嫁宣言
「ほう。なるほど……」
先輩がイベントに出るためにあんたの箒を使わせてくれ。
ただし調整は俺がする。
改めて考えてみると失礼にもほどがある不躾な頼み。
普通の職人なら、激怒してもおかしくないのにザルドさんは思案顔でエミルの手に持つ箒へと目をやる。
「アルバート君。君の目からはこの箒はどう見える?」
「どうって……」
ザルドさんに促され改めてつぶさに観察し、あまりの出来映えの良さに一瞬で意識を奪われる。
箒職人として作りの腕を競えば、俺はザルドさんの足元にも及ばないと一目で悟る。
コンパクトにまとめた制御リングに彫り込まれた術式を簡易にし、ショートタイプの特性である操作性重視。
そんな簡易な術式だというのに構成式から読み取ると、本来は複雑な紋様を必要とする乗り手の意思をダイレクトに箒に伝えることができる、即時反応仕様を適用しているぽっい。
柄に刻み込まれた魔術紋様は古式法の改変型で、美術的な美しさを保ちながら、魔力伝導性も向上させている。
推進のための魔力放出を行う穂先部分は、毛長山羊の毛を硬化処理して用いたありふれた伝統工法だが、数本を編み込んで作った一房一房にはきらりと光る銀糸模様で、それがさらにいくつにも束になっている。
おいまさか、この構造って……
推力角度配分を細分化させて操作をミリ単位で可能なのか?
できるのか? どうやって制御する? あんな簡易式で。
ローブのほうが本命制御か?
それともマントの術式で補佐か。
しかしこれだけの機能を積み込んで魔力が足りるのか?
材料は箒作りでは珍しくないありふれた物、使われた技法も目新しい物は無い。
しかしその技術レベルと作り込み、組み込みが半端ない。
すげぇ……
見れば見るほど心を撃ち砕くかけ離れた実力への戦慄と、人の手でここまでの箒が作れるのかという感動で、涙が出そうになるほどだ。
これはやばい。
マジでなんだこの人?
こんな世界の隅っこの小さな島で、娘をからかって遊んでる場合じゃないだろ。
調子に乗ってました出直してきますと、頭を下げたくなるくらいに完敗だ。
しかしだ……この人エミルにこれを本気で使わせる気か。
俺はつい懐疑的な顔をザルドさんへと向ける。
「エミルさんが今までの箒じゃ一般部門では勝負にならないというのでね。渾身の力作だよ。私は今のでもいいのではと思うんだがね。どうしても新しいのがほしいと可愛い娘の頼みだ。致し方ない」
ハイクオリティな箒への感動を覚えつつもそこに隠された理由と狙いを俺が気づいたと、察しったザルドさんはさわやかな笑顔で微笑みながら、傍らの使い古された箒ケースを見た。
あの中にエミルの旧箒が収まっているようだ。
しかし、え、えげつねぇ。
自分の娘に対してここまでするか?
いやむしろ自分の娘だからこそなのか?
