アルバトロスが飛んでくる
マジックブルーム。
いわゆる魔法の箒。
空を飛ぶ為の道具である箒だが、時代や用途、個人嗜好によってその形や術式は様々。
ぶっちゃけるなら空さえ飛べれば後はカスタマイズ自由自在な代物だ。
さらにそこへ速度増加や魔力槽増設等々、補助機能を持たせた魔具である装飾具まで加わるとなると、一つとして同じ物は無い、貴方だけのマジックブルームとなるわけだ。
「神無城王国製の竹箒と。孟宗竹の枝製……予備パーツは? さすがに生系は手持ちにないんで」
今時の箒とくれば金属製、人工繊維が一般的。
それが昨今じゃ珍しい生系箒でしかも出数の少ない東洋手作り系。見るだけでも眼福ものレア箒だ。
試合に備えてちょいと手入れをしようと掃除をしたは良いが、少しばらしただけなのに上手く組めず、挙げ句の果てに無理矢理まとめようとしたら老朽化したヒモの一部が切断、物の見事にバラバラと。
「あるにはあるんですけど、組み方が……おばあちゃんに教わったんですけど再現出来なくて」
肌襦袢、白衣、緋袴。魔力増強三点セット揃った巫女さんが、ばらばらになった竹の柄と細くしなる竹の枝と縛り付ける麻紐を両手に抱え込んで青ざめた顔を浮かべる。
素材と巫女服を見比べて、横に置いたトランクにぎっしりと詰まった学生時代からの財産であるメモノートの山から一冊を取り出す。
「出場競技は?」
ぱらぱらと捲りながら目当ての東洋系生箒のページを探しつつ使用目的を確認。
「ゼ、ゼロヨンです。お店の宣伝なんです。勝てなくてもいいからともかく目立てって! 出場できるだけで良いので、修理してください。で、出ないと特別お給金が……」
400メートルタイムを競う短距離スピード競争ゼロヨン出場の巫女さんとはこれまた趣味的な。
進行表を確認したら、競技は1時間後スタート。なら余裕、余裕と。
優勝されて下手に目立ったらこっちが困るが、出場できるだけで良い応急処置なんぞ技術者としての矜持が廃る。
そこそこ目立つ事が出来る程度にカスタム仕様となると……っと。あったあった。東洋の魔女と呼ばれた魔法使い謹製レシピ集。
そういや最近は季節の挨拶状も送ってなかったし、挨拶ついでに次の逃亡先は東にするかと漠然と考えつつ、素材を受け取る。
「なら今だけレーサー仕様。10分で組むから少々お待ちを。見たところ普段使用品みたいだから終わったら持ってきてくれ」
旋回性能無視な加速番長仕様は短距離では良いが、普段使いには速いわ、曲がらないわと大不評、クレーム間違いなしな性能。
後で改修するのは二度手間だが、自分が手を入れた箒で怪我人を出すのはもう勘弁と思いつつ手早く組み始める。
「そんなすぐに直るんですか!? しかもレーサー仕様って!?」
目を丸くした巫女さんが疑問の色が篭もった顔を俺に向ける。
直るのかって、修理に持ってきておいてその台詞はないだろ。
年いかない若造なんだから仕方ないとと思いつつも、腕を疑われるのはちょいとむかつく。
「安心しろって姉ちゃん。アルバートの奴は無駄に知識は豊富だから、任せておけば大丈夫だ」
まだ昼過ぎだってのに早々と赤ら顔で酒臭いドミニクのおっさんが、不安げな巫女さんを安心させようと軽い口調で話しかける。
しかし無駄に豊富な知識って他に言いようがあるだろと心の中で聞き流しつつも、そう言われても仕方ないとどこか納得する。
千差万別なマジックブルームにあわせて、大抵の技術者はその分野に特化した技能と知識を持つ。
俺のようにあっちにフラフラこっちにフラフラで系統種別問わず、何でも詰め込んでいる技術屋は珍しい世界だ。
ただの酔っ払いにも見えるドミニクのおっさんもこう見えて、プロ中のプロ。
荷重系のカスタムに関しては、俺の遥か上をいく凄腕。
数年前のジャンクヤード祭においてパワー部門を軒並み制覇したのが、ドミニクカスタムで最優秀技術者として表彰されたのは島じゃ有名な話だ。
「それよりか店ってどこだい? はけたら飲みに行かせてもらうわ。最近女房が五月蠅くてあんまり飲みに行けないから安くしてもらえると助かるんだがよ」
「あの……うち占いショップなんでお酒はちょっと」
