アンナの申し出
日が暮れる。
カーティフにいるアンナの両親の安否が気にかかったが、慌てて夜の街道を行くのは避けたい。今晩はクレメアで一泊することにした。
「おおぅ……お兄さん、やりますね」
「はい?」
ただ今、適当に見つけた宿でチェックインをしようとしているところ。若い受付嬢が何やらよくわからないことを口にしていた。
「はい……じゃないですって! こんな良い女性二人も捕まえて、隅に置けませんねぇ!」
受付嬢は実に良い笑みを浮かべているが、はっきり言って非常にやかましかった。
「勘違いしないでほしいものね。こいつとはそういう関係じゃないんだから」
俺の横から、不機嫌そうに反論の言葉を述べるナターシャ。
言っていることは事実なので、俺が口を挟むことはない。
「口ではそう言うけど実は……ってことはないんですか?」
「ないわよ!」
憤然として否定するナターシャを見て、受付嬢の笑みが深まった。
駄目だ。このエルフ、完全に弄ばれている。
「そっちのお嬢さんは否定しないんですね」
「私は、その……」
受付嬢の矛先がアンナに向かう。
困ってるようだし、助け舟を出すか。さっさとチェックインを済ませたいのもあるし。
「はいはい、余計な詮索はそこまでにして仕事してください」
「おっと、これは失礼致しました。どうにもこういう性分なものでして」
受付嬢はペコリと頭を下げる。
自覚があるなら直せそうなもんだけどな。
「当店には個室から三人部屋までございますが、いかがなされますか?」
なるほど、それだったら……。
「二人部屋と一人部屋を一部屋ずつで問題ないよな?」
「ええ」
ナターシャに確認を取った後、受付嬢の方に向き直る。
「じゃあ部屋数に関してはそういうことで、一泊お願いします」
「かしこまりました。当店では料金を先払いとさせていただいております」
「アンナ、後の手配は頼む」
「はい、任されました」
金銭関連のことは全てアンナに任せることにしている。
この世界における貨幣価値とか、そういった事情は全然把握していないからな。
チェックインを済ませた俺たちは部屋へと向かった。
部屋に荷物を置いた後、一階にある食堂で夕食を済ませる。
そうして現在、俺とアンナは部屋のベッドに腰掛けていた。
「もう明日にはカーティフか。ようやくここまで来たって感じだな」
「本当にいろいろありましたね。後はカーティフさえ……」
そこまで言って、アンナは口を閉ざす。その顔には陰りが差していた。
カーティフが襲撃され、両親を失うという最悪の事態を想定してしまったのだろう。
俺はアンナの頭にポンと手を置いた。
掛ける言葉こそないけど、少しでも彼女を安心させたいと思ったから。
「無事を信じよう。悪い方に考えても仕方がないさ」
「……はい」
アンナは目を瞑り、優しい笑みを浮かべてくれた。
もう十分だろう。俺はアンナの頭に置いた手を降ろした。
ややあって、アンナが口を開く。
「私、アルジオで言い損ねてしまったことがあるんです」
「んっ? そうなのか?」
「あのときはカルロスさんが来て、そのまま言い出す機会を失ってしまったんですよね」
そう言えば、そんな覚えがないこともない。
「それで、いったい何を言おうとしていたんだ?」
「そ、それは、その」
アンナは照れくさそうにして、言葉を詰まらせていた。
その反応はどういうことなんだ?
「おいおい、どうしたんだ?」
「うぅ……改めて言うとなると、どうも尻込みしてしまいまして」
「今更恥ずかしがることもないだろうよ」
そわそわと落ち着かない様子のアンナに、俺はフォローのつもりで言ってみた。
「……女は度胸、です!」
それが功を奏したのか、どうやら意を決してくれたようだ。
「ユーマはカーティフにしばらく滞在した後、旅をすると言っていましたよね?」
「ああ」
「もし良ければ、しばらくと言わず、ずっといっしょにカーティフで暮らしませんか?」
思わぬ申し出。そう来るとは予想だにしていなかった。
嬉しいのは確かなんだが、何ともこそばゆい感覚だ。
「あっ、そういう意味ではないですよ!? 言葉通りの意味と言いますか何と言いますか……! いや、そういった意味が全くないわけでもなくてですね!」
あたふたしながら、アンナは早口で言う。
ちょっと面白いと思ったのは秘密にしておく。
「とりあえず落ち着きなっての」
「はあ……本当に何をしてるんでしょう、私」
肩を落としてアンナは嘆息した。
その姿が妙に微笑ましくて、自分の顔が綻んでいくのがわかる。
「ありがとな。正直すげえ嬉しいよ」
俺の返事を聞いて、ぱあっとアンナが明るい笑顔を見せる。
魅力的な提案ではあるのは間違いない。少なくとも、こちらからお願いしたいとさえ思うくらいには。
「一応俺にも目的と呼べるものがないわけじゃないから、ずっといっしょというわけにはいかないだろうけど……それでもいいかな?」
「はい、それでもできる限り私はユーマといっしょにいたいですから」
本当に嬉しいことを言ってくれるものだ。
「しかしそうなると、ナターシャのやつもカーティフに留まることになったりするのかね?」
「ずっとユーマに付きまとって、ですか?」
「そうそう。それはそれで退屈せずに済みそうだけどな」
「あはは、カーティフも賑やかになりますね」
そうして、たわいもない会話を繰り広げているうちに夜は更けていく。
「そろそろ寝るとするか。しっかり休んで、明日に備えなきゃな」
そう言って、俺はベッドに入り、身体を横にした。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
どちらともなく就寝の挨拶を口にして、俺たちは眠りに就いた。




