ゼロヨン
ブルームレースの良い所は、その気になれば会場設備に金が掛からず開催できるところだ。
乱暴な極論を言ってしまえば、空さえあればいい。
障害物競争も安価なバルーンでコースを設置すれば十分。
許可が出るなら市街地もレース場に早変わりだ。
短距離ドラッグレース。ゼロヨンが行われるのも、起伏の少ない平坦な土地があれば良い。
普段は釣り人がちらほらいるだけの本島の南海岸の波が穏やかな砂浜とその海上だ。
昔の戦争で海中に沈んだ移動都市から突き出た尖塔や、海流に乗って島の周りをぐるぐると回る乗り捨てられた戦艦の集積群で出来た廃艦島を、目線に捉えながら俺はともかく走る。
5分くらいの道が、今は果てしなく遠い。
騒音対策でゼロヨン会場周辺を覆う消音フィールドの所為で音が全く聞こえてこないから、会場内で騒ぎになっているかどうかも判らず、ただ焦らされる。
くそ。こんな事なら箒を持ってくればよかった。
島から出る日に備えて、魔素をケチって箒を持ってこなかったのが裏目に出たと後悔しても後の祭りだ。
あいつの姿は見えない。
当然だ。
日頃から歩くよりも空を飛んでいる時間が多いあの魔女のことだ。
空を飛んでとうの昔に会場入りしている。
酸欠状態であえぐ、動きの悪い脳味噌でもすぐに判っちまう。
んな事は判ってる。
判ってる。
判ってたはずだ。
脳裏に封印していた嫌な記憶が蘇る。
嫌でも浮かんでくる。
学生時代の輝いていても、ゴミ箱に投げ捨てたくなるほどに最低な記憶を。
それが今の情けない状況と被る。
これじゃ同じだ。あの時と変わらねぇ。
ガキだった俺がどれだけ増長していたか。
俺達は勝ち続けていた。
これが自分達の力だと俺は過信していた。
俺があいつを勝たせていると図に乗っていた。
無理しているのにも気づかず、あいつは気づかせずに、挙げ句の果てにあの様だ。
自分の不甲斐なさに嫌気が差して、全てから逃げたのに、またこうして俺はあいつに……あの人に無茶をさせている!
だからあいつが、あの人が、ロスフィリアが嫌いだ。
出会う前は憧れて、崇拝していたが、嫌いだ。
難儀な性格に呆れ、それでも一緒に歩めて嬉しかったが、嫌いだ。
会わせる顔がなくなった今でもその活躍を願っているが、嫌いだ。
だから関わりたくないと嘯いている。
関わらせちゃいけないと願っている。
それなのにあの人は全てを無視して、こうやってまた俺の前にのこのこと現れやがった。
世界王者の座をあっさりと捨てて来ちまった。
アルバトロスを、俺の店を宣伝しようと、飛ぼうとしてる。
「だっ! くそがっあのアホウドリ! 重すぎんだよ先輩は!」
嫌っているから。
会いたくないと思い込んでいるから。
あえて封印した昔の呼び名を叫んだ瞬間、俺の叫びをかき消す雷鳴の様な轟きと大気をかき乱す衝撃波を伴う空振が身体を打つ。
停止状態からの爆発的な加速力を持ってゴールを目指すゼロヨンスタート時特有の空振音に、思わず足を止めてしまった俺は絶望的な悪寒を堪えて海を見る。
陽炎を纏い水面に波紋を残しながら、海上を飛ぶ箒が俺の目に焼き付く。
それは見覚えのある箒だ。
「ち、違ったか、って安心してる場合じゃねぇ!」
海上を飛ぶ竹箒に赤い袴をひらめかせている先ほどの巫女さんの姿に、俺は胸をなで下ろしかけるが、すぐに我に返る。
専用箒なら時速三百キロを超える速度でかっとぶゼロヨンは、ゴールまで7、8秒足らずで到達する短時間競技。
空が落ち着けば次々にスタートを切っていく。
こうやって足を止めている間にも、次々に脚色された選手コールが終わると共に、空を叩き、海を割る衝撃音が響き、色とりどりのマントを背負う流星が海上を駆け抜けていく。
「こ、ここに根暗な感じの魔女が来なかったか!? 古い箒を持った奴! 飛び込み希望で!」
会場を見渡して砂浜の一角に設置された実行本部のテントを見つけた俺は駆け込み、開口一番で息を切らしながら尋ねる。
これで予想が外れて他の会場にいたら目も当てられないが、その時は次に向かって走るだけだ。
「お、なんだアルバート。お前応援に来たのか? 店の商品を出すならいっとけよ。急いで宣伝文句を考える羽目になったぞ」
テントに詰めていた受付はたまに使っている雑貨屋店長が、暢気に返してくる。
来たのか。やっぱりここに。