その時にでた賞金を全部酒代にして奥さんに半殺しにされた上、大会出場禁止を言い渡されたのは、さらに有名な話。
だからこんな凄腕が俺と一緒に、華やかなお祭りの地味な舞台裏である修理班に廻っている次第だ。
しかしこっちとしては願ったり叶ったり。
島を出る前に技術を盗む良い機会と思ってたんだが、パワー系の応急修理が来やがらない。
3日間かけて行われる祭りで今日は初日。
しかもメインがスピード系で、パワー系競技は明日以降だから仕方ないのかも知れないが、初日で持ち込まれれる数は少なく、それもちょっとした修理か、逆にマニアックな物ばかりと偏りが激しい。
結果ドミニクのおっさん曰く、無駄に知識豊富で使い勝手の良い俺が、本日の修理所メインとなった次第だ。
「おいアルバート。酒が切れたぞ。お前持ってないか?」
空になった酒瓶を傾け掌に零れ落ちた雫を舐める卑しい酒飲みそのものなドミニクのおっさんは暇そうに机に突っ伏しながら、自作のノートを見ていた俺に尋ねてくる。
先ほど直した巫女さんが頭を下げながら慌てて出って行ったのも30分ほど前。
今頃は島中で熱戦が繰り広げられていることだろう。
レースが終わった夕方くらいから大わらわなのは、去年で身にしみているから、つかの間の休憩だ。
競技を行っている場所はジャンクヤード本島や周辺海域のあちらこちらに点在している。
だからどこの会場からも着やすいように、中間地点である島唯一の繁華街にある倉庫を一時借りて作られた仮説修理所と言えば聞こえのいい話。
逆に言えば、競技場のどこからも離れた場所にあるわけで、周辺には出店の屋台すらなく、近所の飯屋も軒並み会場に出張中だ。
もっとも俺は金がないので飯屋がやっていても利用できないが、大会運営本部が弁当を支給してくれたから食い物には困らないから問題無しだ。
嗜好品の酒まで面倒見てられるか。
「明日の食事にも困ってる俺があるわけ無ぇっての。酒を買う金があったら、先月折れた釣り道具一式を買い換えてる」
金が入ったら食料品を買うのは、まだまだ素人。
まずは道具。道具さえ揃えば、餌は海岸で捕った虫で補い、魚は周囲を囲む海から取り放題の夢の自給自足生活が可能だ。
「なんだ釣り道具くらい言ってくれれば、うちの倉庫に転がってたぞ。持ってくか?」
ドミニクのおっさんの申し出はありがたいが、少し遅い。
せめて一月前に行ってくれれば、俺の食糧事情は劇的に改善されていただろう。
「……荷物になるんでいいや」
次に行くところが海沿いかどうか判らないし、逃亡生活はなるべく身軽にってのが鉄則。
工具類とノートさえあれば後はどうでもなれでいくしかないだろう。
「ん? なんだお前、出てくつもりか……ひょっとして昨日のアレか。柄のエンブレム、お前の所のだったろ」
常に酔っ払っててもさすが一流の職人。なかなかに鋭い。
完全優勝を決めた女帝が、突然の結婚、引退宣言と、モニターの前で観戦していた連中が驚きで見落としている中、一瞬だけ映ったアルバトロスをちゃんと認識していたようだ。
「エンブレムって? 単にここのレベルの高さに身の程を知ったからだっての。修行の旅。一回り成長して戻ってくるからこうご期待ってな」
十中八九気づかれているのを承知の上で、半分本音の答えを口に出す。
自分の技術ならなんとでもなると軽く考えて島に訪れた当初の自分に説教したいってのは間違いない。
職人レベルと人格レベルが反比例のはご愛敬だが、技術者レベル高すぎだろジャンクヤード職人。
良い勉強させてもらいましたっというか、ドミニクのおっさんを筆頭にまだまだ学び足りないので、ジャンクヤードから出て行くのは正直惜しい。
「詳しく聞かないのがここの流儀だからきかねぇが、あんな別嬪相手にもったいねぇな」
ドミニクのおっさんのぼやきは無視して俺は手元のノートに目を戻して、先ほど直した竹箒の修理プランを頭の中でまとめようとするが、どうにも気がそぞろになる。
俺の居場所をあいつが把握しているかどうか知らなく、直接連絡も取っておらず、それ以前に取れない。
共通の友人、知人ともこちらからは連絡を絶っていたが、たまたま島を訪れて顔を合わせた奴も数人いる。
口止めして置いたが、それもどこまで効果がある微妙。
