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意外な来訪者・前

 その後、俺とアンナは然したる会話もないまま、黙々と食べ進めた。文字通り味気のない食事だったが、身体に活力を宿すために全て残さず平らげる必要があった。料理が美味そうなこともあって、かなりきつかったよ。

食事を終え、俺たちは部屋へと戻ってくる。


「はあ……」


 戻って来るなり、俺はベッドに身を投げ出し、横になっていた。

 正直、味覚がやられているという事実は応えた。五感の中では、生きていく上で最も優先順位の低いといえる味覚。しかし、食事という人生における大きな娯楽を奪われ、俺は陰々滅々に陥っていた。

 考えてみれば、兆候はあったのだ。今日何度か吐血したが、血に特有の鉄臭い味を俺は一切感じていない。そのときは気にも留めなかったが、あのときすでに味覚が失われていたということになる。


――――大きな力には大きな代償が伴って然るべき。


 邪神の言葉を心の中で反芻する。こうなった原因は明白。奪われたのだ。力の代償として、あの邪神によって。

 ああ、やってくれたな、確かに大きな代償だよ。

 なんで俺がこんな目に? 俺がいったい何をした? どれだけ俺を苦しめようというんだ? ああ、くそ、こんな理不尽が許されていいのか?

 考えれば考えるほど、負の感情で心が満たされていく。


 身を焦がすような怒りが湧いてくるも、それをぶつけるべき相手はここにはいない。

 

「くそっ……」


 世界を呪うようかのように吐き捨てたそのときだった。

 俺の手に温もりが伝わってくる。そちらを見なかろうが、間違えようはない。側にいるアンナが俺の手を握ってくれているのだ。


「ごめんなさい……私じゃこんなことしかしてあげられません」


 悲痛な声でアンナが呟く。俺のためにこの娘は悲しんでくれている。

 ああ、駄目だって。そんなことされたら……。


「まったく……泣きたくなるだろ」


 俺の言葉を受け、アンナは握る手にさらに力を込める。


「泣いてもいいんですよ?」


 人を包み込むような穏やかさで優しい声。油断すれば本当に泣いてしまいそうだ。

 

「泣かないっての」


 だけど、涙なんか流してやらない。そんなかっこ悪い姿は見せられない。せめてアンナの前では、頼れる男でありたい。今更遅いのかもしれないが、男の矜持ってやつだ。決してくだらないとは言わせない。


 いいだろう、どうせいつまでもうじうじはしていられないんだ。受け入れてやるよ。視覚や聴覚、触覚あたりが奪われるよりははるかにましだ。味覚が失われようと、アンナを守り切ることはできる。むしろそれだけで済んで良かったんだ。後ろ後ろに考えていても仕方がない。今はアンナを守り、この世界を生き抜くことだけを考えよう。


「とりあえず今日は寝よう。明日のことはまた起きてから考えればいい」


 俺は力なくそう言い、毛布の中に潜り込む。

 今日は本当にいろいろありすぎて、さすがに心身ともにパンク寸前だ。もう寝てしまわないといろいろきつい。 

しかし、なかなかアンナはベッドの中に入ってこなかった。スペースはしっかりと確保しているはずなのだが。


「嫌かもしれないけど、こっちに来てくれ」


 男女が同衾なんて普通であれば避けるべきであることくらいは俺だってわかっている。だけど、アンナがしっかり休めないのは論外。そして、俺自身も体力気力を充実させるために良い睡眠を取らなくてはいけない。そうなると、消去法的に同衾せざるを得ない……多分、俺の考えは間違ってないよな?


「嫌とかじゃないんですけど……うぅ、失礼します!」


 アンナはもじもじしていたかと思えば一転、毛布を持ち上げ、覚悟を決めたようにベッドの中に入って来る。


「お父さん以外の男の人といっしょに寝るなんて初めてです」


 独白のようにアンナは呟いた。俺のいる方と反対側に顔を向けて横になっているため、その表情までは窺うことはできない。


「俺も異性といっしょに寝るってのは、記憶にないな」


「じゃあ初めて同士ってことですね」


「まあ、そうなるか」


 そこで会話は途切れ、夜特有の静かな雰囲気に包まれる。

 俺は平静を保っているように努めてはいるが、本音を言えばかなり恥ずかしいし、理性も少し危うい。健全な男子なら当然というものだろう。

 このまま悶々としてもいられないので、さっさと寝てしまうべく、アンナに向けて就寝前の挨拶を言おうとしたそのとき。


「あららっ、悠真っち、同衾とはやるねぇ」


 不意にそんな声が耳に届き、反射的に上半身を起こす。

 声が聞こえてきたのは窓の方。おかしいだろう、ここは二階だぞ。普通に考えれば、そちらから声がするはずがない。視線を向けると、先ほどまで閉じていたはずの窓が開いており、そこに腰掛ける人の姿があった。俺はこいつを知っている。

 当然だが、状況を把握できておらず、困惑した様子のアンナを尻目に、俺はベッドから立ち上がり、件の人物と向かい合った。


「おいおい、何でお前がここにいるんだよ?」


 来訪者の正体は樋口楓。王宮で別れたはずのクラスメイトの一人である。抜群のプロポーションを誇り、誰とでも分け隔てなく接することのできる女。いつも暢気でいっしょにいると安心感を覚えるというのが彼女に対する俺の抱く印象だった。