自分の予感が当たったのが、ここまで嬉しくねぇのは初めてだ。
「どこだ!? すぐ止めてくれ! 下手すりゃ事故るぞ!」
素人大会でも、レーサー仕様なら時速250キロ位は平均速度として出ているはず。
優勝を狙うなら300は欲しい。
そんな速度で海面に突っ込めば、あっという間にばらばら死体の出来上がりだ。
もちろんマントなどの装飾具によって事故対策用の防御フィールドも張れるが、それはゼロヨン対策済みの箒と防御魔具セットでの話。
テクニカルタイプのアルバトロスで、ゼロヨン仕様箒に加速性で拮抗するなら、他の機能を全てカットして速度全注ぎオーバーブーストして速度優先するしかない。
しかし元々スピード特化じゃないアルバトロスでは、まっすぐ飛ぶのさえ難しく操作性が最悪になる。
速度に回す為に低下した魔力じゃ、装飾具で張る防御結界も風よけ程度の効果しか出ない。
通常なら、普段通りなら、それでもあの空を飛ぶ為に生まれてきた魔女なら何とかしちまう。やってのける。
だけど今は違う。
世界の頂点を取ったその足で、一晩ぶっ続けで飛んできた後で、そこまでのスペックを発揮できるわけがない。
それでもあいつは、あのアホウドリな、あの人はやろうとする。
俺の為に。
知っちまった。知っているからこそ、俺は止め無きゃならない。関わっちゃならない。
俺の顔に浮かぶ形相に、冗談ではなく、急を要する自体と察したのか、雑貨屋の顔色が変わる。
『さぁてお次は飛び入り参加! 箒銘は海鳥から名付けた『アルバトロス』登録選手名も匿名希望のアルバトロス。この名でピンと来た奴はブルーム通だ! 知る人ぞ知る若き天才アルバート制作の魔法箒! ジャンクヤードの新星がついにその秘密のベールを脱ぐか!』
だが一足遅かった。
やけにノリの良い司会者の煽るアナウンスが会場に流れる。
スタートを止める為の停止信号弾を探す余裕すらなく、俺は会場のスタート地点に目を奪われる。
箒にまたがり、ステップに足をかけ、前傾姿勢を取るあの人の姿があった。
ローブとケープをいくつも被って、その特徴的な髪色も顔も見えないが、箒にまたがったあの人を俺が見間違えるはずがない。
甲高い音をたてて響く魔力音で目に見えて異常振動する柄に掴まるあの人の背後では、激しく発光する魔力光が点滅を繰り替えしている。
やはり無茶してる。ブルーム技術者なら誰でも判るオーバーブースト状態。
しかしブルーム技術者以外には派手な演出と思われたのか、観客共からは無責任な歓声が上がる。
それは司会者も変わらない。
『ではカウントスタートだ。3、2、1、GO!!!!』
カウントダウンがゼロになるとともに一切の躊躇もなくあの人がスタートを切る。
荒れる舳先を無理矢理押さえ、ロスしまくりの推進力をねじ伏せ、アルバトロスでは出せないはずの脅威の加速度で突き進む。
その荒々しいライドに歓声が上がるが、そんな歓声を上げて良いもんじゃない。
あれは暴走状態。何時壊れたっておかしくない。
今更止められない。
咄嗟に会場を見た俺は、白と赤い服を身につけた神の御使いの姿を発見し駆け寄る。
「悪い借りる!」
本人の了承も得ないまま俺は、巫女さんの手から先ほど直した竹箒を引っ掴み、基本的な騎乗姿勢である跨がる暇さえも無く、左手で掴んだままの箒の柄を特定のリズムで叩いて起動させる。
先ほど修理したときに起動動作を聞いていたから助かった。
レーサー仕様の箒はその加速性能を余すことなく発揮。
砂浜に大きな後を残しながら、俺の身体を何の苦も無く、空へと運ぶ。
「え!? ま、魔力切れそ…………」
巫女さんが何か叫んでいたが、風切り音で途中から聞こえなくなる。
防御魔術を張る為のマントもローブも無い状態でレーサー仕様を起動。
無茶すぎることをしている自覚はあっても、身体が動いちまった物は仕方ない。
ゴールに向かって一直線に進むあの人に向かってこちらも何とか追いつく為に、速度を上げる。
箒が壊れる前に何としても横付けして、
「げっ!?」
そう思ったのもつかの間、俺が掴んでいた箒の穂先から発せられた魔力光がいきなり弱まり、加速が急激に落ちていく。
この症状は……レーサー仕様って加速優先で魔力馬鹿食いするよな。1レースで一気に使い切るくらいに……魔力切れか!?
