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救い

 抱えているアンナに負担がかからないよう細心の注意を払いながら、道沿いにひたすら駆けていく。抱かれ心地は良くないだろうが、そこは受け入れてもらうしかない。身体能力が飛躍的に向上しているのもあるが、アンナが小柄であることも今は好都合だった。実に運びやすい……って言うのは失礼に当たるのかね?

 そんなとりとめのないことを考えていると、俺の腕の中から抗議の声が上がる。


「ユーマ! 自分で走れますから!」

 

「いいから任せとけって。後、しゃべる際は舌を噛まないようにな」


 それなりの速度を出しているからな。

 彼女を納得させるためにも、少し説明を付け足す。


「第一、この方が早いだろ?」


「そういうことが言いたいんじゃなくて……本当に無理しないでください! あんなに血を……」


 アンナがつらそうな顔で訴えてくる。そりゃあれだけの量の血を吐くところを見れば心配もするよな。しかし、どうしたら安心してもらえるか……そうだ。

 ニッと笑みを浮かべて、それを口にする。


「あれは血じゃなくて、トマトの汁だ。最近ああいう芸に嵌っててな」


「馬鹿言わないで! そんなわけないじゃないですか!」


 冗談を言って場を和ませようとしたが、怖い顔で怒られてしまった。

 さすがに冗談が過ぎたということだな。うん、今回ばかりは俺が空気を読めていなかったと言う他ない。


「まあ確かに無理をしていないと言えば嘘になる。正直けっこうきついよ」


 嘘偽りのない本音を吐露する。

 斬られた背中の傷は癒えているものの、相変わらず目は霞むし、吐き気はあるし、今にも意識が飛びそうでたまったものではない。今倒れたら二度と立てなくなるだろうと思うくらいには疲弊し切っている。

 だけど、言ってしまえばその程度。地獄の苦しみというには及ばない。なら、邪神の元で地獄の苦しみを乗り越えてきた俺に耐え切れぬ道理はないというものだ。


「だったら……」


「大丈夫」


 アンナの言葉を遮り、そう断言する。自分自身を奮い立たせるように。彼女の不安をかき消すように。


「このくらいなら大丈夫なんだ。それに、本当にやばいときはちゃんと言うから。アンナの運命も背負っている以上、途中で倒れるなんて無責任なことはしない」


 俺が力尽きれば、アンナを守る人間がいなくなる。彼女を一人ぼっちにしてしまう。また彼女につらい思いをさせてしまう。それだけは何があっても避けなくてはならない。彼女を助けたときから、中途半端はしないと決めているのだ。


「……本当に大丈夫なんですね?」


 少し押し黙った後、アンナは言う。その声はまだ疑いの色を帯びている。

 まだ心配させてしまっているのか。その辺の信頼は少しずつ勝ち取るしかないかな?


「後は俺を信じてくれと言う他ないな」


 そこでいったん会話が途切れるも、決して気まずいとは思わなかった。

 逐って、アンナの方から話を切り出してくる。


「絶対に私のことを守り抜くと誓ってくれましたよね?」


「ああ」


「私にも誓わせてください……どんなときでもユーマのことを信じ抜くと」


「……そうか」


 俺が返す言葉はたったそれだけ。ああ、それだけで充分だろう。アンナがそう誓ってくれるのなら、俺からこれ以上何か返す言葉もない。


「でも、やっぱり恥ずかしいです……こんな格好」


 お姫様抱っこされていることにアンナは頬を赤らめ、ぼそっと呟く。美少女がこういうことするのって本当にずるいな。ちょっと可愛すぎるんだよ。こんな姿を見せられて可愛いと思わない男がいるだろうか、いいや、いない。絶対にいない。いてたまるか。万が一いるとすれば、そいつは間違いなく不能だろう。あるいは男色家に違いない。俺の全てを掛けて断言してもいい……って、少し冷静になろう。


