夢
『リョウ、リョウってば』
誰かがリョウ……と呼びながら俺を呼ぶ。
正確には、俺ではない。
今俺自身は呼ばれた誰かの中にいて、視界を共有している感じだ。
何故そんな事になっているのか分からない。
気がついたらここにいた。
――外見も声も俺に似た俺じゃない……誰かの中に――
名前は中西 遼というらしい。
何故分かったというと、視界に入った机の上の持ち物にそう書いてあった。
彼は机に突っ伏して、腕を枕にし仮眠を取っていたようだ。
そこに誰かが声を掛けてきたのだ。
彼はその誰かをチラリ見やるとまたすぐ机に突っ伏した。
『うるせぇな、昨日徹夜してんだよ。寝せろよ』
そういうと遼は自分の肩を揺すっていた手を勢い良く弾いた。
弾かれた手は持ち主の腰に収まる。
横からため息が聞こえた。
自分の声が外から別の意思を持って聞こえるというのは変な気分だ。
とはいえ、今の俺は何もできない。
ただこの"遼"の中で、彼の様子を眺めていることしかできなかった。
横から漏れたわざとらしいため息を聞いて、遼は机に突っ伏したままもう一度ちらりと相手を見た。
色白な少年だった。
色白というよりは、不健康そうな肌色と言った方がいいだろう。
肌の色と反して両サイドの揉み上げが少し長めの漆黒の髪が逆光を浴びて眩しいくらいキラキラ光る。
同じくらい黒々とした大きな瞳を縁取る長いまつげがどこか中性的で幼さを醸し出していた。
もし女の子と言われても、無言のままなら簡単に通用してしまうだろう。
ただこの少年、瞳に光がない。
いやあるのだろうけど、遼の視界から見ることができないのだ。
そのせいか肌の色も手伝って、仄暗い影が有り……今にも倒れてしまうんじゃないかという気さえする。
――まるで幽霊みたいだ……。
なんて柄にもなく思ってしまった。
『また徹夜したのかよ』
口調からして、遼に呆れてるのが様子だった。
でも声色から本気で心配してくれているのも伝わってくる。
しかし遼はそんな少年に対してつっけんどんな態度を取った。
『そうだよ。悪い? 王様ってのはノルマが厳しくてねぇ』
夕日が眩しいので、少年から背けるように再び顔を腕に埋める遼。
少年はまた長いため息を吐くと言った。
『それ、クオーレの……XXXの話だろ?』
クオーレの……の後がノイズが走ったように聞き取れない。
けれどそれは俺だけらしい。
遼はそのノイズ部分も理解したように少年の小言に返事をした。
『お前には言われたくねーんだけど。お前だって前は散々やってたじゃん』
『そりゃそうだけど……』
『で、もうすぐβ終了だけどどうすんの? こっちくんの? あれも廃止になるけど持ってこれんの?』
『うーん、あれなぁ多分むぞ……』
少年が何かを言いかけた時、ガラガラと戸が空いた音がした。
遼が音のした方を見るとドアを開けたのは小柄の少年。
吊り眉タレ目が印象的な少年は白い半袖シャツとネイビー色のズボンというとてもラフな格好をしている。
胸元にはネームプレートがついており、そこには「神城 貴志」と書いてあった。
彼の名前だろう。
この服装は遼と少年も一緒だ。
唯一違う点はネクタイの色。
遼と少年が深めの緑。入ってきた少年が明るい赤のネクタイをしている。
どこかの制服だろうか。
『遼、僕らもう帰って次の時限に備えるけどお前ど……』
神城は、言いかけると遼の隣にいる少年に気がつき一瞬驚いて、でも即笑顔で彼に抱きついた。
『スギサキくん!!』
『えへへ、お久しぶりです。先輩』
少年はスギサキという名前だったらしい。
『先輩って……なんか寂しいなぁ。いつも見たく兄さんって呼んでくれていいのに』
神城は口を尖らせた。
『でもここはXXですから。上級生は先輩って呼ばないと』
『スギサキくんは真面目だねぇ。最近どう? ちゃんとご飯食べてる?』
『はい。この通り元気ですよー』
言うとスギサキはわざとらしく力こぶを作ってみせた。
その時だ。
(嘘つけ。この大馬鹿野郎が……っ)
遼の心の声が頭に響いた。