「何でって……追ってきたからに決まってんじゃん。いきなりご挨拶だねぇ」


「あのとき別れは済ませたと思っていたんだが」


だからこそ、樋口が今ここにいる理由が見えてこない。万が一、こいつがここに刺客としてやって来ている場合はかなりまずいな。敵に俺たちの居場所が割れてしまっていることになる。クラスメイトと闘いたくなんてないし、何より、この場で戦闘になってしまうことで、アンナに危険が及ぶのは避けたい。


 樋口はあっけらかんとした表情で答える。


「悠真っちが別れを済ませた気でいるだけでしょ? そう簡単に人の縁が切れると思ったら大間違いだって」


「そうは言うがな、俺のことが怖いんじゃないのか?」


 今でもはっきりと思い出せる。クラスメイトたちの怯えるような表情。あれを見たからこそ、俺は別れを切り出したのだ。化物となった俺は、あいつらといっしょにはいられないと思ったから。


「……あのときはごめん。みんなして怖がって、悠真っちにつらい想いをさせちゃった」


 俺たちが頭に思い描いている状況は間違いなく同じだろう。王宮での一幕に関して、樋口が俺に謝罪する。

しかし、今は俺のことが怖くないというのだろうか? 恐怖なんてそんな簡単に消えてくれるものじゃないだろうに。そもそも、お前たちは何も悪くない。化物を恐れるという至極当然の反応を見せただけだ。


「謝る必要はないっての。俺は別につらい思いなんてしていない」


「嘘だよ」


 樋口によって、即座に俺の言葉は否定される。彼女の目はいたって真剣なものだった。


「あたしたちが怯えてるのを見て、すごく悲しそうな顔してたもん。つらくなかったはずないよ」


 なんだよ、バレてるのか。ああ、隠さず言えばめちゃくちゃつらかったよ。あのときは表に出さないように気をつけていたはずなんだけどな。


「仲間を怖がるなんてこと、あっちゃいけなかったんだよ。だから、ごめん」


 そう言って、樋口が深く頭を下げる。

 どうにも調子が狂う。俺は謝罪など望んでいないというのに。無理に俺を仲間と思ってくれなくても構わないのに……いや、さすがにそれは卑屈に過ぎるか。


「その、大事なお話し中、ごめんなさい……ユーマ、そちらの方とお知り合いなんですか?」


 振り向くと、アンナがおどおどとこちらを窺っていた。ずっと黙っていることにに耐えかねたのだろう。俺は頷きを以ってアンナの問いに肯定の意を示す。


「いやぁ、こりゃまた可愛いお嬢さんだねぇ。あたしは樋口楓。楓でいいよ。よろしく」


「よ、よろしくお願いします?」


 手をひらひらと振り、軽い口調でアンナに向けて自己紹介する樋口。

 依然としてアンナは困惑しているようで、挨拶が疑問形になっていた。 


「それにしても、どうやってここを突き止めた?」


 俺がアルジオの方に向かっていること自体は兵士たちから聞いて知っていたとしても、街中から俺を探し出すことは途方もなく困難であるはずだ。しかし、現に樋口は見事俺の元に辿り着いた。まさか手当たり次第に探したというわけでもないだろう。いったいどういう手品だ?


「簡単な話だよ。あたしにはそういう力がある」


「なるほどな、女神の祝福とやらか」


「あれっ、知ってるんだ? てっきり知らないものだと」


 意外そうな表情の樋口。俺は女神に会ってはいないが、女神の下に送られた者には祝福が与えられるというのは邪神から聞いている。


「女神様?」


 アンナの不思議そうな声が耳に届く。胡散臭いことこの上ない話だ。きっと背後ではアンナが首を傾げていることだろう。俺の頭の中はメルヘンチック、とか思われてないことを密かに願う。


「諸事情あってな。いったいどういう能力なんだ?」


「気配遮断に気配探知がメイン。悠真っちの気配は探りやすかったから、この街に入ってからは迷うこともなかったよ。ちなみに敏捷と持久力もかなり強化されてたりするね」


 樋口のその説明を受けて、俺の頭の中に一つの言葉が浮かぶ。


「ストーカーにはぴったりだな」


 思わず口に出してしまう。言わずにはいられなかった。そちらの筋でやっていくにはこれ以上ない能力だ。しかし、お前は勇者として召喚されたんじゃないのか、樋口よ。そんな能力でいいのか? いや、非難すべきは能力を与えた女神の方か。


「本来的な意味の方に受け取っておくけどさぁ……例えるなら、密偵とか、もっとかっこいいものにしてほしいもんだよ」


 心外だと言わんばかりに、樋口は両手を広げて肩をすくめる。

 呼び方云々は別に何でもいい。しかし、その性能は驚愕に値する。部屋への侵入を気取らせない隠密っぷりといい、尋常ならざる業であるのは確かだ。


「あのさ、悠真っち。聞いていいことかわからないから、先に謝っておくね」


 妙な前置きであったが、なんとなく樋口の聞きたいことは予想がつく。

 話の流れからも、おそらく俺の予想は間違っていないだろう。


「あの力、いったい何? どうしてあんな力が悠真っちに宿ってるの? 私たちが女神様のところに行っている間に何があったの?」


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