あの魔女の無表情無言責めのプレッシャーは、そこらの尋問官より遥かに堪えるもんがある。
こんな薄情者のことなんぞ、とうの昔に過去の話と忘れ去られているかと思っていたが、そちらも昨日のアレを聞いた以上は望み薄だ。
唯一の救いはあいつが昨夜いたのは、世界の真反対にあるマークライド。
島に来るまでは通常で1週間はかかる。
長距離航行出来る箒でも魔力補充を考えれば4日は掛かる計算。
祭りが終わるまでは少なくとも安泰。
引き受けた仕事。祭りの修理班をすっぽかすなんて技術者失格の真似をしなくてもすむ。
仕事はきっかりとやって、飛ぶ鳥跡を濁さずでいけるだろう。
アフターケアが出来無いから、万が一でも不具合が出ないように基本に忠実に仕上げようと復習をかねてプランを練っている次第だ。
「おい。アルバート客だぞ。アレ……本物か?」
もっとも自己満足で今ある仕事を疎かにするのも技術者にあるまじき怠慢。
なぜか唖然とした空気が篭もったドミニクのおっさんの声に、つい何も考えず顔を上げ入り口を見た俺は絶句する。
倉庫の入り口にあいつが立っていた。
女にしては長身で、白髪めいた銀髪。
昨夜見たバトル仕様のガチ装備の上に長距離航行用術とおぼしき術式が刻まれたケープを数枚も羽織っている。
人形めいたその顔は、数年ぶりの再会だというのに無愛想を通り越した無表情で、こっちを見るアメジスト色の瞳にも特に感情がこもっていない。
思わず立ち上がった俺の手の中からノートが落ちる音がやけに高く響いた。
その音が切っ掛けだったのか、無言でたたずんでいた魔女が足音もなく、俺達がいるテーブルの方へとゆっくりと歩いてくる。
テーブルを挟んで対峙すると、あいつが無言で俺の目を見てきた。
「な、なんでお前?」
心の準備もクソもあったもんじゃない突然の再会に俺は間抜けな問いかけしか出来無かった。
こいつがいたのは世界の反対側。
半日足らずでたどり着けるはずがないはずなのに。
いるはずがない奴がいるんだ。狼狽するなってのが無茶な話だ。
「超高度飛行箒……試作品……壊れたから捨てた……見せてあげられない」
俺の質問に対して、ロスフィリアは訥々と単語で答える。
とんでもない事を平然と言ってのける辺り、天然仕様は相変わらずのようだ。
「それ絶対持ち出し禁止だろ。使うな。壊すな。捨てるな」
数年ぶりというのに全く成長のないこいつの言動に、俺は頭痛を覚えつつも突っ込まざる得ない。
空気抵抗の少ない超高度を飛ぶ為の箒と関連魔具は世界中で開発競争が行われているが、未だ実験段階の最高機密品。
世界の反対側から半日で到達する性能を持つ箒の開発に、どれだけ金と労力が掛かったかなんて想像もしたくない。
それを無断で持ち出して、酷使して壊して、そこらに投げ捨てる。
こいつはそういう女だ。
どこからそんな代物を持ち出してきたか容易に想像はつくが、昨日の引退結婚宣言といい、相も変わらず実家に迷惑かけまくってるなこいつ。
俺の呻き声が聞こえているのか、聞く気も無いのか、この魔女はマイペースのまま、右手で掴んでいた箒を無言で俺の眼前に突き出した。
目の前に箒を出され、技術者としての癖で観察してしまう。
古風なデザインと柄に描かれた海鳥アルバトロス。別名アホウドリがトレードマーク。
実に懐かしく、同時に過去の自分のつたなさを感じ取れる箒だ。
銘『アルバトロス』
加速性、最高速度は犠牲にしつつも、旋回、上昇、下降性能を可能ギリギリまであげたテクニカル仕様。
数年前にブルームバトル学生大会においてグランドチャンプに輝いたロスフィリアの愛箒で、俺が最後に作ったこいつ専用箒。
「改修……大会出る……出られるの全部」
初対面には口を利かず、慣れて来ても単語で唐突と語る口調はこいつの特徴だが、もう少し愛想をよくしても罰が当たらないと思う。
飛び込みでジャンクヤード祭に出るから、改修しろって事だろうと、長年の付き合いで察する。
しかも本職のバトルのみならず、飛び込みで出られる競技は全部出るつもりのようだ。
他にいろいろあるはずなのに、正直ぶん殴られても俺は文句も言えないくらいに手ひどい裏切りをしたってのに、そこらはどうでも良いのだろうか?
