかお逃しする途中で、追いすがる敵をひきつけて殿軍を引き受けてくれた。長年の忠義に報いてやりとうても今のわしにはもう何もしてやれぬ。せめて、息子のそなたに会って、父の最期は立派であった、坂東武者の手本であったと伝えてやることくらいしか出来ぬ。許せ」


「勿体ない仰せ」

 正清は涙に濡れた顔を上げた。


「父は大殿にお仕え出来て幸せにございました。武士として、男としてこれ以上ないほど満ち足りた生涯であったと思います」


「そういってくれるか。おまえは昔から本当に優しい子だ」

 そう言って袖で目元を拭う為義を、正清はいたわりながら輿にのせた。


「さ、都で殿が首を長くしてお待ちでございます。我が父も大殿がご無事でお戻りと知れば胸をあの世で胸を撫でおろすことでしょう」

 

 夜闇に隠れるようにして都に戻った輿が、三条坊門の邸についたのは白々と夜が明け初めようとする頃だった。



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