第2話 初めてのダンジョン
初戦闘シーンです。
ダンジョン。世界各地に点在しており、未だに新しいダンジョンの発見の知らせが絶えない。まだ発見されていないものも相当な数に上ると予想されている。
ダンジョン内部の構造はそれぞれ違う。今回アドが潜るダンジョンのように迷路構造のもの、だだっ広い草原が続くだけのものもあれば、樹海のように木々の生い茂ったものや辺り一面火山に囲まれているダンジョンなども発見されている。
全てのダンジョンに共通しているのはダンジョンは必ず地下にある――出入り口は地上に存在する――ことと、魔物が生息し、宝箱と罠が複数個、設置されていることである。宝箱は一度中身を取り出せば、罠は一度作動すればその姿を消す。そして日の変わる午前0時にダンジョン内はリセットされ、ランダムな場所に再び設置されるのだ。
魔物はダンジョン内の壁や床、天井などからぽろりと産まれ落ちる。彼らが殺され命が尽きた時は、死体は消え、大量の光の粒となってダンジョンに還っていく。その後現場に残るのは、彼らが倒された際に一定の確率で落とすドロップアイテムと、彼らの体外に飛び出した血液のみである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
剣を突き出しゴブリンの胴体、その心臓部を突き刺す。絶命したゴブリンの体は小さな光の粒となってダンジョンに還っていき、その一部は俺の体に吸収された。これが経験値となり、吸収すればするほどステータスが上昇していくのだ。
後に残されたのはゴブリンを倒した証拠となるドロップアイテム『ゴブリンの耳』。いつ見ても気持ちが悪い。
ゴブリンの耳は食料になる。だが肉付きも悪く味もすさまじいので、かなりの低価格でしか取引できない。自分は食べたことはないが、貧しい人々、特にスラム街に住むもの達はよく食べるらしい。
剣を振り刀身についた血を振り払う。眼前にいる残り二匹のゴブリンに狙いを定め、ぐっと腰を落とした。二匹のゴブリンは仲間が殺されたことで動揺していたが、すぐに平静を取り戻し戦う姿勢に戻る。一匹はその手に持つ小さなナイフをもう一匹は素手を、それぞれ構えた。
ゴブリンは最弱のモンスターだ。2匹程度ならば全く怖くない。身長140cm程の彼らは知能が低く自分達が狩られる側であることを理解していないようだ。一思いに飛びかかろうとその小さな足に力を込めている。
だが彼らよりも先にこちらが動いた。
「はっ」
自慢の足を活かし、ゴブリンとの距離を瞬時に埋める。その速さにゴブリンは驚いたように「グゲッ!?」と声を上げるが、その間抜けな声を無視し、首を目がけて水平に一閃。切れ味の悪いこの剣ではスパッと切り飛ばすことは出来ないが力を込め全力で振り切る。
大量の血を吹き出しながらゴブリンの首が飛んでいく。しかしそれには目もくれず、もう一匹のゴブリンの方向を向く。ダッシュし、走る勢いそのままにゴブリンの喉元に突きをお見舞いする。ぐさりと喉に剣が刺さる。
「グ……グゲェ」
剣を引き抜くとゴブリンはばたりと倒れた。
命を失った二匹は同時に光の粒となり昇っていく。魔物自体は気持ち悪いがこの光はいつ見ても綺麗だ。二つの耳がぽとりと落ちる。後味が悪い。
ドロップアイテムの回収用に持ってきた小さめのバックパックに計3つのゴブリンの耳を入れる。冒険者の稼ぎは魔物を倒した時に手に入るドロップアイテムの売却のみだ。しかもその一部は冒険者組合に税として持って行かれるので駆け出しの収入はかなり低い。
通常種は3割程度の確率、強化種に変異種、ボス級モンスターは確実にドロップアイテムを落とす。通常種以外のドロップアイテムは通常種のドロップアイテムに比べて価値が高い。個体性能が通常種よりも高いため、当たりまえの話ではある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アドの倒したモンスターがドロップアイテムを落とす確率は普通よりも遥かに高く、通常種からは大体8割程度の確率で手に入る。レアスキル『幸運』の効果により、ドロップアイテムの入手確率が上がっているのだ。
アドはドロップアイテムを回収した後、一度地図を確認する。
(俺の実力なら2階層までなら危険はない)
そう思い、2階層へと続く階段の位置を確かめる。
