魔物との遭遇
アンナをいったん降ろして歩いたり、背負って走ったりを繰り返しているうちにかなりの距離を移動してきた。ちなみに、お姫様抱っこはもうこりごりらしい。
アンナを抱えて走っていて、道の傍に茂みが目立つようになってきた頃。遠目にはその正体まで判別することはできなかったが、道の先に何かがいることに気づく。
近づくにつれて、それの姿がはっきりと見えるようになってくる。緑色の肌に醜悪な外見をした人型の生物だった。体躯は非常に小柄で、顔と体の大きさのバランスが取れていないように感じる。不自然なほどに大きな瞳がギョロリとこちらの姿を捉えた。
それの正体に思い当たるところはあったが、あえて何も知らない態でアンナに問いかける。
「あれはなんだ?」
「ゴブリン……最下級の魔物です」
魔法があれば魔物がいる。そんな理屈などは存在しないであろうが、俺は魔物という存在を前にして、大して驚くこともなかった。今までの体験を振り返れば、魔物がいたくらいでどうということもない。ドラゴンとかもいるのかはちょっと気になるけど。
それにしてもゴブリンか。元いた世界でも、創作の中で幾度となく登場していた存在を今目にしている。そのことが少しだけ感慨深い気がしないでもない。ゴブリンと言えば、悪戯好きでとても弱いというイメージだ。実際に最下級のようだし、手に得物を持っているということもないし、いちいち警戒する必要はないだろう。
「おらおらっ! どけよ畜生が!」
「グギャ!?」
そのゴブリンは道を塞いできやがったので、走る勢いそのままに蹴りをぶちかます。
俺が避けるとでも……増してや、俺が止まるとでも思ったのか? いちいち足止めなんかくらっていられないんだよ。
俺の蹴りを浴びたゴブリンは苦悶の声を上げ、綺麗な放物線を描いて吹っ飛んでいく。我ながら良いキックだ。密かに自画自賛する。
「あのゴブリンも運が悪いですね」
背後からアンナがぽつりと呟く。
「相手を選んで邪魔をしろってことだな」
「あはは……けっこうな無茶言いますね」
それから先の道中では、ゴブリンと遭遇することが多々あった。たまに角の生えた兎が出てくることもあったが、基本的に無視した。邪魔だからって、蹴ろうとして角が刺さるのも嫌だったし。道を塞ぐゴブリンは躊躇いなく蹴り飛ばしていったけどな。
そうしてしばらく進み続けた結果。
「見てください! アルジオです!」
背中から前方を指差し、アンナが嬉しそうな声を出す。
ショートカットのために森の中を突き抜けると、遠方に街らしきものが見えてきていた。すでに日も暮れているが、ここまで来れたらもう問題はない。走る速度を少し緩める。
見晴らしの良い草原地帯を一度ぐるりと見渡すと、右の方にある光景が俺の瞳に映し出される。遠くてわかりにくいが、大きな犬……いや、多分、狼が三匹ほどで、一人の人間を囲っているようだ。放っておけば、確実に惨劇が引き起こされることになるだろう。その光景を見て、俺は瞬時にある考えに思い至った。
「ユーマ、あれ!」
「わかってる! しっかり掴まってろよ!」
現場を指差すアンナに注意を促し、俺はそこへと急行する。
どうやら襲われているのは大人の男のようだ。必死に剣を振り回して狼たちを近づけないようにしているが、あれではそう持ちこたえることはできないだろう。
まだまだ距離はあるが、とりあえず一発かましておくか!
