ダウンクラッシュ
アクロバティックブルーム『ダウンクラッシュ』が行われるのは、島近郊の南側の砂浜。
平坦な砂浜に描かれた直径50メートルの特殊魔法陣からは、陣の縁に沿って透明状の結界フィールドが500メートル上空まで伸びている。
「練習タイムがもう始まってるみたいだな」
マイ箒の調子を見るために、次々に天空からフィールド内を垂直落下してくるプレイヤー達を時折見つつ、砂浜に杭とロープで簡易に区切られた参加者席を移動しつつ目当ての人物であるザルドさん親子の姿を探す。
練習飛行をしている中に、陽光を弾くエミルの金髪頭は見当たらなかったので、となるとそこらで整備中だろう。
「……飛びたい……箒……早く……」
後ろをちらりと見てみると、両手を箒を掴む形でワナワナと動かす先輩。
禁断症状が出ているジャンキーは、飛びたくて飛びたくて仕方ないらしい。
フードで顔を隠し、小刻みに震える怪しげな女。
ぱっと見にも不審人物過ぎて、周囲の目が痛い。
ザルドさんから箒を借りられるかどうか判らないので、運営本部には一応は挨拶をしたが先輩の参加はまだ確定でないと釘を刺してある。
酒屋のおっちゃんがここの本部長で、絶対参加してもらえと鼻息が荒かった。
露店で売ってるビールって、おっちゃんの所の商品だったな。
観客倍増売れ行き倍増で成功の暁には、ビール1ケースでもせしめてやろう。修理所を任せちまったドミニクのおっさんへの差し入れだ。
「あんたダウンクラッシュ初めてだろ。ルールブックちゃんと読んどけよ」
聞いているのかどうか判らないが、振り返って一応先輩に忠告しておく。
まぁこの人の場合、その駄目すぎる一般生活への適応力を補うように、空特化の天然魔女なアルバトロス。
ルールがどうあれブルームに跨がっている限り、そう心配していないというのが正直な所だ。
ダウンクラッシュは簡単に想像しやすいように一言で言うなら、ボール割りゲーム。
スタート地点で上空から標的となるフィールド反発型魔力ボールを地上に向かって撃ち下ろし、1秒後に箒に乗った競技者がスタートし後を追う。
地上に着くまでに、結界に当たってランダムに跳ね回る標的を箒の先端で体当たりし壊し、最後に割ったボールの高さを競い、地上に近ければ近いほど高得点というのが、基本ルールだ。
細かいルールはプロ、アマ、地方ルールで細かく変わり、標的の数、破壊しなければならない数、打ち下ろし速度も色々だ。
ジャンクヤード祭のルールは西瓜大のボールを10個完全破壊でクリア。
途中でのボール追い越しは即失格。
破壊失敗も失格。
プレイヤーの壁面フィールド外への飛び出し、地上への接触も失格。
高度15メートル以下20点。
高度15メートル以上25メートル以下18点
高度25メートル以上50メートル以下15点
といった感じで、最終ボールの破壊高度で得点を競う。
速度は選択式で基準速度の時速60㎞を1倍とし、10キロ刻みの速度増減で0.1倍ずつ増減する。
プレイヤーは3走し、上位二走の得点合算式ルールなので、まずは一本目で三味線を弾いたり、一本はどうせ捨てるからと渾身のアタックを掛けたりと、プレイヤー同士の駆け引きを楽しめるのが特徴だろうか。
基準値が時速60㎞というと、たいしたことないと感じるかも知れないが、地上までの到達時間は約30秒。
しかも地上に向かっての垂直落下ダイブは失禁物の恐怖の体感速度を与えてくる。
優勝を狙うクラスとなると、地上到達時間約20秒となる時速100㎞、破壊高度は25メートル以下が毎年の優勝争いライン。
もちろんそれより低速度で低高度を狙ったり、高速度で倍率アップを狙ったりと戦略は色々だ。
最終得点が同点の場合は、速度差は関係なくより低高度で破壊を行ったプレイヤーが勝者となる。
ランダムに跳ね回るボールを的確に捉える技術と、地上に向かって加速できる根性が求められる、ガチ系な人気アクロバティック競技の一つだ。
見たところ参加者は40、50って所だろうか。
群島内の人間のみならず、ジャンクヤード祭目当てで島外からも来ているみたいで、知らない顔もちらほらいる中で、俺はようやく目当ての人物の姿を見つける。
折りたたみの椅子に腰掛ける明るい金髪の優男と、その足元にひいたシートの上でこちらに背後を向けて箒を点検している同系色のショートカットの女の子へと近づき、