ダンジョンのモンスターは階層が上がれば上がるほど、比例して強くなっていく。同じゴブリンでも1階層のゴブリンよりも3階層のゴブリンの方が手強い。またダンジョン内は3階層ごとに区切られており、4階層に行けば3階層までのモンスターは姿を消し別の種類のモンスターが生息している。
そのため、3階層と4階層の間には一つの壁があり、駆け出しは初めにここでつまずく。調子に乗り実力不足にも関わらず4階層へ行って帰らぬ者となった冒険者たちはたくさん存在する。
アドはソフィーに何があっても4階層へ行ってはならないと注意されていた。おばさんからの忠告もあって、探索するのは安全な2階層までと決めている。
2階層への階段に向かう途中、数匹のモンスターを倒したところで、アドは宝箱を発見した。宝箱は木で出来ていて、ささくれ立っていた。
宝箱はレア度によって箱の質が変わる。木製の宝箱は一番等級が低いが、初めての宝箱なのだからどうしても期待が高まってしまう。何が入っているかと心を躍らせ、勢いよく宝箱を開ける。
中に入っていたのは一本のポーション。実はこれでもかなり当たりなのだが、大の期待をしていたアドは少し落ち込む。それでも貰わないよりは何倍もマシだと、気を取り直し、巾着の中にポーションを入れる。
その時、巾着の中に入っているおにぎりにアドの手が触れた。
(そろそろお昼の時間かな)
まだ午前10時頃なのだが、ダンジョン内にいるため時間の感覚が分からず、度重なる戦闘で腹を空かせていたアドはそう思い込む。地図によれば2階層の階段はもうすぐだ。丁度タイミングが良いので、彼は階段の場所まで行き、そこでお昼を取ることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピ。
耳をつんざくような音が空気を震わせる。完全に気を抜いていた、おにぎりのことしか頭になかった。
過去の自分を恨みながら全力で通路を駆け抜ける。自分は今、来た道を逆走している。
お腹がすき、おにぎりを楽しみに階段を目指していた。途中今日初めてのワー・ウルフに遭遇したが、スフィアの外で闘った経験を活かし、軽々と撃破した。あと2つほど曲がり角を曲がれば階段という所でミスを犯した。
トラップを踏んづけ、作動させてしまったのだ。
作動した瞬間、辺りに鳴り響くとてつもなく大きな警報音。侵入者の存在を知らせる警報機タイプの罠だったらしい。このままこの周辺にいても、続々と1階層に住む魔物達が現れるだろう。
確か時間が経てば音は止み、魔物たちも元いた場所へ戻っていくはずだ。離れた所で待機していよう。そう思い一目散にそこから離れることにした。
とはいえ自分がこのダンジョンに潜ったのは初めてだ。道なんてほとんど分からない。闇雲に逃げ回っては魔物達を撒けたとしてもその後に苦労するだけだ。そうして考えた結果、自分が来た道を引き返すことにしたのだ。
広間に出る。広間には自分が今通った通路を合わせて四方に一つずつ、通路が繋がっていた。自分がダンジョンに入りここまで来る途中に使った道は向かい側にある通路だ。
急いで向かい側の通路へ駆け込もうとするも、通路の奥から魔物の群れがやってくるのを発見する。多種多様な魔物がおり、どれも皆、闇の中でギラギラと目を光らせていた。道が塞がれている。このまま進むことは出来ない。
「……っ!」
慌てて進路を変えようと右を向く。が、そちらの方角からも魔物が押し寄せてきていた。左からも同様だ。唯一魔物が来ていない背後を振り返る。しかしそちらの方向へ逃げたところで、罠のあった場所へ戻ることになるだけだ。そうなれば今よりも酷い状況に陥るのは目に見えている。
「くそっ!」
逃げ道はない。いわゆる袋のネズミという奴だ。今、追いつめてられているのは自分の不注意が招いたことだ。あの時もう少し気を付けていれば、油断さえしなければと後悔の念が波のように押し寄せてくる。
だが今更悔やんだって仕方がない。もう既に事故は起きてしまった。生き延びたいのなら、死にたくないのなら。
「戦うしかない」
この広間で敵を迎え撃とう。背後にある広間よりも狭い通路に逃げ込んで、一度に対面する敵の数を少なくするというのも手だ。だが別の集団が反対側からやって来てしまえば、挟み撃ちの状態になり生き残れる確率は限りなく0に近づく。