全速で走りながらも、右足の膝から下にかけて闇を集中させる。ある程度集中したところで、右足を後方に振り上げ、そのまま一気に振り抜く。放たれた闇が刃の形を以って、高速で一匹の狼に向かう。
闇の刃をまともに受け、狼はあえなく地に横たわることとなった。
仲間がやられたのを見て、残りの二匹が俺に向かって吠え猛る。おそらく、俺のことを危険な相手と認識したのだろう。いいぞ、恐れて逃げてくれるか、こちらに狙いを定めてくれると非常に助かる。
俺の思惑通り、狼たちはこちらに狙いを定め、駆け出して来てくれた。邪魔者を先に片付けようとしているんだろうが、やられてなんかやらねえよ。
いったんアンナを降ろし、迎え撃つ準備をする。気分は最悪だが、やるしかない。
「まったく……犬とかは好きなんだけどな。でも、やるって言うんならただじゃおかねえよ」
威嚇の意味も込めて、狼たちを睨みつける。少しばかり闇を練り上げながら。
すると、どうしたことか。もう俺の目と鼻の先まで来ていた狼たちがピタリと立ち止まり、じりじりと後ずさっていく。その目には、明らかに怯えの色が浮かんでいた。これじゃあ俺が悪者みたいじゃないかよ。本当にやめてほしいもんだ。
睨み合いの末、狼たちはどこかへと去って行ってしまった。
危機も過ぎ去り、ゆっくりと俺たちは狼に襲われていた男の元に近寄る。
男は安堵ゆえか地面に腰を下ろしていた。見た感じ、二十代後半くらいの歳だろう。物が見えているのかと問いたくなるような細目に、いかにも人の良さそうな顔立ち。なんとなく幸薄そうな印象を覚える。衣服のところどころには汚れが目立っているが、いろいろ苦労したんだろうな。
俺は男に声を掛ける。
「大丈夫ですか? お怪我等はありませんかね?」
「う、うん……大丈夫。助かったよ」
男はその場から立ち上がり、感謝を示すように丁寧に頭を下げる。
「いえいえ、ご無事で何よりです。何とか間に合ったようで安心しました……って、アンナ、何呆けてるんだ?」
妙に視線を感じ、そちらへ顔を向けると、アンナが不思議そうな顔をして俺を見つめていた。俺が何かおかしなことでもしたか?
「い、いえ……すごく失礼だとは思うんですけど、ユーマが素直に敬語を使うのが少し意外だったと言いますか……その、らしくないと言いますか」
「本当に失礼だなオイ」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
申し訳なさそうにひたすら謝ってくるアンナ。いや、怒ってはないけどさ。
いくら俺でも、敵じゃない年上の人間が相手なら敬語くらいは使う。その辺の常識まで捨ててしまった覚えはない。原則、年上は敬うもんだ。例外も多いんだがな。例えば、どこぞの姫様相手とか。とはいえ、今までの自分の行いを振り返れば、アンナに意外とか、らしくないとか言われても強く反論できないところはある。
俺たちのやり取りを見て、男が困惑した表情をしている。
無視していたわけじゃないけど、なんかごめんなさい。
「俺は佐伯悠真と申します。こっちは俺の連れで……」
「アンナと言います」
俺の紹介に合わせて、ペコリとアンナが頭を下げる。
男は俺たちの自己紹介に応え、口を開く。
「僕はカルロス。危ないところを助けてくれて本当にありがとう」
「気にしないでください。危険に晒されている人を見過ごせなかっただけです」
これは建前だ。彼を助けたのは、ある狙いがあったからだ。そうでもなければ、アンナにも危険が及びかねないのに、顔も知らない誰かを無償で助ける道理がない。
当たり前だけど、そんな考えはおくびにも出さないようにする。
「君たちが来てくれなければ今頃どうなっていたやら。ああ、恐ろしい……何かお礼をさせてくれよ」
待ってました。俺は内心でガッツポーズする。
カルロスが襲われている状況を見たときから、こうなってくれたらいいなとは考えていたが、こうもスムーズに話が進むとは。重畳と言う他ない。
「そう仰っていただけるなら、少しお願いしたいことがありまして……」
そこでいったん区切り、カルロスの反応を待つ。
「うん、僕にできることなら何でも言ってくれ」
爽やかな笑みを浮かべて、彼はそう言ってくれた。
本当にありがたい。俺は要求を口に出す。
「ちょっと俺たち、お金がなくて今日泊まる場所に困ってたんですよ……それで、もしよろしければどこか手配してもらえると助かるんですが。それも食事付きで」
今日はいろいろありすぎた。少しばかり力を使いすぎた。しっかりと休養を取らねば明日に響く。それに、アンナに不便はさせたくない。そういう事情もあって、宿と食事はなんとしても確保したかった。追手には俺たちの目的地がアルジオであることは読まれているだろうし、アルジオに留まるのは危険ではあるが、そこらへんは甘受するしかない。
「そういうことなら任せてくれ。僕の家は宿を経営してるからね」
カルロスの言葉を受け、俺はもう一度内心で大きくガッツポーズをした。