技術者としてあるまじき凡ミス。
命の危機には時間感覚がゆっくりになるという都市伝説が本当だったと思う位の余裕を持って、足元で高速で過ぎ去っていく海面に近づいているの認識する。
僅かでも魔力が残っていて中途半端にスピードが出ていた所為で最悪の結果だ。
このまま海面に叩きつけられ、俺はお陀仏。
せめて懺悔するくらいの時間が、あの人に謝れるくらいの時間が。
後悔しかない走馬燈が脳裏をよぎっている俺が海面に叩きつけられる寸前。
身体の真下に白いマントが流れるように滑り込んで、懐かしい香りで俺の身体を包み込んだ。
「ごっ!? つぁ!? ごほ!?」
ドラム缶に入れられ坂道から落とされたような衝撃に情けない声をあげながら、視界がぐるぐると回る。
何回跳ねただろうか、頭がくらくらする位いに振り回された末にようやく回転が止まる。
眼前には青い空と白い雲が見えて、背中にはふわりとしたマントの心地よい感触とウォーターベットの上に寝転んだような不安定感が入り交じった感触。
どうやら生きているようだが、体中が痛くて起き上がれそうもない。
何が起きたのか理解出来ていない俺の視界にあの人の顔が映る。
「……アル……防御魔術無しで……箒乗らない……無茶しちゃ駄目」
白髪めいた銀髪とアメジストの瞳で無表情のまま説教をしてくるアホウドリなロス……先輩。
どうやらこの人に助けられたようだ。
……助けるつもりが逆に助けられる。どこまで情けないんだ俺。
「無茶って、あんたに言われたくねぇ……です」
ようやく起き上がるくらいに身体が動く俺が身体を起こして見ると、ぼろぼろになりながらも無事浮かんでいるアルバトロスに跨がる先輩がいた。
先ほどまで纏っていたケープやローブは俺の身体の下。
陽光と不釣り合いにもほどがある人形めいた冷たく無表情な素顔を晒している。
『と、突然の乱入ですがどうやら両者ともぶ……え。あの髪色、いや!? おい双眼鏡持って来い!』
いきなりのアクシデントにざわつく海岸からは何とか場を静めようとする司会者のアナウンスが聞こえてきたが、途中で声色が変わる。
特徴的な髪色で気づいたようだ。
「アルの所為……せっかくの宣伝……台無し……」
実に珍しくほんの僅かだが眉をしかめて不機嫌そうに海岸を先輩が見つめる。
『ま、間違いありません! あれは昨夜伝説を作り上げたブルームバトル世界王者ロスフィリア! 冷徹なる女帝ロスフィリア! 突然の乱入者をすくい上げたのは女王ロスフィリアだ!』
「えっ!? 嘘でしょ!?」
「本物かおい!?」
「間違い無いってさっきの最高速度からの急ターン! あれはロスフィリアの得意技だぞ!」
司会者の大げさすぎる声と共に、疑いの篭もったざわめく声が会場にいる俺達の元まで届いてくる。
アルバトロスという名は既に忘却の元に忘れ去られたようだ。
それは魔女が望まないこと。
自分の名前より、俺達のチーム名だったアルバトロスを大切に思うこの先輩には。
「……でもアル……無事で……よかった」
またも俺は珍しい光景を見ることになる。
普段は崩さない先輩の口元が嬉しげに僅かに持ち上がっている。
つい見惚れてしまうその笑みを持った口から、
「結婚前……未亡人……嫌」
アルバトロスな先輩は、俺を絶望に追い込んでくれやがる台詞を宣いやがった。
とりあえず序章終了です。
自己嫌悪型ツンデレ悪態系主人公と、それを物ともしない無表情型だだ甘系年上押しかけ妻。
そんな主人公とヒロインが書きたいってのと、魔法の箒を使ったエアレースの舞台裏燃えの感情が暴発して始まった趣味的作品です。
例によって亀更新ですがお付き合いいただけましたら幸いです。
相変わらず趣味全開w