たわわ
それから半刻程は大人しく食べて飲んで過ごしていた。あくまで俺が大人しくしていただけで、周りの客どもはやかましく俺たちに絡んできたけどな。
結局エールを二杯呑み終えたくらいで頭が痛くなってきたから、以降は牛乳にシフトさせてもらった。味もわからんし、好きなやつには悪いけど酒の楽しみというものは一生理解できそうにない。少しだけ寂しい気がした。
「う~……頭痛ひぃ」
ナターシャはと言えば、だらしなく机に突っ伏してしまっていた。かなり良いペースで呑んでたもんなお前。
「好きなくせに弱いのは変わらずか」
シモンが懐かしそうに相好を崩す。
難儀なものだな。酒に強いかどうかは結構遺伝的なところに依るって聞いたことがあるし、そう易々と体質は変わらんだろうね。
「アンナは大丈夫そうだな」
「私はあまり呑んでませんから」
小動物のごとくちびちびとした飲み方で、粛々としていたもんな。まあ、俺より年下のアンナががぶがぶと酒を呑む姿はあまり見たくない。
そんなことを考えていると、アンナは俺の顔をじっと見つめてきた。
「ユーマは真っ赤ですよ。あまり強くないんですね」
「そうみたいだ。酒なんて呑んだことなかったからなぁ」
きっと呑み慣れていないことは無関係ではないだろう。慣れないことはするもんじゃない。ところで、真っ赤になるということはアルコールを体内で分解しきれてないかららしいね。
さて、頃合いか。
「そろそろ店を出よう。今晩の宿を見つけないといけないしな」
結局は例の宿にお世話になることになるだろうけどね。あそこなら夜遅くになってもまあ大丈夫だろう。昼間のうちに手配しておけばよかっただろうに、と言われれば返す言葉もないが。
「何だ、まだ宿を決めてないのか。それなら俺と共に来い。俺がこの街に滞在している間は面倒を見てやろう」
「えっ、マジっすか?」
何ということでしょう。このシモンという男、宿の手配までしてくれるというのか。本当に俺たちの懐に優しい。至れり尽くせり過ぎて少々気味が悪いくらいだ。
「路銀も心細くなってきましたし、助かります。お言葉に甘えさせていただきましょう」
全くもってアンナの言う通りだ。ここは素直にお世話になるとするか。
俺は立ち上がり、対面に座るナターシャの元へと近寄った。
「おらっ、起きろヘタレエルフ」
弱めに彼女の背中を叩いて呼びかける。
「ヘタレって言うなぁ、ばかゆ~ま~」
「……大丈夫か?」
「正直ダメっぽい……」
なんて締まりのない……これが俗にいう残念美人というやつなのだろう。何もしなければただただ絶世の美女と言える容姿をしているのにもったいない。微妙に呂律が回っていないのも心配だ。
「こうなってはなかなか起きんぞ」
呆れ顔でシモンが告げてくる。
「もう少しここでゆっくりしていきます?」
ナターシャを気遣ってか、アンナは心配そうに言う。
「ナターシャは俺が運ぶよ。寝るならちゃんとした寝床に連れて行った方がいいだろ」
なかなか起きないって言うなら待っていても仕方がないしな。無駄に席を取っているのも好ましくないってこともある。
「というわけで乗りな」
「うん……ごめん」
俺が背中を向けると、ナターシャは素直におぶさってきた。妙にしおらしくてなんか調子狂うな。
おっと、一言忠告しておかないと。
「吐きたいときはすぐに言えよ? 大惨事は御免だ」
主に俺の背中がな! いや、割とマジでお願いします。
「善処するわ」
一気に不安になった。
◆◇ ◆ ◇
店を出て、人気の絶えた夜のしじまの中を歩くこと数十分。
俺たちはやけに大きな屋敷の前に来ていた。
「ブルジョワめ」
「どういう意味だ?」
俺の愚痴に疑問符を受かべている様子のシモン。教えてやる義理なんかないもんね。ひがんでなんかないもんね。
「もう大丈夫そう……ありがと」
「おう」
ナターシャも酔いが落ち着いてきたようなので、背中から降ろしてやる。
屋敷の中、シモンについて行った先のリビングでは壮年くらいと思しき男女、おそらく夫婦がゆったりと寛いでいた。
女性がこちらを見やり、口を開いた。
「おかえりなさいシモン。そちらの方々はどうしたの?」
「俺の連れだ。少しの間、この家においてやってほしい」
この家はシモンのものじゃなかったのか。シモンとあの二人とはどういう関係だろうか。
「それは構わないけど……まさかあなた、また無理やりアルビオンに勧誘しようとしたんじゃないでしょうね?」
