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幻惑の魔女

 アンナの命を断つべく、兇刃が振り下ろされる。

 だが、彼女は死なない。死なせはしない。

 俺は一瞬でアンナの眼前に移動し、シュヴァルツの大剣を素手で掴み取る。


「……ぬう」


 シュヴァルツが明白な驚愕の声を出す。先ほどまで圧倒できていたはずの俺が、素手で大剣を掴み取るという業を成したことが信じられないのだろう。

 俺は《腐敗の魔毒(コラプション)》を使い、掴んでいる大剣に闇を流し込んでいく。異変に気付いたシュヴァルツは躊躇することなく、大剣を手放した。闇に侵食されきったそれを俺は無造作に投げ捨てる。


「おい」


 怒気を孕んだ声で目の前のクソ野郎に呼びかける。


「てめえ、今、何しようとしたかわかってんのか?」


 強く、強く、歯噛みする。

 俺がアンナの前に割って入り、大剣を受け止めていなかったら、アンナの命は失われていた。そんなこと、想像するだけでも恐ろしくてたまらない。


「……無論」


 一呼吸置いて、やつの言葉が続く。


「……邪魔する者を斬り捨てようとしたまで」


 極めて抑揚のない声で答えが返ってくる。

 もう我慢の限界だった。


「ふざけんじゃねえぞクソ野郎が!」


 湧き上がる憤怒をぶちまけるように、喉が張り裂けんばかりに猛り吠える。

 そんな俺の感情に応えるように、闇が内側から際限なく溢れ出す。収まりきらない分が全身から漏れ出していくほどの圧倒的な出力。

 俺は力強く踏み込み、シュヴァルツの腹に思いっきり右の拳を叩きこむ。

 拳がシュヴァルツの鎧を砕き、その肉体にまで到達する。俺の渾身の一撃を受けたシュヴァルツは、踵で地を削りながら後退していく。やつが止まったとき、地に背中を付けることがなかったのはさすがというべきか。

 俺の拳とて決して無事ではない。ありったけの力を込めて叩き込んだ一撃は俺の拳をも破壊していた。骨は砕けているかもしれないが構うものか。


「……ぐっ」


 シュヴァルツが腹部に手を当てながら片膝をつく。

 この機を逃す手はない。落としてしまっていた魔剣を引き寄せ、掴み取る。

 俺はシュヴァルツめがけて、矢のごとく走り出した。

やつは隙だらけ。次の一撃を以って闘いを終わらせよう。やつの首へと魔剣を振るう。


――殺った。


そう確信する。しかし、剣は虚空を斬り裂くのみで、何の手ごたえも得られなかった。

 有り得ない。シュヴァルツの姿が蜃気楼のように忽然と消えてしまった。

 慌てて周囲を見渡すも、やつの姿はどこにもない。いったい何が起きた!?


「そう取り乱すでない……幕が引かれた。ただそれだけのことよ」


 突然背後から聞こえてきた女性の声に振り返る。その反応はもはや反射的であった。

 そこにいたのは、妙齢の女性。微塵も無駄のない、しなやかな肉体は黒を基調とした服で覆われている。整いすぎているほどに整った顔立ちはまるで人形のごとし。宝玉のような真紅の瞳が妖しい美しさを放つ。白銀の長髪を陽光に煌かせ、褐色の女は薄い笑みを浮かべていた。その隣には見失っていたシュヴァルツの姿がある。

 この女と相対しているだけで、重圧に押し潰されそうだ。シュヴァルツのそれをはるかに凌ぐ威圧感。一存在としての格が違う。間違いない、この女こそがあの寒感の原因だ。


「……ヴィンフリーデ様……私はまだ」


「闘えるとでも言う気かの? 儂が介入せなんだら、今頃お前の首はそこらを転がっていたかも知れぬというに」


 女性が不満そうなシュヴァルツを窘めていた。

 ヴィンフリーデ。シュヴァルツの言によれば、彼女こそシュヴァルツの主。真紅の瞳が舐めるような視線を俺に投げかける。


「重畳、重畳。クルシュナクの連中が極秘裏に召喚の儀を執り行ったと聞いて、やって来てみれば……いやはや、予想以上に面白い小僧がいたものだ」


 女が愉快気に笑う。

 どうやら召喚の事実を知っているらしい。

 しかし、一人で興じられていても困るんだよ。

 