それならば自分の俊足を活かして、広間の大きな空間を最大限利用し戦う方が得策なのではないだろうか。敵が密集すれば同士討ちが起き、勝手に敵の数が減っていく可能性もある。
すうううっと深呼吸をする。剣を抜き静かに構える。こんな所で死んでたまるか。俺はまだ何も成し遂げていない。ただの一度も、冒険していない。
3方向からやって来た魔物達の、各軍団の先頭が遂に広間まで到達する。ゴブリン、キックラビット、ワー・ウルフ、オオトカゲなど様々な種族の入り乱れた集団は、一様に自分を獲物のように見つめてくる。
目算で大体80匹程度はいるだろうか。これほど魔物が集まっている光景は見たことが無い。第1階層の最弱モンスターたちなので一体一体は弱いが、これほどの数で襲われるとどうなるか分からない。
警報機の音が徐々に小さくなっていく。魔物たちのうめき声が段々と耳に届くようになる。
警報音が完全に消える。それに入れ替わるように魔物たちの叫びが轟き、一人の冒険者と魔物の大群との戦闘が開始した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その頃、冒険者組合の中にある受付嬢用の休憩室の中で、ソフィーは一人の少年のことを考えていた。成人する前に冒険者になるものは少なく、14歳で冒険者の彼は中々に珍しかった。透き通ったような水色の髪をしていて、くりっとした黒目がその童顔にマッチしていてすごく愛らしい。
ソフィーはすぐに照れる可愛い少年のことを気に入っているが、それは異性に抱く恋愛感情とは全くの別物の、ペットに対して抱く愛情と変わらないものだ。自分の担当している冒険者は運の悪いことにむさ苦しい男達が多いので、彼はソフィーにとっての一種の清涼剤だ。
「えへへ~」
彼のことを考えるとついつい頬が緩んでしまう。本当に可愛いと思う。本人は可愛いというよりカッコいいと思ってもらえる方が嬉しいのだろうが彼は断じてカッコいい系ではない。
「どうしたんだ、ソフィー。そんなにだらしない顔をして」
にやにやしてる私を見て、同僚のティファが変態を見るような目で見てくる。
ティファ・ミーリア。
ものすごく綺麗な金色をした長髪を持っており、受付嬢達の中でも最も目鼻立ちが整っていて、身長も高くスタイルもすらっとしている彼女は、嫉妬する気持ちも湧かないくらいの超ド級の美女だ。唯一残念なのはその胸だろうか。まな板と呼んでも差し支えないほどに平らだ。
尖った耳は彼女がエルフであることを示しており、エルフの女は皆貧乳のため彼女の絶壁は仕方のないことだ。その代わり、エルフとして生まれてくるだけで美人であることは確定しているのでそれでチャラだと思う。
常日頃キリッとした表情をしており、潔癖なエルフ達は、男女問わずだらしない態度の者たちをあまり好まない。ティファもそうで、今はだらけている私を見て少し嫌そうな顔をしていた。嫌われたくないので、姿勢と表情を正す。
「アド君のことを思い出しちゃって……」
はにかみながら、彼女の質問に返事をする。すると彼女は顎に手を当て「ふむ」と考え込んだ。
「この前もその者の話をしていたな。惚れているのか?」
ティファは冗談を言わない。今もからかっているのではなく真剣に尋ねてきたのだろう。その証拠に彼女の表情は至って真面目だ。
「そういうことじゃないの、ただ可愛いなぁって」
「男が……可愛い?」
意味が分からないと言いたげな顔をする。
「格好良いの間違いではないのか?」
どうやら本当に私の言いたいことの意味がわかっていないらしい。
「いや、確かに男の子に可愛いはおかしいかもしれないけどさっ。何て言ったら良いのかな? 遊んでいる子供たちを見て、微笑ましい……みたいな?」
私は説明が下手だ。説明したいことを上手く纏められない。それでもティファは察してくれたようで「なるほど」と頷いてくれた。
「つまり母性だな?」
察してくれなかったようだ。
「うーん、ちょっと違うかな?」
的外れな彼女の言葉に笑みがこぼれる。彼女自身は決してふざけていないのだが、だからこそ、そのシュールさに笑ってしまう。
「そうか……」
また彼女は考え込み始めてしまう。しかし時計を見ると、もうすぐ休憩が終わる時間になっていた。
「ティファ、時間だよ」
「む、本当だ。準備せねば」
そういって早めの昼食のあとを、片付ける。私もそれに倣い支度を始めた。そしてふと
アド君は今、どうしてるんだろう?