まずは飛ぶこと優先な辺りアホウドリな性格は変わりないようだ。
「改修って……いるか?」
大分へたってはいるがまだまだ現役使用にも耐えられると見積もり、つい懐疑的な声をあげる。
無論数年前のデザインと性能だから、今では時代遅れ感も強い。
プロクラスの大会じゃ雑魚も良い所。
技術発展が著しい学生大会クラスではそこそこ行けるが、世界大会での優勝は無理だろう。
しかしそこらの街の大会で優勝を狙うにはオーバースペック。
ジャンクヤードにはとびきりの箒乗りである魔法使い達も少なくはない。
だがこの魔女は昨夜の大会で箒に乗る魔法使いの頂点に君臨した女帝。
アマチュア相手なら余裕で優勝を浚ってしまう。
世界チャンプが街のレースに出場……反則云々を通り越してこの島の連中の気質を考えれば盛り上がりまくり間違いなしだ。
「判った……宣伝してくる……チームアルバトロスの復活」
俺の言葉にもなんの感情も示さず、箒を掴んだままクルリと反転したロスフィリアは入ってきたときと同じように、無言で出て行ってしまった。
どうやら優勝をかっさらって、アルバトロスを、俺の店を宣伝してくれる気のようだ。
空気を読む気なんぞ端から無いマイペースに圧倒され、俺はついつい無言で見送ってしまった。
「アルバート。他人の過去を詮索しない、口出ししないってのがこの島のルールだが、言わせてもらうぞ。良いのかアレ?」
初対面の相手を見ようともしないロスフィリアのせいで、いきなり蚊帳の外に置かれていたドミニクのおっさんがあいつが出ていった入り口を指さした。
「良いも何も、現実感なさ過ぎて頭で理解が出来ねぇよ」
逃げ回っていた過去が一気に押し寄せてきた上に、予想の斜め上であっさりと引いていく様に、理解が追いつかず立ちすくむ俺はそう答えるしかない。
「あーそっちじゃなくてだな。昨日世界大会で完全試合って激戦やって、そのまま超高度飛行で徹夜だろ。疲労とか顔に出てないからよく判らないが、そこまで超人なのかあの女帝様は?」
「後頼んだ! あのアホウドリは! 止めてくる!」
ドミニクのおっさんが言いたい事を理解した瞬間、俺はテーブルを飛び越えていた。
魔女といってもやはり人間。そんな無茶ができる訳がない。
ただあいつは持って生まれた無表情の所為で、苦しいとか辛いってのも判りづらいのが難点。
そんな事は判っていたのに、今も後悔するくらい判っていたのに……
過去に起こした失敗が脳裏を激しくよぎる。
「一杯奢りな。任せとけ」
ドミニクのおっさんらしい見送りの言葉を背に、俺は倉庫を飛びだしながら、ジャケットのポケットから掴みだした進行表で、今から飛び入り参加が出来で一番速く大会が始まる会場をチェックする。
それは奇しくも先ほど直した竹箒が出場すると同じ会場。
短距離ドラッグレース。
通称ゼロヨン。
加速性能命の直線番長ひしめくドラッグレースに、テクニカル型のアルバトロスには不向きにもほどがある競技。
だが飛ぶこと命のあのアホウドリには関係ない……はずだ。
数年ぶり故か、昔ほどの確信をもてないながらも、自分の勘を信じて俺は足を全力で急かした。