「アルバート君はエミルさんの恩人だ。私としては一向に構わないけど、エミルさんはどう思う?」
「やだ。使うのがアルバートならいいけど、知らない女の人だもん。ボクやだ。ボクの為に作ってくれたのに、おとーさんの薄情者」
弄られすぎてご機嫌斜めなエミルは、俺とザルドさんを見ていた目を、先輩に移して半眼で睨むとぷいと横を向いた。
しかし女の子があぐらかいて、ふて腐れるなよ。
魔具の1つでもあるスリットの入ったフレアスカートの下が、活発的なエミルにあったショートパンツだから良いが、履いてなかったら中身が見えているのに気づいているのかこいつは。
そして先輩はといえば、エミルのみならずザルドさんも視界に入っていないかのような完全無視状態。
無表情で俺の方をじっと見ている。
ドミニクのおっさんの時みたいにマイスタークラスの職人なら初体面でもコミュニケーションを取れるかと思ったんだが違うようだ。
法則が今ひとつ判らん。
俺が知らないだけで昔からの知り合いだったとか……ジャンクヤードの住人と国に帰ればご令嬢な先輩との接点がねぇか。
「頼んだ俺が言うのもなんだけど、簡単に受けるなよザルドさん……いいのか、娘がふて腐れたぞ」
先輩の思考を読むのは諦めて当面の問題へと意識を戻す。
ザルドさんがよくてもエミルがうんと言わなきゃ、使うわけにはいかねぇだろうさすがに。
「自分の箒を他人がどう使うかを知るのもいい勉強となるからね。だがエミルさんが嫌がる物を無理強いする気は私には無いよ」
娘の気持ち優先な優しげな口調だが、この人やっぱり怖いわ。
只の一般人が使うならともかく、競技は違うとはいえブルームの乗り手として世界の頂点に立った絶対王者とまで言われた先輩が乗る。
それがどれだけエミルには勉強になるかなんて考えるまでも無い。
しゃーない。エミルがあとで後悔しないように助け船を出してやろうか。
「まぁ、待てってエミル。俺の話を聞けって」
「アルバートなんか知らない。早く帰ってよ……うぅ。見られるのはずかしいんだから」
「この人は箒にかけてはすごいんだからな。今噂の女帝ロスフィリアだぞ。マジでお前の勉強になるって」
柄にもない親切心で、まだ参戦が確定していないから隠していたい先輩の正体をばらして忠告してやったんだが、
「…………誰? ボク知らない」
おい。待てこのボクッ子。
顔を上げて俺を見たエミルは首を捻りやがった。
裏表がないというか、バカ正直なバカ成分強めのエミルに嘘をつくなんて器用な機能は皆無だ。
しかしなんで先輩の名前を知らん。
競技が違っても箒乗りなら知っとけ。
一昨日世界王者になったばかりで、昨日からジャンクヤードに飛来したと島中の話題だろうが。
実際お前の親父さんは知ってたぞ。
「エミルさんは、元々ダウンクラッシュしか目がない上に、ここ数日は今日の大会に向けて張り切って脇目もふらず練習に打ち込んでいたからねぇ。食事後の夕方六時にはぐっすり寝ていたよ。どこかの誰かかが修理してくれたようだけど、一昨日も練習でマントが破けたと大騒ぎで大変だったからね……ここ数日の世界情勢どころか島の話題すら知らないよ」
ザルドさんが首を振って、エミルが知らないと言うことを強調する。
ついでに貴重な情報も。
あー大会本番前だってのに、練習し過ぎて魔具を壊したバカってこいつか。納得だ。
やけに丁寧な作りだと感心したんだが、あれあんた特製か。
大会本部を通してきた依頼だから持ち主までは知らなかったが、俺が直したマントの持ち主がエミルか。
「俺は飯にありつけた上に見事な出来映えで眼福物だったからいいが、直してやれよ」
「えっ! 直してくれたのアルバート……なの?」
「本番に備えて整備するように言ったけど、練習を優先したのはエミルさん本人の意思だからね。自業自得だよ。私もSBGには興味があったからね。君の補修の腕も見られたから、私としては有意義な時間を過ごさせてもらえたよ」
びっくり顔のエミルの横で、ザルドさんはいけしゃぁしゃあと言い放つ。
機会は望むならいくらでも自由に与えてやるが、その取捨選択はエミル任せってのがザルドさんの教育方針。
助言はするが必要だと思うことを自分で考えてやれという事なんだが、エミルが望むままに高性能の箒を与える事から見ても、顔に似合わず相変わらず厳しいこと厳しいこと。
この人が俺の補修技術をどう思ったのか詳しく聞いてみたいところだけど、ちょっと怖い。
「ん……ん……ちゃんと、ちゃんとその女の人を紹介してくれるならいいよ」
俺が修理したと聞いたせいか、葛藤を見せたエミルは、不承不承な様子を見せながらも先輩をみて箒の貸し出しをしても良いと態度を軟化させる。
「あいよ。この人は今年の」
「アルのお嫁さん」
今年のブルームバトル世界王者だと華々しい肩書きを紹介しようとした俺の言葉を、今まで無言を通していた先輩が遮る。
先輩にしては珍しくはっきりとした声で。
「俺の知り合い」
「お嫁さん」
「学生時代の先」
「嫁」
「あんたな。紹介くらぁ!?」
「…………アル黙る」
あまりに遮ってくるので焦れた俺がしばらく黙っていてくれと言おうとした瞬間、先輩がフードを取り去ってその素顔を晒すと、俺の顔をグッと掴んで、無理矢理自分の方に引き寄せた。
ぐっ! さすが最強の箒乗り! 腕力、握力半端ねぇ!