彼のことが気になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はああああああああ」
アドは渾身の力を込めゴブリンを蹴り上げる。深くみぞおちに入り、ゴブリンの体が浮き上がった。衝撃で、ゴブリンの手からナイフがぽろりと零れ落ちる。地面に落ちる前に空中で掴み、左から突進してきたキックラビット目がけて投擲する。
ナイフが命中したのかどうか、目で確認している暇もない。当たったと信じ、背後からこっそりと迫っていたオオトカゲに向き直る。オオトカゲは気づかれていないと思っていたのか驚いたように動きを止めた。構わず剣を振り下ろし頭を真っ二つにする。
キックラビットからの攻撃はなかった。運よく命中してくれたらしい。オオトカゲとキックラビットが光となってダンジョンに還っていく。今倒した二匹の魔物を合わせて計20匹は討伐した。広大なこの広間を駆け回り、敵の攻撃を避けながら1匹ずつ確実に倒していったのだ。
隙を見て機会があれば広間から脱出しようとも思っていたのだが、どうやら魔物達が多すぎるようで通路が詰まっていた為、脱出することは出来なかった。全ての魔物が広間に入ってこれたのはつい先ほどだ。
今はもう広間の殆どが魔物で埋め尽くされていて。走り回れるほどの空間はない。故に通路へ脱出することも不可能になってしまった。今この部屋には何匹の魔物がいるのだろうか。数えてもキリがない。
「ふう……」
これだけの数の魔物に囲まれているというのはいっそ清々しく思えてくる。冒険者組合の職員に教えてもらった、警報機タイプのトラップの説明を思い出す。職員は確かに、焦らずにその場を離れれば危険を回避出来ると言っていた。
そもそもダンジョンは一つ一つの階層が驚くほど広い。それに反して魔物の絶対数は決まっていて遭遇する確率は低く、一つの場所に密集しているというのは稀だ。但し群れて行動する魔物はその限りではなく、ゴブリンもその一例だ。
つまりどういうことか。単純に考えて今のこの状況はおかしいのだ。警報機は確かに大音量でなっていたが、音の届く範囲にこれだけの魔物がいる可能性は限りなく0に近い。しかし俺には、一つだけこの状況を説明できる心当たりがあった。
そう、俺の所持スキル『悪運』だ。
たまたま警報音の圏内に魔物が集まっていて、たまたま俺の逃げた先から魔物が押し寄せてきたのだろう。そうでないのならば、ダンジョンに異変が生じたということになる。このダンジョンが、初心者向けダンジョンとして利用され始めてから数百年。一度もそんなことはないのだから、こんな馬鹿げた可能性は考える必要もないだろう。
思考するのもほどほどに、次の標的に目を向ける。「グルルルル」と喉を鳴らしているワー・ウルフだ。こちらの様子を窺うように睨みつけてくる。
次には牙を剥き出しにし、獲物を噛みちぎろうと襲いかかってきた。動じることなく冷静に躱し、返す剣で斬りつける。ぶしゃぁと血が飛び散り顔にかかった。
息絶え、消えるワー・ウルフを尻目に汚れた顔を袖で拭う。これで21。いつまでこの戦闘は続くのだろうか。まだ一度も傷を負ってはいないが、ここからは時間の問題だろう。逃げ道がないため、先ほどのようにヒット&アウェイを駆使し戦うことは不可能だ。
いつ致命傷を受けてもおかしくはない。回復は品質の低く、あまり効果の期待できないポーション2本のみだ。心もとなさすぎる。
