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浜松町のある人の話

作者: ewigkeit

なんと殺伐とした世界だろうか。

今日私は一人の行き倒れに出会った。

いや、正確には出会ってはいない。

壁にもたれてうずくまる彼の前を何度も行ったり来たりしただけだ。

そこにいた大多数の人間と同じように。

その人の目の前にはダンボールが置いてあり、そこには紙が貼り付けてあった。

よく見ると鉛筆で何か書いてある。小学生のような字だった。

あまりじっくりと読むことは出来なかった。道行く人に奇異の目で見られることを恐れたからだ。しかし、大体このようなことが書いてあったように思う。


「千葉から出てきてなんとかここまで歩いてきた。けれどお金が尽きてしまい電車にも乗れない。警察や市役所にも助けを求めたが自分でなんとかしなくてはならないらしい。自分はなんとしてでも大阪に行かねばならない。もう何日も食べていない状況が続いている。小銭でもいい。それでも命は長らえることができるだろう。少しでも思い遣る気持ちがあるのなら何かを恵んで欲しい。」


その人は他のホームレスとは何かが違う気がした。何か、切実なものを感じた。

ホームレスは望んでホームレスとなる人もいるらしい。しかしその人は、なんとしてでも大阪に辿り着きたい。そして、このまま放っておいたら死んでしまう。そんな切実さがあった。

そこを通る人は皆、その人に目を向けない。いないものとして扱う。まるで目に入っていない。たまにちらっと見る人もいるが基本的に無視する。

本当に死んでしまいそうだった。声を上げて直接頼むでもなく、紙に書きつけて要求するしかなかったのは、もうそんな体力もなかったからであろう。

大宮駅の構内にもホームレスのような人はいる。そういう人たちには極力近づかないようにしている。もし何かあげてしまったらそのあとも何かあげなければならなくなる。その場しのぎにしかならない。

しかしその人に関しては放っておけなかった。その場しのぎだとしても、その場で何かをあげれば、あと何日かは生きられるかもしれない。その何日かでその人は大阪に行く手段を手に入れることができるかもしれない。

交通費を出してあげることは出来ない。私も養われている身だから。経済的に自立してない身の上でそこまでするのは出過ぎた真似というものだろう。だから私は水を1リットルと食パンを一斤、黙って置いてきた。黙って置いて、走って逃げた。

どうして逃げてるのか分からなかった。いや、本当は分かっていた。偽善だ、と言われるのが怖かったからだ。私なりの正義を否定されたくなかった。死にそうな人を前にしながら見て見ぬ振りをする人たちの方が正しいのだと言われるのが嫌だった。そうなってしまったら私はもう立ち直れない。この世界に希望が持てない。御託や詭弁を並べ立てる前に目の前の人の命を少しでも伸ばしてあげるべきだと思った。私は正しいことをした。

だけど今、私の心は晴れない。とても疲れた。何故。本当に、疲れてしまった。誰かに話したかったけれど、誰かに話して万一にでも否定されて自分の価値観が崩壊してしまうことを恐れた私は、結局このように誰の目にも晒されない場所に書きつけるにいたった。

たった一人でもいい。これを読んで、「あなたは正しい」と言ってもらえることを心の底で激しく切望しながら。

私も救われたい、だから助けた。本当はそれだけなのに。

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