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イズモはエプロンの胸ポケットから何かを取り出した。
「にゃにゃーん!ネーコーのー手ー」
例の効果音が聴こえてきそうだ。イズモは思いっきり孫の手の形をしているそれをステッキのようにブンブン振り回した。
「なんですかそれ?」
太一が身を乗り出す。
「マジックハンドみたいなものですにゃ。五本指別個に動かせるので高いところや狭いところにも手が届く優れものにゃんです。しかし今はそんにゃ機能必要ありません。これからこのネコの手を使ってちょっとした芸を披露しますにゃ。余興としてお楽しみくださいにゃ!」
「なんか始まったぞ…」
「君すごく変わってるよね、面白いけど」
イズモはソファを飛び下り、ネコの手をくるくると回しながら踊る。首や腕や腰の回りで回転させながら自分も回る。もうそれはネコの手でも孫の手でもなく1ぴきの生き物のようだ。
「なんだこれ!?お前こんな特技があったのか!!」
「すごいすごい!こんなの見たことないよ!」
「ブラボー!イズモさん、ブラボーっす」
俺たちはこの見事な芸当に惜しみない拍手と歓声を送った。そこには太一のキャラ崩壊のすさまじさにも引けを取らない驚きと感動があった。
「まだまだ行きますにゃ!ヨッ」
イズモは足の上に落としたステッキを天井ギリギリの高さに蹴り上げ、狭いスペースにもかかわらずバク転を2回決め、右手でしっかりとキャッチした。
「なんつー身体能力だ!」
「家政婦より大道芸人のほうが向いてるんじゃないの?」
イズモは白い歯を出してニッと笑った。
「今日はお客さんのノリがよくて気分がいいので、これまでにゃんだかんだ未公開だったとっておきの技をご覧に入れますにゃ!」
そう言って背筋を伸ばして仁王立ちし、集中力を高めるかのように間を取り、まだこの上があるのか!と食い入るように見つめる俺たちを十分にあおった。
「今からこのネコの手を、いえいえ、刀だと思ってくださいにゃ。この刀を口から呑みこんで見せるので、上手くいったら拍手をお願いしますにゃ!」
「ダメだ!いくらなんでも危険すぎますよ!」
太一が心配そうに抗議する。さすがに俺も眉をひそめた。しかしイズモは笑顔で応じた。
「ハラハラしながら見守るのも一興ですにゃん。いいですにゃ?成功したら拍手を!」
太一はしぶしぶソファに座りなおした。よく調教されているクマのようだ。
「ではでは、参りましょう!」
さっきと打って変わってしとやかにひざをつき、想像力で刀と化した孫の手を顔先に構える。俺たちはそれを横から見るかっこうになった。イズモはちらりとこっちに余裕の笑みを投げかけると、鋭い歯が生えた口をガッと大きく開け、まっすぐに剣先をのどの奥へと差し込んでいった。蛇が獲物を丸のみにするのを目撃してしまったような、恐いけれど目が離せない。
「いたいいたい、もうやめておきなよ…」
たまらず漏らした澄明に、イズモは余裕でブイサインをしてみせる。息もできない瞬間が続き、ようやく八分目までいったかと思われたころ、予期せぬ事態が起きた。
「キャーッ!!なにやってるの!?」
突如緊張感を切り裂いた悲鳴にその場の全員が肝をつぶす。
「伸之くんだけじゃなくて、五島くんと穂高くんまで!女の子にこんなことさせるなんて、信じられない!!」
五島は太一の名字で、穂高は澄明の名字だ…とかそんなことは今どうでもいいか。信じられないのはこっちのほうだよ翔子!