ふと地面を見ると、せっかくのドロップアイテムが魔物に踏みつぶされ、原形を留めていなかった。あれでは換金することは出来ないだろう。これだけの苦労をしているのに稼ぎが目の前で消えていくというのはあまりにも悲しい。
「お金よりも命、お金よりも命」
頭を切り替える。一先ずはこの状況をなんとかすることが先だ。いくら稼いだ所で生きていなければ意味がない。気を取り直し、戦闘を再開する。反撃を貰わないよう、丁寧に一匹ずつ処理していく。
――しかし
「このままじゃ拉致があかない」
いつまで経っても減らない数にとうとうしびれを切らす。複数の敵をまとめて相手取ることにした。一匹当たりに与える傷は浅くなるだろうが、殺すことは出来なくても、傷を負わせれば動きが鈍くなるはずだ。
殺すのは敵の動きを封じ、危険のない状態になってからでも遅くはない。
「だああああああああ」
声を張り上げ、次々と魔物を斬り伏せていく。魔物を倒すにつれ経験値が増え、徐々にステータスが上がっていくのが分かる。数十単位の魔物を続けて殺した経験などなく、ステータスの伸びを実感することもなかったのだが、この時はそれが感じ取れた。自身が強くなっていることが分かるのは、こんな絶望の中でも気分が良い。
だがいつまでも浮かれてはいられない。避けきれなかったキックラビットの蹴りが脇腹に刺さる。
「がっ……!」
魔物たちの筋力は人間のそれより遥かに高い。身体能力がステータスと共に上がっているとはいえ、人の体はモンスターに比べると遥かにもろい。ましてやランクFの自分はなおさらだ。敵から食らう衝撃を和らげる役目を果たす防具も、金が足りずまともに購入していない。
強烈なその攻撃に耐えられずぶっ飛ばされてしまった。痛みをこらえ、受け身を取る。ここぞとばかりに追い打ちをかけてくる魔物達を剣で迎撃し、一旦バックステップで後ろに下がった。脇腹がずきずきと悲鳴を上げる。
じりじりと後退しモンスターとの距離を保つよう心掛けていると、不意に、トンと壁に背中が当たった。
かちり。
「ん?」
背後から何か音が聞こえた。不思議に思い、後ろを振り向く。そこには周りの壁とは少し違う色をして、出っ張っている部分があった。まるで何かのスイッチのようだ――いや、間違いない。
これはトラップを作動させるスイッチだ。
「…………」
今日二度目のトラップに引っかかる。擁護出来ないほどのドジを踏んでしまった。一日に二度も罠に引っかかる馬鹿は、駆け出しでもそういない。
がらがらと音を立て、通路と広間を区切るように壁が出現した。四ケ所全ての位置にだ。そして十匹の魔物が追加で広間内に産まれる。
「クソ……!」
この罠についても説明で聞いていた。広間にのみ存在するもので、一度作動すれば広間内の敵を全て倒すまで通路は塞がれたままらしい。逆に言えば敵を全て倒せば道を塞ぐ壁は崩れて無くなるということだ。
常ならば。普段ならば、トラップの作動と同時に産まれる約10匹の魔物を倒せば解除出来るので、あまり危険性はない。だが今回はまるで話が違った。残る100以上の魔物を一匹残らず撃破しなければ解除出来ない。魔物の数が減ればすぐにでもここから逃げ出そうと思っていたのだが、そういう訳にもいかなくなった。