「しばらくは我慢してくれ。俺の限界が来たら降ろすから」


 実際のところ、無理をすればどこまでも行けそうな気がしないでもないが、後々のことを考えると無理をするのは得策ではない。オルバティアの人間がすぐには追いつけない程度に距離を稼いだら降ろそうと思う。馬とか使われたらどうしようもないけど、それは論じても仕方がないことだ。


「うぅ、わかりました……それにしても、私は全然役に立てていませんね。むしろ足を引っ張ってばかり」


 アンナはそう言って視線を落とし、もう一度嘆息する。

 明らかに落ち込んでいる様子だ。


「気にすることはないっての。充分に助けてもらってる」


 アンナの顔色を窺うが、納得してくれてはいないみたいだ。

 本当に気にすることはないのになぁ。

 そう言えば、実は俺もずっと気にしていることがあったんだ。

 走る速度を緩め、アンナに問いかける。


「なあ、ちょっと聞きたいんだけどさ」


「何でしょう?」


「俺のあの姿見たろ。正体が気にならないのか?」


 ここまで一度も、アンナは漆黒に染まった俺の異様について触れることはなかった。

 実際のところ、アンナはどう思っているんだろう?

 心を不安が蝕んでいく。例え嫌悪されていようが、アンナが望む限り、俺は誓いを果たす。そこに何も変わりはない。だけど、俺の心はきっと平静ではいられないだろう。身体の痛みにはいくらでも耐えてみせる。だけど、心の痛みには俺はきっと耐え切れない。耐え切れる気がしない。


「気にならないわけじゃないですけど、もう気にしません」


「どうして?」


「気にしてほしくないんでしょう? 何となくわかります。ユーマはユーマ。それだけのことです」


――――ユーマはユーマ


 その言葉に心が強く揺さぶられる。

 そうだ、それは俺自身の在り方。化物になっても俺が俺であることに何も変わりはないと自分に言い聞かせた。だけど、今思えば、あれは結局のところ強がりでしかなかったんだ。誰も自分を受け入れてはくれないと決めつけたゆえの強がり。本当は弱いくせに見栄を張ったんだ。

 だから、アンナの言葉がどうしようもなく嬉しい。彼女が真っ直ぐに俺のことを見てくれていることが嬉しくて仕方がないんだ。それでも完全に不安を振り払えずにいる自分が嫌になる。


「俺は腹に穴が空いてもすぐに塞がるし、わけのわからない力を使う化物なんだぞ……怖く、ないのか?」


 化物だからこそクラスメイトとも別れた。進藤や藤堂、そして香苗とも。

 みんな俺を恐れていた。化物である俺を恐れていた。進藤も恐れこそしなかったが、きっと俺のことを自分たちとは異なる存在と捉えているだろう。考えれば考えるほど胸が締め付けられるような苦しみを覚える。だけど、駄目なんだよ。どうしても、そんなことばかりが頭に浮かんでしまうんだ。

 気味が悪いだろう? 恐ろしいだろう? 普通ならそういう反応を示すはずだ。それが普通なんだ。

 

 しかし、それでもアンナは首を横に振った。


「ユーマみたいに優しい人のことを化物だなんて思いませんよ。少しも怖くない……って言ったら嘘になっちゃいますけど、だからってユーマを避けたりなんてしません」


 そう言って、彼女ははにかんでくれた。

 ははっ……なんだよ。『充分助けてもらってる』なんて偉そうなこと言っちまったな。

 本当に救われたのは……俺の方じゃないか。

 心の中に溜まっていた泥が一気に溢れ出していく。


「ありがとう」


 万感の思いを込めて、ただ一言感謝の言葉を述べる。


「どういたしまして……あれっ? ユーマ、泣いて」


「ないっての。目にゴミが入っただけだ」


「……ふふっ、そうですね。そういうことにしておきます」


「何だか含みがあるなぁ」


 今一度、この娘を絶対に守り抜いてみせると固く誓い、俺は走る速度を上げた。

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