「お、いたいた。ザルドさ……」
呼びかけようとした俺に対して先に気づいたザルドさんが、人差し指を立てて自分の口元に運ぶ。
黙れって事だろうと声を潜めると、ザルドさんは指をそのままエミルの方に向けて、ブルームでよく使われるハンドサインで指示を出す。
その意味は、背後から近寄って困惑させよ。
……さすが子煩悩過激派。
大会直前だってのに、娘の成長のために抜き打ち試練を決行する気のようだ。
後ろを振り返ってしばらく黙っていてくれとハンドサインで伝えてみると、指示の意味は判らずとも先輩がこくんと頷いた。
元々口数が少ない人だから問題は無しだ。
砂を鳴らさないように足音を潜めながら、そっと背後からエミルに近づく。
真剣な顔で箒の柄に嵌めた制御リングをつぶさに見ているエミルは、背後からのぞき込む俺に気づいた様子は無い。
銀でできた輪っかにいくつかの宝石片と魔法陣を刻んだ制御リングは、マジックブルームが空を飛ぶための中枢部。
この制御リングを通して箒全体に魔力を通すことで、魔法使い達は空を飛ぶことが出来る。
リングを掴むグローブや、身につけたローブ、背につけたマントなど補助魔具へと魔力を供給するのも全てリングの役目。
ここに不備があっては、まともに飛ぶことが出来ないので、事前チェックは厳重にと教えたのをちゃんと覚えているようだ。
あまりに真剣すぎて少し気負っているように見えるエミルに、ちょっと悪戯心を覚えた俺は、ザルドさんに目線を向けるとハンドサインを送ってみる。
そして一瞬の間もなく返ってくる。GOのサイン。
見た目の気の優しい父親めいた外見とは裏腹な娘で遊ぶのが大好きな性格は、さすがジャンクヤード住人といった所か。
「精が出るなエミルちゃん。そんなに何度も確かめる必要あるのか?」
声色を作った俺は、そこらで歩いている住民の口調で、箒について詳しく無さそうな風を装い話しかける。
「ダグさん? 今大事なとこ見てるの。ボクに何か用事ならちょっと待てって」
埋め込んだ宝石に傷がないかルーペで確認しているエミルは、顔も上げずに返事を返す。
こいつを俺がちゃん付けで呼ぶことなんぞまずは無いし、無闇矢鱈と島中で顔が広く、子供も少ないせいか可愛がられているエミルは、声を変えた俺を予想通り勘違いしたようだ。
ダグさんとは、エミルも含めた島のガキ共が御用達な甘味屋の若旦那のこと。
若旦那は祭りの期間中は、奥さんに店は任せて、自分は移動屋台をひいてフラッペの行商をやるとか言ってたような……
「一般の部にエミルちゃんが出るって聞いて、激励と思ってフラッペを持ってきたんだけど溶けちまうから声を掛けさせてもらったんだけどなぁ」
エミルの背中がフラッペと聞いてぴくんと動く。
太りすぎ厳禁な箒乗りにあるまじき事に、甘い物好きだからなこいつ。
予想通り反応しやがったな。
「た、大会前だから、い、今はいいよ。ほらお腹を冷やすとまずいし」
お、生意気にも耐えやがった。
集中を切らさないようにとしたのか、箒を掴む手に力を入れて意識を集中させた。
ザルドさんをちらりと見ると、涼しい顔で引き続き攻撃続行のサイン……ほい、了解と。
「いや、そうなのか。残念だな。エミルちゃんを応援しようと思って、クラッシュベリー三種のソースと練乳掛けの特製フラッペなんだけどな」
好物のベリーと聞いても耐えられるか。
「ベ、ベリー……だ、駄目。今は大会前だから。うん、駄目だから、あ、あとでもらうよ」
ゴクンと唾を飲み込む音が聞こえる。
しかしそれでもエミルは耐えやがった。
去年までの少年の部じゃなく、初めての一般の部出場で気合いの入り方が違うのか。
よく見りゃエミルが持つ箒もぴかぴかのおニュー品。この丁寧な作りは間違いなくザルドさんの新作だな。
父子家庭でファザコン気味なエミルからすれば、父親の新作お披露目の舞台と張り切っているのだろうか。
……当の父親はさらに攻めろ、落とせとハンドサインを連続で出しているけどな。
気負いすぎなのを解消しろって意味だと思っておこう。
「いやーさすがに溶けちゃうからな。せっかくエミルのために作ったから他の奴に食べさせるのもあれだしな…………捨てるしかないかな。残念だな」
声色を戻していつも通りの口調で俺はとどめを刺してみる。