不幸(自分のミス)が不幸(自分のミス)を呼び、どんどんと地獄へ続く穴に落ちていく。ダンジョン探索に夢を見ていた今朝の俺はもういない。ダンジョンは冒険者とモンスターが命のやりとりをする場なのだと、初めてのダンジョンの脅威に触れ意識を改めた。
魔物達は追い詰めたというような目で俺を見る。その表情はどこか勝ち誇ったようで、俺をあざ笑っているかのようだ。あまりの自分の間抜けさと、魔物に見下されているという事実に腹が立つ。こいつらは今、俺のことを虫けらのように思っているのだろうか。その気になればいつでも捻り潰せると、そう考えているのだろうか。
ムカつく。
怒りが再び体に力を籠めさせた。だがあくまで頭は冷静に、熱くするのは心だけでいい。
巾着の中からポーションを取り出し、蹴りを食らった場所へぶっかける。ポーションは飲めば体全体を癒してくれるが、患部へかければそこを重点的に治療してくれる。便利な道具だ。あの時宝箱から手に入れていたのがポーションで良かったと今更になって思った。
残るポーションは後1個。大事にとっておかなければならない。目算だが恐らくまだ3分の1も敵の数は減っていない。倒しても倒しても、視界の中は魔物魔物魔物魔物。いつになったらいなくなるのだろう。見当もつかない。しかし俺の心は折れず、寧ろ胸の中で熱く炎が燃え上がる。
上等だ。逆に魔物共の心をばきばきにへし折ってやる。
壁際に追い込まれた俺はどうすればこのピンチを切り抜けられるのかを考える。あまり時間はない、もたもたしていればモンスターたちに襲われ殺されてしまう。少ない猶予の中、色々考えたが選んだ方法は一番単純なものだった。そもそも武器がこの剣一本しかない自分がとれる選択肢など少ない。剣を構え、心の中でカウントダウンをする。
3
失敗すれば魔物の群れに呑まれ、たちまち息絶えてしまうだろう。
2
だが今の俺に出来ることは限られており、どれも現状を打開できる可能性は低い。それならばせめて、最も派手でカッコいい戦い方をしよう。
1
多分それは無謀な賭けだ。だが、それでも俺は決行することにした。決して上等とはいえないが、村の皆の思いが込められた剣に命を預ける。
俺が取った行動とは。
……0
「突撃だあああああああああ」
猪のように、馬鹿みたいに突進することだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
群れの中央へ全速力で突っ込む。快足を誇る俺の本気は、かなりの速度が出た。群れの中に一度突入すれば、四方八方全て魔物なので剣をめちゃくちゃに振り回しても当たる筈だ。魔物達はまさか俺がこんな無謀な攻めに転じるとは思ってもみなかったらしく、動揺し動きが固まっている。
進路に立ちはだかるモンスターは意識して斬るが、それ以外の敵にはかなり適当に攻撃する。だが剣を持つ手に籠める力はいつも以上だ。気を抜くとすぐに手放してしまいそうになる。視界が魔物で埋め尽くされる中、ただ前だけを見て、真っ直ぐに突き進む。
これまで以上に返り血が凄まじい。すぐに全身が血まみれになった。目にかかり、前が見えなくなる事態だけは避ける。他の箇所にならばいくらかかっても問題はない。洗うのが大変になるだけだ。冒険者になった時点で、体の汚れなど気にしてはいけない。
がむしゃらに剣をぶん回し、次から次へと魔物を屠っていく。
斬って斬って斬って斬る。
