王都からの脱出
「え~っと……何とお呼びすれば」
「佐伯とでも悠真とでも好きに呼んでくれ」
休憩を終え、ゆっくりと立ち上がる。
「サエキ……ユーマ……はい、ユーマで!」
どちらがしっくりくるか口にして確認したのか。なんとも可愛らしい。
「いろいろとお互いに聞きたいこともあるだろうが、まずはこの街を脱出するぞ。目的地はカーティフと設定した上で、最適な手段を教えてほしい」
俺がアンナを助けた理由はここらへんにある。彼女を解放することで、嫌な言い方だが、恩を売りつけ、当面はこの世界の案内人となってもらおうという考えだ。ただ道行く人から情報収集するよりかは、はるかに能率が良い。
彼女の故郷が国境付近というのも実に都合が良かった。彼女がもしこの街、もしくはこの街近辺の出身であったなら、俺がこの国を出るまで案内してもらえないことになりかねない。国境付近の街まで彼女を送り届けた足でこの国を出る。実に合理的だと思ったわけだ。
アンナは思案した後、切り出した。
「そうですね……馬車を使うのが良いかと思います。カーティフまでは行きませんが、そのすぐ近くにある街クレメアに向かう馬車がありますから」
馬車か。悪くない案だ。乗っていれば勝手に目的地に着くというのが実に素晴らしい。要らぬトラブルに巻き込まれる心配も少なそうだ。それに、体力的な問題も大きい。俺はともかく、アンナにまで無理をさせるのは忍びない。そういった諸々を考慮すると、馬車という選択は適切であると言える。
ただ、問題点を挙げるとするなら……。
「良い考えだとは思う。だけど、多分無理だ」
「えっ?」
きょとんとした顔をして俺を見つめるアンナ。俺は馬車が無理であろう理由を説明する。
「金がない。それこそほんの少しも。文字通りの無一文だ。多分だけど、アンナも大して持っていないだろう?」
奴隷であったアンナがそうお金を持っているとは思えなかった。
「……」
アンナは俺の発言に唖然として固まっている。
あっ、やばい、これものすごい呆れられてる? 甲斐性なしとか言われたらどうしよう?
「ぷっ……あははははっ!」
そんな心配をしていると、不意にアンナが声を立てて笑い出した。
今度は俺の方が少し唖然としてしまう。呆れられたわけじゃないようだけど、何がそんなにおかしいって言うんだ?
「ご、ごめんなさい……でも、ユーマは本当に優しい人ですね。自分も本当に余裕がないのに私なんかを助けてくれるなんて」
目元を拭いながら釈明するアンナ。涙目になるほどおかしかったのか。
確かに余裕がないのは事実だな。知識はないし、金はないし、追われる身だし……何この三重苦。これに関して考えるのはやめておこう。
だけど、アンナを助ける理由ならさっきも言っただろうに。無償の施しなんて聖人じみた真似は俺にはできないんだからな。優しいってのはちょっと違うと思う。
「これからは俺もアンナに助けてもらうことになる。よろしく頼むよ」
「はい。私にできる限り、ユーマの力となってみせます」
そう言うアンナは実に頼もしく思えた。
俺たちは再びこれからのことについて議論を交わす。
「それとうっかりしていました。そもそも今日はもう出発する馬車がありません」
「なるほど……明日じゃまずいもんな。追手が待ち構えている可能性も高い」
「はい」
アンナは首を縦に振り、俺の言葉を肯定する。
俺たちが行き着く考えには追手側も容易に行き着くに違いない。
今日中ならともかく、明日になれば確実に馬車は押さえられているだろう。
そうなっては金を工面するだけ無駄……ではないか。食費とか宿代にもなるし。
「こうなると徒歩で移動するしかありませんね。今日中には近場の街アルジオに到着しますし、そこでまたゆっくり考えるというのはどうです?」
「よしっ、是非もないな」
即決する。考えなしの行動は避けるべきであるが、一方で迅速な行動を要求されているのも確かだ。アンナがそう言うなら異を唱えることもない。俺は、この世界に関する知識を少しも持っていないのだから。
「ではさっそく出発しましょう。今日中はまだ安全だと思いますが、それでも急ぐに越したことはありません」
「ああ……だけど、その前に一つだけ言っておく」
俺の言葉により踏み出しかけた足を止め、振り返るアンナ。
そうだ、これだけはしっかり言っておかないとな。
「これから先、何があっても俺の側から離れるな。俺の側にいる限り、絶対に守り抜いてみせるから」
利己的・打算的な考えから助けた相手であっても、この娘を見捨てるような真似は絶対にしない。
希望を与えた責任は必ず取ってみせる。
「ありがとうございます……それにしても、まるで愛の告白ですね」
頬を赤らめたアンナがそんなことを言うものだから、俺としてはたまったものではない。