当然といえば当然か。俺は今、彼の中にいるのだから。
だが、俺は彼の心の声が気になった。
聞こえた声は明らかに苛立っている声だったのだ。
それも、スギサキではない別のものに対して。
『神城さん、時限行くんじゃなかったの? 俺は行くから帰るよ』
遼が言った。
時限? なんだそれはと思ったが、遼の心の声は聴くことができても、俺の心の声を遼に届けることはできないらしい。
机の横にかけていたカバンを手に取り、席を立つ遼。
それを見たスギサキが慌てて『遼、寝なくて平気なのか?』と言った。
遼は言った。
『平気平気。つーか、この時限じゃないと素材手にはいんないし、何? お前も来る? これんの?』
返すと、スギサキは『俺は……』と口ごもった。
そんなスギサキに遼は大きな舌打ちして、彼に向かい八つ当たりよろしくまくし立てた。
『無理だよなぁ。親の言うことが絶対のお人形くんはお勉強でお忙しいもんな? どうせ今だってあのカテキョーが迎えにくるまでの時間つぶしだろ? いちいちココに顔出さなくたっていいのに』
『おい遼! 言い過ぎだぞ!』
慌てた神城が遼の頭を叩く。結構強い。本当に怒ってるんだろう。
痛いと呻いた遼をよそに神城が言った。
『ごめんねー。こいつ、君がなかなか来ないからって拗ねてんだよー』
でも君が頑張ってるの知ってるから許してやってね、と神城はスギサキの頭を撫でた。
スギサキも『大丈夫です』と笑う。
(大丈夫なわけないのに)
また遼の心の声がした。
低く、呻くような声が頭に響いた。
『遼、ごめんな。また一緒に遊べるように俺頑張るからさ』
頑張るって何を?
俺はそう思ったのに遼の意識の方が強いのか、彼の言葉だけがこだまする。
(頑張ったってお前が解放されることなんてないのに)
声は徐々に大きくなり、頭の中が振動する。
腹が立つ。
イラつく。
ムカムカする。
今すぐ物にあたりたい。
この部屋の窓を全部叩き割りたい。
メチャクチャにしたい。
グチャグチャにしたい。
叫びたい。
なんでお前が謝るんだよ。
悪いのはアイツらなのに。
アイツらさえいなければ、お前は自由のままだったのに。
アイツら……アイツらさえいなければ……っ!!
憎い。憎いと頭の中で繰り返す遼。
一体何がそんなに憎いのか、分からない。
彼は吹き上がる破壊衝動を唇を噛み締め抑えて、何でもないように見せ、じゃあなと先に部屋を出た。
後ろでは神城がスギサキに何か言っていた。
『前もって言っておけば来れるんじゃない? その人話わかってくれるんでしょ?』
『一応今度の模擬の結果次第って言われてます……確か、もうすぐ"魔王復活"ですよね?』
「……え?」
突然聞こえた"魔王"のフレーズに足が止まった。
それが、俺の意思で止まったのか、遼が止まったのかわからない。
『そうそう。確か7月27日。称号持ちだけの挑戦できる限定時限』
『しかも結構難易度も高いとか……』
『らしいね。それなりの準備しておかないと……前は君の方が強かったのに、逆転しちゃったもんね』
『あはは。合流しても久しぶりすぎてみんなの迷惑になりそうで怖いです』
『迷惑なんかじゃないよ。むしろ君がいるだけで心強いし……で……だもの』
またノイズが混じって聞き取れない。
でも、はっきり言った。
魔王復活と。
『でも魔王の城って"キレスタール"にある事になってるんですよね?』
キレスタールという地名に鼓動が高鳴った。
何故、彼らがその地名を口にしているのか分からなかった。
『そうそう。あそっか、キレスタール……君には故郷って場所になるのか』
「え?」
神城の言葉に思わず振り返る。
遼も何かを思ったのか、体がスギサキの方に向く。
一瞬、笑うスギサキの姿がある人物と重なった。
その人物は俺が今最も会いたい人。
誰よりも美しく、誰よりも気高い、清らかな心を持った、最愛の人……。
キレスタール……故郷……。
「そうか」
俺はスギサキを見て呟いた。
「お前は今、そこにいるんだね」
――コウ。
名を呼んだ瞬間、視界がブラックアウトした。