どの魔物を殺したのかも分からないまま、ひたすらに駆け抜ける。
群れの中央をぐんぐんと突き進む。今の自分はさながら暴走する戦車のようなものだろう。止めようと思っても止められない。止まってなんかやるものか。
斬られたモンスターは断末魔の叫びを上げ、地面に倒れ伏す。ばっさばっさと斬り倒し、何体のモンスターを葬ったのかも数えられぬままに、
「だあああっ」
群れを抜けた。先程まで周囲を魔物に囲まれ嫌な熱気に包まれていたので、空気がすごく気持ちいい。しかし心地よい空気の冷たさに浸っている場合ではない。すぐに反転する。
「がああああああああああ」
獣のように咆え、再び群れへ猛進する。二度目の突撃には流石に魔物側も対応して、彼らに生まれつき供えられた武器――尖った牙や堅牢な足、鋭い爪など――で迎撃しようとする。だがしかし、味方が邪魔になり思うように動けないようだった。その多すぎる数が、不利な方向に傾いている。
倒したそばから魔物が光の粒となって消えていくのは快感だ。魔物で埋まっていて、足の踏み場の少なっていた広間に余裕が出来始めた。確実に敵の数が減っていってる証拠だ。
今の自分の戦い方を、長年冒険者をやっている手練れの人達が見たら笑うだろうか。それともあまりにも危険だと止めに入るだろうか。どちらもあり得る。実行している自分でさえこの戦法が綱渡りであることを自覚しているのだから。
再び群れの中から飛び出した。またも体の向きを変え、三度目の突進に移る。二度成功させ少し浮かれていた俺だったが三度目は今までのように行かなかった。
何と魔物が、味方ごと俺を攻撃しようとしてきたのだ。
「はあっ!?」
こうなるともう無茶苦茶だ。戦況が全く把握できない。どこから攻撃が飛んでくるのかも、どちらに避ければいいのかもだ。
ワー・ウルフが飛びかかってきた。その跳躍力は素晴らしく、俺の顔の位置と同等の高さまで飛んでいた。それを体を捻ることで、寸前で回避した。体勢の立て直らないまま、ワー・ウルフの進行方向に剣を置く。空中にいるワー・ウルフはブレーキをかけることが出来ず、勢いそのままに自ら剣に斬られにいった。
衝撃で剣を落とさぬようにしっかりと握りしめる。剣先がワー・ウルフの腹部に入り、ズシャシャシャッと腹を切り裂いた。絶叫が耳に響く。ぼとりとワー・ウルフは地面に落ち、光となって消えた。
地獄のような光景だ。あちこちで魔物の悲鳴が響き、床には血だまりが出来てしまっている。地面に転がっている、体に深い傷を負うも死にきれなかったオオトカゲ。剣で斬られた箇所からは少し内臓が飛び出しているのが視界の端に映る。
目の前にキックラビット。得意の蹴りを放とうとワー・ウルフと同様、顔目がけて飛び込んできた。慌てて剣でガードする。ガンと音をたて、防がれるキックラビットの飛び蹴り。しかし眼前で驚くことが起きた。
キックラビットの首からナイフが生えたのだ。
「なっ……!?」
いや、違う。キックラビットの背後に控えていたゴブリンが、キックラビットごと俺にナイフを突き刺そうとしたのだ。それが角度的に、俺からはナイフが生えたように見えることとなった。
首を貫通したゴブリンのナイフがそのまま俺の顔目がけて迫って来た。キックラビットが目隠しとなり、気づくのが遅れた俺は間一髪、回避に成功するが大きく体勢を崩されてしまう。
しまった!
