恩賞
新院方が立てこもっていた白河北殿はすべて焼失した。
陽が高くのぼるにつれて、焼け跡の無残さが浮き彫りになった。黒焦げになった柱や焼け落ちた御簾と思しき残骸から、白煙がいくつも細くたなびいている。
首謀者である新院と頼長の行方は依然として知れなかったが、当面の危機は去ったとして、帝は戦の最中、避難なさっていた東三条殿から高松殿内裏へ還御された。
主だった諸将もこれに従った。
帝は大層ご機嫌麗しくあられた。信西入道を通して清盛、義朝の二人に特別にお言葉があった。
「逆徒による反乱を瞬時に攻め落とし、国家の危難を救った。その功績は重く恩賞は子々孫々にも及ぼう。引き続き賊徒の探索と殲滅に力を尽くすように」
義朝は御前の前庭の白砂に跪いてこれを聞いた。
戦の前の高揚感はすでに去り、茫漠とした不安と奇妙な焦燥感が胸の内に広がっていた。
夜になって、ふたたび義朝は清盛らとともに高松殿の南庭に召された。
此度は、もう一人の将であり、義朝には大叔父にあたる源義康も一緒である。
昼間と同じく、南面の御簾の前に出てきた信西によって、今回の戦の褒賞が次々と告げられていった。
平清盛は播磨守。
源義康は、右衛門尉から左衛門尉に昇進のうえ、内の昇殿を赦された。
そして義朝に与えられたのは──右馬権頭の地位だった。
義朝は蒼白になった。
今から三年前の仁平三年(1153年)、従五位下下野守という一族のなかでは破格の出世を遂げた義朝は、それからほどなくして馬寮の次官である右馬助という地位を授けられていた。
右馬権頭というのはその上官である。昇進には違いない。
だが、それは清盛の与えられた播磨という豊かな国の守の地位とは比べようのないものだった。
乱の以前、すでに正四位下安芸守の地位にあった清盛と従五位下下野守に過ぎない自分との間の身分の差は嫌というほど分かっている。
だが、父祖の代で開いてしまったその差を埋めるために、今日まで自分は身を削り、親兄弟と敵対してまで働いてきたのではなかったか。
今も行方の知れない父の為義──そして、戦の最中で消息を絶った物心ついて以来片時も離れたことのなかった正清のことを思い、義朝は奥歯を噛みしめた。彼らを失ったのはこんな、わずかひと刻みの階段を、一つだけ上がるためのものだったのか。
自分は何もかもを投げ打つ覚悟で今回の戦に臨んだ。
そして実際、総大将の身で自ら先陣を切り、その身を矢面に晒してまで戦ったのはいったい何のためなのか。
すべては平氏との差を覆し、曽祖父、八幡太郎義家公以来の栄光を取り戻すためではなかったのか。
義朝はきっと顔を上げた。御簾の前に控えた信西入道が青白い顔に怪訝そうな顔でこちらを見下ろしていた。
「畏れながら義朝、此度の御沙汰、了承致しかねます!此度の戦の勝利は我が働きなくば成り難いものであったと存じます。 それを思えば公卿に任じられても決して不足はないものを、親兄弟に弓引いてまで真っ先に此方へ馳せ参じ、身命を賭して働いたのはひとえに主上に対する忠誠心のゆえ。それをこのような情けなき仕打ちで報いられるとは──重ねてご考慮のほどをお願い申し上げたく候!」
信西の顔にありありと驚きの色が広がった。
驚きの色は、明らかな不快、侮蔑の念を覗かせたあと、冷ややかな無表情に覆い隠された。
「不満と申すか」
「功績に見合うものとは思われず──と申し上げております。かようにしか報われることがなければ、落胆のあまり今後、かような凶事が起こった際に此度のように迷わずに馳せ参じることが出来るかどうか……」
脅迫ともとれる言葉であった。信西はつめたい目で義朝を見た。
朝廷の誰もがまっすぐに相対するのを避け、気まずそうに目を逸らす信西の目を義朝はまっすぐに見返してきた。
燃えるような目であった。
「追って沙汰を下す。退がって待て」
信西が短く言うと、義朝よりもかたわらに控えた清盛、義康らがほうっと息を漏らすのが分かった。
数刻の後。
「源義朝を左馬頭に任ず」という宣旨が改めて下された。
 