「勧誘はしたが、まだ無理やりではない」
「はっはっは! 節操のない男だ」
女性に半眼で睨まれてもシモンは全く気にしている様子はない。その様を見て、男性は豪快に笑っていた。
シモンのおっさんよ、あんた本当に節操なしだったんだな。というか、まだ? いつかはやる気があるのかオイ。
「俺の姉とその夫だ。畏まる必要はない」
こちらを向き、シモンが説明してくれた。そうは言われてもねぇ……。
「すいません。お世話になります」
深々と頭を下げる。アンナとナターシャも俺に倣った。うん、礼儀正しくあることは大事なことだ。
「うちの弟が迷惑をお掛けしたようで……お詫びというわけではありませんが、ゆっくりしていってください」
シモンの姉は朗らかに笑ってそう言ってくれた。良い人だな、弟と違って。
「何を見ている?」
「べっつにぃ」
訝しむようにシモンが言ってきたので、素知らぬ顔で視線を逸らす。
「二階の部屋がいくつか空いてるから好きに使ってちょうだい……そうだ、そこのあなた」
シモンの姉から御指名が入る。
「何でしょう?」
「二階にうちの娘がいるんだけど、呼んできてもらえないかしら?」
「はい、わかりました」
そのくらいはお安い御用だ。泊めてもらう身の上なのだから当然なのだけど。
「荷物渡してくれ。まとめて置いてくるよ」
「お願いします」
アンナたちの荷物を預かり、俺はその場から移動した。すぐに階段を見つけてそこを昇っていく。
「娘さんはぁ、どの部屋にいらっしゃいますか~、っと」
とりあえず階段上がって一番近くの部屋、そのドアを開けた。
すぐに俺はノックをしなかったことを後悔することになる。
部屋の中にいたのは見覚えのある女の子。
「エ、エヴァ……?」
特徴的な長いポニーテールは解かれているが、間違いない。これは予想外だ。エヴァがいたこともそうだが、何より彼女が白い下着姿でそこにいたことが、だ。
「サエキ=ユーマ、どうして……!?」
わなわなと震えて狼狽を露わにするエヴァ。
脳裏にフラッシュバックするのはドマの村でのナターシャとのやり取り。対応を間違えればただでは済まないだろう。
ビークール……落ち着くんだ、俺。そしてまずは彼女を落ち着かせるんだ!
「落ち着いて――」
「いやああぁっ!」
駄目みたいです。
取り乱している彼女は握りこぶしを作り、迫ってくる。
「だから落ち着いてくれって!」
ひとまず彼女を制止しようと前方に両手を伸ばす。これがまた良くなかった。
たわわに実った二つの果実、要するに彼女の胸を掴んでしまったのだ。めっちゃ柔らけぇ。
時間が止まったかのように場に静寂が訪れる。
「う、うぅ……」
エヴァはこの上なく顔を紅潮させる。
ここからの弁明は無意味だろう。もう諦めるしかないじゃん……。
「変態!」
顔面に迫る右拳を俺は甘んじて受け入れた。
脳髄に響く良い拳だった。
◆◇ ◆ ◇
「すいません……早合点したっス」
今現在、俺は一階にて事情を知ったエヴァの謝罪を受けていた。
「いや、確認しなかった俺も悪かったから……」
「それはそうっスけど、それ以上に私がもう少し落ち着くべきだったんス」
互いに苦々しい顔をして非を詫び合う。正直すごい気まずい。
「自分の部屋だからって下着で過ごしているのが悪いのよ。良い薬になると思ってサエキくんを行かせてみたけど、こんなことになるなんて……ごめんなさい」
シモンの姉にも謝罪される。
別に責めようとは思わないけど、なんだかなぁ……。
「やれやれ、年頃の娘が困ったものだ」
「まったくだ。これじゃあ心配でグリムウェルに送り出せんわ」
シモンたちおっさん組がしみじみと呟く。
「もー! みんなして何なんすか!? もー!」
エヴァがはしたなく叫んでいた。モーモー言いやがって、牛かっての。
「胸まで揉むなんてね。そっちはわざとじゃないの? ドマの村でも……あ、あたしの胸を……」
恥ずかしそうにナターシャは顔を赤らめていた。
俺は右手をプラプラさせてみせる。
「はて? 知りませんね。俺の右手も『覚えてない』って言ってるもん」
「潰すわ」
「ごめんなさい」
ナターシャに気圧され、即座に土下座する。あのシュヴァルツに勝るとも劣らぬものすごい威圧感だった。潰すってなんだよ潰すって……。
「……どうしてこうなっちゃんでしょうかね?」
ポツリとそう呟いたのはアンナだった。