これで声を掛けてきた俺の正体に気づけばまだ冷静なんだろうが、
「ま、まった! 捨てるならボク食べる! も、勿体ないからボクが……あ”っ!」
うゎ、物の見事に引っかかりやがったよこいつ。
振り返って背後にいたのが俺だと気がついて固まりやがったよ。
これから飛ぶっていうのに、関係ないこっちが不安になるくらいに、菓子1つで判断能力を鈍らせやがった。
相変わらずちょろすぎんだろ。
「ようエミル。大会前に腹を冷やすとまた漏らすぞ」
「ぎゃぁぁっ! ア、アルバート!?」
友好的な笑顔を見せてやったのに、俺の声で解凍されたエミルは実に失礼にも叫び声を上げて、後ずさりしやがった。
しかし叫び声がぎゃぁって。
お前14になったんだから一応は女の自覚もてよ。
そんなんだから、髪が短い以外は見た目は女の子顔で可愛らしいのに、がさつやら男女と揶揄されるってのに。
「な、なんでアルバートがいるんだよっ! おとーさん! アルバートには言わないでってボク、言ったじゃん!」
「いやいや失礼なエミルさん。私は君との約束通り、彼には何も言ってないよ。なぁアルバート君」
つい今し方まで散々煽って、娘の精神耐性を試していた素振りは微塵も見せず、半泣きで慌てる娘の詰問に、ザルドさんは涼しげな顔で答えて俺に振る。
「確かに。どこぞの誰かがスランプで飛べなくなっていたから、色々と協力してやったのに、大会に出られるほど復調したのに教えてもらえないとは思ってなかったなぁ」
「それについては申し訳ないと思っているよ。アルバート君には恐怖で漏らしたり、泣いたり、弱音を吐いた姿を散々見られているから、大会で格好つけているところを見られるのは恥ずかしいとエミルさんが嫌がってねぇ」
優しげな見た目に反して、娘限定なドS鬼畜眼鏡なザルドさんは実にさわやかな笑顔でエミルが嫌がった理由を軽々と暴露しやがった。
二年ほど前に墜落未遂事故を起こして、その時の恐怖がトラウマになって飛べなくなったのは確かだし、10を超えた子供としちゃ恥ずかしい失禁癖がしばらくついちまったのは確かだが、オブラートに包まずここまでストレートに言える辺りがザルドさんだ。
可愛い娘を鍛える為なら心を鬼にして千尋の谷に突き落すとか云々よく言っているが、単にエミルを弄るのが趣味だろ。
「うぅー! それは言わないでよ! だから嫌なんだよ! アルバートがいると、おとーさんの意地悪が酷いんだから! なんで来たんだよアルバートのバカァ!」
ぐじゅぐじゅと鼻をすするエミルが俺をきっと睨んでくる。
「許せってエミル。俺は今のお前みたいにここ数日で精神的に追い込まれている。たまに解消しないと壊れそうなんだ。恩返しだと思って耐えてくれ」
「それって八つ当たり! ボクは関係ないじゃん! アルバートには確かに感謝してるけど酷くない!?」
こうやって、ザルドさんの指示とはいえ事ある事に弄っても、こうやって怒っていてもしっかりと感謝していると言える辺り、素直な奴なんだよなエミルは。
だから協力したくなる。
しかしストレス解消はあくまでも理由の1つ。
本命は別。最近の俺のストレス源であり、お前を敵認定しかねない怖いお姉さんから守るためだっての。
「……という感じの関係。あんたが思うようなことじゃないと判ったかよ。これがエミル。妹分みたいなもんだ。それでそっちの娘限定鬼畜親父がザルドさん」
背後を振り返った俺は、女としてみろってのは無理な妹感覚なエミルと、見た目で侮ると後悔するザルドさんを指さし紹介する。
「やぁ、ご機嫌ようお嬢さん。貴女がお噂の世界王者かな」
先輩の正体を察し、眼鏡の奥の目を僅かに見開いたザルドさんが軽く会釈をする。
一方でエミルは愚図りながらも、知らない誰かに恥部を聞かれたと青ざめた表情を浮かべている。
先輩は飛んでいるとき以外は存在感が薄いからな……
「…………サー・ルドルフ?」
そんなザルドさんとエミルをまじまじと見た先輩は、無表情でかなり間違った名前をつぶやいて俺を一瞥してから空を見上げる。
先輩が見上げた空には垂直落下する出場者達の練習光景。
……どうやら禁断症状が極限まで来すぎて、周りのことがどうでもよくなってきたようだ。
エミルで遊ぶのは早く切り上げて、本題に入った方が良さそうだ。