時速数百㎞で逆さ状態でも箒に掴まれるブースト魔術を使っているのか、そのフード付きマントが淡く発光している。
まさかの実力行使に虚を突かれた俺が油断している間に、手早く先輩は自分の唇で俺の唇を塞いできた。
「……っぁ……ん……ゅ……」
「……グ!? ……がぁ! ……!」
俺の顎を掴ん右手で無理矢理こっちの口を開けさせて、舌まで絡めて来やがったよの人!?
男女逆だろとか、衆人環視の中で何を考えてやがると、俺があたふたしている間も、俺の舌を蹂躙した先輩は、そのまま上顎を嬲るように舐めてくる。
「うわぁ……お、おと-さん! ディープキスだよ! アルバートがディープキスしてる! アルバートのくせに!」
だぁっ! 大声で騒ぐなエミル! 余計注視が集まる! あとくせにってなんだ!?
だが先輩は動じない。
周りの目なんぞガン無視で俺の目をじっと見つめ、情熱的なキスを続ける。
特徴的な白髪めいた銀髪を僅かに揺らし、無表情で冷めた美貌のままで、俺に対する愛情表現を貪り続ける。
だがやられるこっちはたまったもんじゃない。
頭を下げさせると共に、万力のような力で俺の顎を固定して口を開かせたままにして、腰に回してきた左腕と、俺の右足を自分の左足で踏みつける。
何とか逃げよう、引きはがそうとする俺を完全ホールド状態。
気分はメスカマキリに捕食状態の雄だ。
「なぁ、あれって」
「えっ? 嘘でしょ……」
「いやいや若いねぇ」
先輩のその特徴的な容姿に、正体に気づいた周囲の連中がひそひそと声を潜めて囁き合うのが聞こえる。
待て待て。完全ゴシップだろ! これ!?
『新世界王者! 表彰式をすっぽかして情熱南国デート!?』
スポーツ新聞の一面を飾るには十分すぎるインパクトだ。
チープな見出しが脳裏をよぎる中、周囲の注視を集まっているのを一瞥して先輩がようやく力を緩め、
「……んっ……ぅ……ん」
絡みまくった舌に刺激さえて口中を濡らしていた唾液が一筋の橋を作りながら、あっけにとられる俺から、その無表情顔をゆっくりと離していった。
ローブのポケットから取りだしたハンカチで自分の口元を軽く拭った先輩は、エミルの方へ目を向けると、
「私は……ロスフィリア……マガミ…………アルのお嫁さん」
籍を入れた覚えも無いのに俺の姓を名乗り、何とも堂々とした嫁宣言をしてくれやがった。
先ほどまでの赤面するくらい恥ずかしい濃厚な絡みと、声は小さいながらも迷いの無い断言は、この後、俺がいくら真実を訴えても、信じてはもらえないだろうなと、諦めるしかないくらいの説得力を持っていた。
あまりに強引かつ一方的な宣言。
男がやったら只の犯罪だが、外見だけなら無表情クール系な先輩がやると、明確な所有宣言に他ならない。
……先輩。まさかとは思うけど、あのやり取りを見たあともあんたまだエミルを敵認識中か?




