序章
その場所は我々の知らない場所に変わっていた。
新大陸名:キレスタール。
別名:理想郷のなれ果て。
確かに新大陸は魔王が封印された場所にふさわしい景観をしていた。
草花もない。地面も潤いを失った殺風景な場所。
空は曇り覆われ、赤黒く、緑の稲妻が迸りを見せるのも変わらない。
だが、目の前にある城を覆う黒い靄は知らない。
それでいてこの淀んだ空気。非常に息苦しい。
思わず地図を取り出し、毒の沼を確認し、辺りを見回した。
沼地は設置されていない。地図の通り。
では、これは何なんだ。
あの靄はなんだ?
調査を進めるべく、城のすぐ近くに用意された村へ足を踏み入れた。
この村で話し掛ける事ができるのは、過去この理想郷に住んでいた者達の魂と、それに捕らわれたある男の記憶だけ。
我々はどこに何があるかも把握している。
だから調査だって簡単なものだと思っていたのだが……。
「ここにあるはずの……魔導師の像がないだと?」
情報を得る為に用意したはずの像がない。
いや、像だけじゃない。
あるべきものは存在しておらず、更に進むと今度は逆にいないはずの魔物の鳴き声が聞こえた。
しかもこの地に生息していない魔物の鳴き声だ。
魔物がいる場所では姿も無いのに鳴き声だけ響いたり、魔物と鳴き声が一致しなかったりと様々で何もかもが滅茶苦茶。
明らかに異常事態だ。
「一体何が……何が起こっているんだ?」
呆然と立ち尽くしていると、別の任務に当たっていた仲間が戻ってきた。
「住人の強制退避は完了したか!?」
「戦闘中だった例の4名を覗いて全員退避しました」
「その4人の安否は?!」
「不明のままです! おそらくバグ発生時に巻き込まれたかと……」
「ということは……」
「やはり、あの城の中か……!」
そう我々が再度視界を城に向けた時だった。
城の中から何かが空へ向かって一直線に飛び出してきた。
飛び出した何かは咆哮と同時に身に纏った黒い靄を撒き散らす。
遠目からは靄が隠してしまって姿がよく見えないが、あの城にいる魔物のは4体だけ。
黒騎士シャグラン。
怪鳥神ジャルジー。
炎狼龍インフェリオ
そして、彼らを統べる魔王オブセシオン。
靄の正体が分からないが、あの動きは魔王だ。間違いない。
しかし、我々の知っている魔王はどちらかといえば鵺のような容姿をしていた。
人間体でも目撃することは可能だが、攻撃は四足歩行となってからのはず。
もちろんこの靄による攻撃もない。
仲間と顔を見合わせる。
皆、困惑しているが今議論する余地はない。
まずはこいつを倒さなければ……。
考えは一緒だった。
我々の持つ武器はこの世界で最も攻撃力が高い。
かつ、魔王の弱点属性も抑えている。
得体の知れない形をしていて、今や攻撃パターンは予測不可能だが、これだけの人数がいるのだ。すぐ終わる。
誰もがそう思い、攻撃に備え武器を構えた。
構えた音に気がついたのか、魔王が再度咆哮し、こちらに向かって黒い靄を吐き出した。
吐き出された靄は我々の目の前に落ちて爆破。
咄嗟に防護壁ではじいたり、後方に下がったり、武器で切り払ったりして、防いだかに見えた。
が、この靄は払うどころか武器や身につけていた防具にもまとわりついてきた。
そして、手にしていた我々に飲みこまんと襲いかかってきた。
「うわあああああああっ!」
じわじわと己の全てを侵食していく靄に仲間が声をあげる。
彼を救おうと、我々はあらゆる回復薬や回復魔法を駆使して侵食を止めようとした。
しかし、何も効かない。
最上位薬、最上位魔法を屈指しても靄が消えない。
「あぁ……ああぁあ……」
抵抗むなしく、黒い靄が仲間一人の全てを覆い尽くした時、彼は雄叫びにも似た断末魔をあげて消えてしまった。
いや、消えたのではなかった。
「嘘だろ……」
別の仲間が呟いた。
黒い靄が晴れた時、飲み込まれた仲間が立っていた場所に現れたのは禍々しい、見たことがない魔物。
驚くべき事にこの魔物は一部、仲間だったと思わせる装飾品を身につけていた。
まさか……魔物に変えられた?
信じられない出来事の連続で、その場にいた者皆動けなくなる。
仲間"だったもの"は自我もないのか我々に攻撃を仕掛けてきた。
鋭利な爪を振り下ろし、近くにいたかつての仲間を切り刻もうとする。
その攻撃にも例の黒い靄が発生。攻撃を受けたものはまた一人二人と靄に飲まれ、同じように断末魔をあげては魔物と化していく。
それはまるで伝染病のように、広まっていく。
「一体何が……何が起こっているんだ?」
ともかく、この靄を纏ってはいけない。
増えていく魔物から靄を浴びないように攻撃をかいくぐった。
きっとこの異常事態に他の仲間も気がついて駆けつけてくれる。
沈静化してくれると信じてひたすら。
そして避けながらも手がかり欲しさに、城へと向かった時、空高く浮いていた魔王が一瞬にして目の前に現れた。
『お前も……アイツを羽交い締めにするつもりか』
聞こえてきた重苦しい声に思わず言葉を失った。
魔王は……その姿、形、全てが我々の知っている魔王ではなかった。
姿や身につけている装飾品はこちらの知っている人間体の時と一緒だが、顔が違う。
若い。屈強な男ではなく、10代、20代くらいの青年だ。
だが、威圧は凄まじく、じりじりと迫ってくるのに合わせて間合いをとるのに後退してしまう。
魔王は言った。
お前も愚かなプライドを守るために、アイツを傷つけるのか。
アイツから全てを奪うのか。
『俺からアイツを奪うのか……』
アイツ……とは誰だ?
「だ、誰のことだ!?」
聞き返すが魔王は問いに答えず、憎い、憎いと繰り返す。
『俺からアイツを奪ったお前達が憎い。俺からアイツを奪ったこの世界が憎い』
言葉に反応するように、魔王の周りを無数の球体が囲んだ。
例の靄で作られた球体だ。
『アイツは、俺達の世界は誰にも壊させやしない。今度こそ、今度こそ!』
球体がこちらに目がけて飛んできた。
この動きも知らない。我々が設定したものではない。
早い! 避けきれない!
自分も魔物化するのかと、目を閉じた瞬間……。
白くて淡い光が降り注ぎ、靄をかき消した。
景色も変わった。
魔王もいない。いや、いないどころか何もない。真っ白な空間だ。
己も浮いている事に気が付き、またもや自分の知らない現象に唖然としていると、頭の中で声が聞こえた。
――それはこの世界で最も恐ろしい負の感情……憎しみ。
魔物を生み出す力を持ち、人を狂わす、悲しい事に連鎖する。
落ち着きのある澄んだ男性の声。これも聞いたことがない声だ。
「君は誰だ!? 何か知っているのか!?」
声は答えない。答えずに、私の身体をゆっくり地面に降ろすとこう言った。
お願いだ……。彼を、"意志を得た魔王"を救ってくれ。