「何なんだ、お前? どっから現れやがった?」


 女から感じる重圧を振り払い、絞り出すように声を出す。


「ずっとここにおったよ。貴様が気づかんかっただけでな」


 女の答えは俺の予想だにしないものであった。

 俺が気づかなかった? そんなはずはない。これほど存在感のある人物に気づかないなんてことは有り得ないはずだ。


「とうにシュヴァルツから聞いているであろうが……改めて名乗ろうか。《皇魔七天(こうましちてん)》序列第三位、ヴィンフリーデ。儂を知るものからは《幻惑の魔女》と呼ばれておる」


 堂々たる佇まいで、女が名乗る。


「そっちの黒騎士はお前の差し金だな?」


「いかにも」


「何のつもりだ?」


 不快感を露わにヴィンフリーデへ問う。彼女は端整な顔を歪ませて笑った。


「面白そうなやつがおれば、からかってみたくもなるだろう? 要はそういうことだ」


 軽い口調で答えてくる。

 その言葉に俺は呆然としてしまう。

 そんなくだらない理由で俺たちを襲撃したというのか?


「狂人が……!」


 ヴィンフリーデに向かって毒突く。

 それを受けても彼女の笑みは少しも崩れない。


「くくっ、狂人か。先ほどの貴様の方がよほど狂人染みていたであろうに」


 この女には人を苛立たせる才能があるに違いない。

 俺は苛立ちを隠しもせず、大きく舌打ちをする。


「人の身に、それほどの闇黒を宿していようとはな……実に興味深い。貴様、儂の元に来る気はないか?」


 何を考えているのか、俺を勧誘しようとするヴィンフリーデ。襲撃した相手を勧誘するなんてどういう神経してやがるんだ?

 当然、俺の答えは決まっていた。


「はっ、意味わかんねえし、有り得ねえよ。顔を洗って出直して来な」


「クク……アハハハハハッ!!」


 にべもなく勧誘を断られたというのに、ヴィンフリーデは高笑いをしてみせる。

 その意図をわずかなりとも掴むことは叶わない。


「良きかな、良きかな。ああ、そうでなくてはならん。世の中、ままならぬからこそ興じるに値するというものだ」


 成功してほしくもない勧誘をわざわざ行ったというのか?

 魔女はどこまでも俺の理解の範疇を超えていた。


「俺が応じていたらどうするつもりだったんだ?」


「興醒めにも程がある。儂手ずから縊り殺していたやも知れぬ」


 そう言うヴィンフリーデは笑みを消していた。

 おそらく、その場合は本気で俺を殺す気があったのだろう。

 冷汗がつうっと頬を伝う。

 傲慢にして気まぐれ。この女がまともな神経をしていないことだけは理解できた。


「しかし、貴様はいったい何者なのか……興味は尽きん」


「俺は俺だ。佐伯悠真以外の何者でもない」


 問いかけるでもないヴィンフリーデの呟きに応え、言う必要もないことを、あえて俺は口にする。そこだけは何としても揺らぐわけにはいかなかったから。

 ヴィンフリーデがあっけらかんとした表情でこちらを見ている。

 ややあって、魔女は満足そうな笑みを見せた。


「愉快たること、この上なし。真に面白い小僧よ」


 魔女はそう言い、視線を側に佇むシュヴァルツへと向ける。


「さて、此度の戯れはこのくらいにしておくかの。存外に楽しませてもらった……行くぞ、シュヴァルツ」


「……御意」


 魔女と黒騎士が踵を返す。

 おいおい、ただで帰れるとでも思っているのか? 落とし前はつけさせてもらわないとな。相手がどれだけ強大であろうと、関係ない。アンナに危害が及んだ以上、やつらを許すわけにはいかない。

 

「逃がすかよ!」


 俺はやつらを逃がすまいと勢いよく駆け出した。


「威勢の良い小僧よのぅ。そういった手合いは嫌いではないが」


 ヴィンフリーデが振り返りもせずに呟く。

 俺は彼女に向けて手を伸ばす。


「まだまだ青い」


 彼女の肩に手が触れた瞬間、脳髄を強烈に揺さぶられる感覚が俺を襲う。平衡感覚が曖昧になり、立っていることすらかなわず、無様に地に横たわってしまう。意識が混濁する。眼前の景色が、その輪郭を失っていく。


「歪なる者よ。いずれまた相見えようぞ。努々、凡愚に成り下がってくれるな」


 やつらの気配が遠のいていく。

 俺の意識が完全に途絶える前に、アンナの叫び声が聞こえたような気がした。


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