左から、別のゴブリンが手に持った短小のナイフで俺を狙っているのが分かった。視界の端で、刃がきらりと光る。だが避けようとしても、崩れた体勢がそれを許さない。そして為す術もないままに。
左肩に、激痛が走った。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ]
あまりの痛さに剣を持った手で肩を押さえ、悶絶する。しかしいつまでも立ち止まってはいられない。せめてこの魔物の群れから抜け出してからでなければ、たちまち襲われ力果ててしまう。そして骨以外の部分を余さず喰われてしまうだろう。
涙目になりながら痛みを堪える。俺に傷を負わせたゴブリンだけは憎しみを込めてぶった斬り、何とか群れの端っこまで走り、転がり出た。傷口が地面に触れ、再び激痛に襲われる。一瞬だけ剣を地面に置き空いた右手でポーションを取り出し、肩にかける。
「ぐっ……」
かなり沁みて痛い。思わずうめき声をもらす。今まで生きてきてナイフを刺されたのは初めてだ。こんな痛み、体験したことがない。
低級のポーションなので、傷口が塞がった程度にしか回復しなかったがそれで十分だ。戦闘では、主に剣を装備した右手ばかり使っていて、左腕が使い物にならなくなったとしてもあまり支障はない。
まだ生き残っている魔物を数えると想像していたよりも遥かに少なくなっている。
そうか、魔物同士でも殺しあってたから……。
と、そこで気づく。強化種が出現している可能性があることにだ。慌てて、一匹一匹観察するがそれらしい個体は一匹もいなかった。
「よかった……」
ほっと一安心する。強化種が現れてしまっていたら、完全に詰んでいた。
『強化種』とはその名の通りかなり個体性能が強化された魔物のことだ。魔物が魔物を倒し、経験値を手に入れれば強化種に進化するらしい。幸いにも今回は、強化種に進化できるほど経験値が溜まった魔物はいなかったのだろう。
残る数は30匹ほど。これならば勝てる。最後の力を振り絞り重い腰を上げる。もう体力的にも限界だ、戦闘を長引かせることは出来ない。一気に決着をつけよう。
深呼吸をした。途端にぼーっとしていた頭がクリアになり体に力が戻る。これで最後だ。気合を入れ、敵を睨む。
「グゲゲゲゲ」
「ガルルルル」
「キュー……」
魔物達の顔に油断はなかった。数の差は依然として大きいが、俺を強敵だと認めたようだ。やっと気づいたかと虚勢を張る。
疲れで震えそうになる足を鞭打ち、ぐっと前へ踏み出す。一歩、一歩と敵へ近づいていく。段々と動かす足が速くなり、いつの間にか俺は走り出していた。
勝利まであと、一踏ん張りだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はぁはぁはぁはぁ……」
息が整わない。未だに緊張と興奮で心が震えている。手には力が入らず、足は動かせる気さえしない。今俺は、仰向けになって寝転がっている。
通路と広間を分断していた壁は、もう存在していない。俺は勝利したのだ。ピクピクと痙攣している手を頭上に掲げぐっと握りしめる……ことは出来なかった。そのぐらいの力も残っていないのだ。上げた腕をぱたんと下ろす。
「疲れたあああああ」
勝利の余韻に浸る。ある程度動けるようになればドロップアイテムの回収もしなければならないし、ダンジョンの出口までの距離を歩いて帰らなければいけないが今だけは気持ちよく寝転がっていたい。
元はといえばトラップを作動させた自分が悪いのだが、不幸なことだったと死闘を振り返る。これもひとえに『悪運』のせいだ。警報音であんなに魔物が集まってきたのも、自分の背中が触れた壁の所にたまたま罠があったのも絶対にこいつが原因だ。許さない。
だが勝負に勝ち、今自分はこうして生きている。それならば問題はないような気がしてきた。うん、問題ない。終わりよければ全て良しという奴だ。
「あ、そういえば」
ふとおばさんから貰ったおにぎりのことを思い出す。良く考えたら結局自分はまだ食べていない。腹が減り注意散漫になって、こんな羽目になったのだ。起き上がり座った状態のまま、巾着に手を突っ込む。中に入っているものを掴み、引き抜いた。
姿を現したのはぐちゃぐちゃになった、おにぎりを包んでいる葉っぱだ。しっかりと包んであったようで、葉っぱの隙間から米粒がはみ出している、ということはなかった。包みを開くと原形を留めていないおにぎりが出てきた。
「いただきます!」
夢中になって齧り付いた。大口を開け、ばくりと食べる。美味しい。形が変わっても、味は変わらない。
ばくり、もぐもぐ、ごくん。ばくり、もぐもぐ、ごくん。
一口、また一口と頬張っていく。おばさんの愛情が詰まったおにぎりは、俺の心を優しく包み込んで行った。だんだんと目元に水滴が溜まり始める。今になって生きている実感が湧いてくる。
「う、うえっ……んっ……ぐす」
遂に決壊した。涙が溢れ出す。ぐずりながらも、おにぎりを食べる手は止めない。
ばくり、もぐもぐ、ごくん。ばくり、もぐもぐ、ごくん。
おにぎりはもう冷たいが、胸の中はすごく温かい。
「ほん、じょうに……」
本当に、生きてて良かった。
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