悲しみと怒りと
もう夜も遅い時分。
俺とアンナはベッドの上で横になっていた。
会話もなく、静寂が場を包んでいる。
疲れは溜まっているはずなのに、目は冴えてしまい、俺はなかなか寝つけずにいた。
「起きてますか? ユーマ」
静寂を破って、アンナが話しかけてきた。
「ああ、まだ起きてるよ」
「……そっちに行ってもいいですか?」
「もちろん大歓迎だ」
自分のベッドから立ち上がり、アンナはこちらへとやってくる。
そして、俺のベッドに入って来た。
「ごめんなさい……後ろを向いていてもらえますか?」
その意図はわからないが、素直に俺は後ろを向く。
そのまま待っていると、アンナが俺の背にしがみついてきた。
「お願いがあるんです」
「何だ?」
「ユーマは死なないでください」
「……ああ」
「もう、私を一人ぼっちにしないでください」
「約束する」
「絶対にですよ?」
「神に誓って」
間違っても邪神相手にではないがな。
「それじゃあ最後に……少しの間、背中を貸してもらえますか?」
「こんな背中で良ければいくらでも貸してやるさ。だから……今くらいは思いっきり泣けばいい」
「……っ!」
アンナが息を呑む気配が伝わってくる。
「我慢してたんだろう? 俺たちに余計な心配を掛けないようにって」
カーティフでアンナが見せたぎこちない笑顔が脳裏を過る。
「べ、別に我慢していたわけじゃ……」
「つらかったよな」
「……うっ……うああ……」
嗚咽が聞こえてくる。
「本当にごめん。こんなことしかしてやれなくて」
俺の言葉を皮切りに、アンナは慟哭する。
慰めの言葉こそ碌に思いつきやしないけど、彼女の悲しみを受け止めるくらいはやってやる。
俺はただ黙って彼女に背中を預け続けた。
長い長い慟哭の末、疲れてしまったのだろう。アンナは眠ってしまっていた。
俺はベッドから立ち上がり、一度彼女の頭を優しく撫でる。
いつもの黒衣に着替えた後、俺は部屋を出た。
「あの娘は?」
「ぐっすりと眠っているよ」
「そう」
部屋の戸の側。壁に背をつけてナターシャが佇んでいた。
ちょうどいい。こちらから出向こうとしていたところだ。
「デイン砦ってのはどこにあるんだ?」
「ここから北西の方角だけど。それがどうかしたの?」
「ちょっと行ってくる」
「……何しに行くってのよ?」
「おそらく死霊使いは砦を拠点にしている。そこをちょちょいとぶっ潰してこようかと」
デイン砦が襲撃されたという事実。鬼の『砦に戻る』という発言。
これらを勘案するに、やつらがまだそこにいる可能性は十分にある。
「ぶっ潰してくるって……簡単に言うわねぇ」
呆れたようにナターシャが嘆息する。
「そこで、お前に頼みがある」
「私に?」
「ああ、アンナを守っていてほしいんだ」
アンナを連れて攻め込むことはできない。
かと言って、アンナを一人にしておくわけにもいかない。
入れ違いでやつらが攻めてくる可能性もある。
となれば、ナターシャの手を借りざるを得ないのだ。
あの魔族二人に関わろうとしなければ、こんな心配をする必要はない。
だが、俺はやつらを許せない。ぶっ潰してやらなきゃ腹の虫が治まらない。
「嫌よ、私もいっしょにーー」
「頼む」
ナターシャの言葉を遮り、深々と頭を下げる。
「……あなた一人で何ができるの? 相手は強大な魔族よ。むざむざ死にに行くようなものじゃない」
「問題はないっての。というか、一人で魔族を滅ぼすとか意気込んでた無謀エルフがそれを言うかよ」
「うっ」
痛いところを突かれたと言わんばかりに顔をしかめるナターシャ。
「本当に馬鹿ね。どうしてそこまで……」
「そんなの決まってんだろ」
それは絶対に譲ってはいけない部分だから。
「大切な女泣かされてんだ。これで黙ってちゃ男が廃る。落とし前はきっちりつけさせてもらわなきゃな」
きっぱりと断言する。
「……そこまで言うなら、私はもう何も言わないわ。アンナのことは私に任せて、思う存分暴れて来なさい」
「本当に任せたからな? アンナにもしものことがあったら承知しないからな?」
「はいはい、大船に乗ったつもりでいなさいっての」
そう言って、ナターシャはポンと胸を叩く。
「ナターシャ」
彼女の名を呼ぶ。思えば、これが初めてかもしれない。
「何?」
「ありがとう。頼んだぞ」
俺の言葉を受け、ナターシャは優しく微笑んだ。
「絶対に死ぬんじゃないわよ……ユーマ」
言われずとも死ぬ気はさらさらない。アンナと約束もしてるからな。
「任せとけって」
小さく頷き、俺はその場を後にした。