おいおい……それは反則だろうよ。
顔がかあっと燃えるように熱くなるのを感じる。
「行こう。案内を頼む」
努めて平静を装い、俺はアンナに先導を促した。
レンガ造りの街並みの表通りを避け、なるべく裏道を急ぎ足で移動する。その途中、俺はこの街及びこの国に関する情報を得るため、アンナにいろいろと質問をした。俺があまりに物を知らな過ぎて、途中アンナに怪訝気な目を向けられることもしばしばあった。
アンナ曰く、この国の名は【クルシュナク王国】。そして俺たちがいるこの街の名は【王都オルバティア】ということらしい。ちなみにあのエルティナとかいう姫様は王国の第一王女であり、かなりの女傑として民に慕われているとか。
ちなみに王宮での一幕はアンナには伝えていない。あえて隠す必要もないのだが、説明するのもだいぶ面倒なのでそうすることにしただけの話だ。端的に王宮の兵士たちに追われる身であることだけ伝えて話を締めた。
アンナの方も俺に聞きたいことはたくさんあったようで、一通り俺が質問を終えると、今度は俺が質問攻めに遭っていた。だいたいが俺の素性に関する質問だったので、邪神や召喚云々に関わる部分は上手く誤魔化しつつ答える。その部分を誤魔化したのは、これ以上胡散臭い存在に見られるのが嫌だったのと、正直に話さなかろうが別に支障もないと感じたゆえのことだ。
兵士と鉢合わせないように注意しながら、しばらく歩き続け、遠方に門が見えてくる。
この街は四方を外壁に囲まれており、各方角に門があるとのこと。しっかり門番もいるらしい。それを聞き、俺の頭に嫌な予感がよぎった。俺が王宮を逃げ出してから、もうそれなりの時間が経つ。何事もなく通ることができればいいんだが……。
近づいてわかったことだが、アンナの前情報通り、屈強な男が二人、厳めしい顔をして門の左右に立っていた。腰には剣をぶら下げている。見るからに門番って感じだな。
俺たちは自然を装って、門に近づいていく。アンナは俺の後ろに隠れるようについて来させている。彼女が不安にならないよう配慮した結果だ。門番とのやり取りも可能な限り全て俺が行うと言ってある。
後少しで門をくぐり、街の外に出られるというときだった。
「少し待ってもらおうか」
門番の一人に声を掛けられる。
そりゃノーチェックってことはないよな。さすがに職務怠慢と言わざるを得なくなるし。
「お仕事お疲れ様です。如何致しました? 僕たち、これからある人の依頼で薬草を採取しに行くところなんですが」
慇懃な口調で愛想よく言い放つ。我ながら白々しいとは思う。
依頼云々はアンナと打ち合わせた口実だ。通用してくれると助かるんだが……。
門番がにやりと嫌らしい笑みを浮かべる。
「なに……君のその黒髪!! というのが珍しくてね。君の素性が気になったんだ」
黒髪という部分だけひどく強調して言う門番。まるで誰かに伝えるかのように。なるほどね……相手もなかなかに白々しいな!
「アンナ、下がれ!」
「は、はい!」
俺たちは門番から距離を取る。それと同時に、門番二人が剣を抜く。門の外から続々と鎧姿の兵士たちが現れる。背後から聞こえる物音に振り向くと、街並みの至るところから兵士が姿を現す。総勢百人いくかいかないかといったところか。こいつらは俺の……いや、異世界人たちの特徴である黒髪を合図にしていたというわけだ。
「ひっ……!?」
アンナが怯えた声を漏らし、俺の右腕にしがみついてくる。しがみつく手が小刻みに震えていた。怖いのだろう。こいつらに捕まってしまえば、おそらく再び主人のところに連れ戻されることになる。そうなればただで済まないのは間違いない。
だが、そんなことはさせない。そんなことにはならない。
掴まれていない左手をアンナの頭に置く。
「この事態は間違いなく俺のせいだ。それについては申し訳ない」
まずは謝罪をしておく。例えアンナに責められようと構わない。
「それでも俺を信じていてくれ。あいつらにはアンナに指一本触れさせはしない」
――――側にいる限り、絶対に守り抜いてみせるから
それはアンナへの誓いの言葉。
ああ、そうだよな、こんなところで嘘つきになってたまるものかよ。
俺の右手を掴むアンナの震えが徐々に治まってくる。さすがに完全に治まってはくれなかったが、今は仕方がない。
「……信じてもいいんですよね?」
アンナの静かな呟きが俺の耳に届く。
「もちろんだ。任せておけっての」
彼女を安心させるため、自信満々に応えてみせる。
そうこうしているうちに、兵士たちによる俺たちの包囲が完了していた。ちょっと暢気にしすぎたか?
まあいい。それより、やるっていうなら容赦はしないからな。
俺はアンナとの誓いを胸に、並みいる兵士たちと向かい合うのだった。