「どうやって家に入ったんだ!?」
「どうって、鍵がかかってなかったんだもん。ピンポン押しても反応しないし、伸之くんが居留守使ってると思ったら腹が立って…」
そういや太一のピンポン連打があまりにもうるさかったので、インターホンの受話器を外したのだった。おまけに鍵まで閉め忘れるとは…ほかのことに気を取られすぎていた。
「せっかくさっきのこと謝ろうと思ってきたけど、もういいや。楽しんでるとこ邪魔してごめんなさい。ケータイ返してくれたらさっさと帰るから」
「だから誤解だって!」
「おい、さっきのことってなんだよ」
「別に何もなかったけど」
「そうかよ…」
太一も翔子のきついもの言いにひるんでしまったようで、それ以上は追及してこない。
「頼むから弁明するチャンスをくれないか?」
「この期に及んでうまく丸め込めると思ってるんだ?」
「翔子さん、その手に持っているバックには何が入っているんですか!」
俺はたぶん知っている、その中身を。
「翔子の手作りお菓子が久しぶりにすごく食べたい!」
立ち去ろうとした彼女の足が止まる。我ながら卑怯な作戦だ。
「…伸之くん、少し見ないうちにずる賢くなった。」
「そうか?昔からわりとこんな感じだぞ」
「もっと可愛げがあったよ」
相変わらずツンケンしたままだが、とりあえずひきとめられたことに安堵する。
「あのさ、お取込み中のところ悪いんだけど。イズモさんの様子がおかしいんだ」
澄明が浮かない顔でイズモを指さす。膝をつき、のどを抑えながら、青ざめている。
「どうもさっきの叫び声に驚いて本当に呑みこんじゃったらしくて」
「イズモさん、大丈夫っすか!?救急車!おい、救急車は何番だよ!?」
そのぐらい覚えとけよ!というか、そもそもキメラを病院に運ぶのは正解なのか!?男どもがあたふたしているうちに、翔子がしゃがみこんで背中をさすりながら声をかける。
「大丈夫?息できてる?」
イズモは手振りで大丈夫だと示し、少し下がるよう言った。背中とお腹を震わせ、ますます顔が青くなる。そして呑みこんだときと同じように口をガッと大きく開け、二回ほどグッとこらえるような仕草をしたあと、「ぐはあー」と効果音つきで孫の手を逆さまに吐き出した。誰もが唖然としてその光景を見ていた。イズモは口をぬぐってふらりと立ちあがり、光沢をたたえて転がった孫の手を拾いあげ、後ろ手に隠して咳ばらいをした。
「コホン、大変お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんにゃん。やはりもっと練習するべきでしたにゃ」
「そういう問題じゃないだろう!あんな恐ろしい演目は二度とごめんだよ」
「早く病院行きましょう!!あ、もしかして動物病院の方がいいすか?」
イズモは駆け寄ろうとするゴリラを手で制する。
「大丈夫ですにゃ。ネコには嘔吐はよくあることにゃんで。毛玉吐き出すの見たことにゃい?」
「毛玉と孫の手じゃ規模が違いすぎるよ…」
「それより翔子様、さきほどは背中をさすっていただきありがとうございましたにゃ。」
「私がびっくりさせちゃったせいでしょ?ごめんなさい…」
「いえいえ、すっかり嫌われているものと思っていたのでうれしかったですにゃ。」
翔子が表情を和らげる。
「私が怒っているのは伸之くんに対してだから。本当にもう大丈夫?」
「はい、すっかり元の調子に戻りましたにゃ」
「私、これテレビで見たことあるよ。舌に剣を刺すと柄の中に引っ込むようになってるんだよね、今思い出した。それにしたって呑みこんだらすごく危険だよ。」
「いえ、これは手品の道具ではにゃくネコの手という万能なマジックハンドでして…」
「イズモ、その説明はもういいよ。」
未来から来たネコ型キメラだという話を聞いて翔子がすんなり納得するとは思えない。勝手に勘違いしてくれているならいいじゃないか。それに
「さっきからそのバックの中身が気になってしょうがないんだ!いいだろ?」
翔子を見ると、呆れたようにくすりと笑ってそれを差し出した。いそいそと中からタッパーを取り出しふたを開けると、クッキーのほのかに甘い匂いが鼻をくすぐった。シンプルなバタークッキーのようだが、いろいろな動物の型があって可愛らしい。
「うん、うまい」
「てめえ、独り占めしてんじゃねーぞ。俺にもよこせ!」
「太一の分は小分けにしようよ。僕らの分がなくなる。」
「にゃにゃっ、ネコがいますにゃ!」
「ゴリラのもあるけどこれは太一にゆずるよ」
「澄明てめえ、何が言いたいんだよ」
いっせいに群がってくるので、たまらず容器をテーブルに手放した。なんてことだ、もう半分に減っているじゃないか!もともと俺に食べる権利があったクッキーだってのに…
「4人もいるとは思わなかったから、ちょっと足りないかも」
「本当だよ。またすぐ作ってくれ」
「えー、どうしようかな」
手作りクッキーが好評なことで機嫌をなおしたのか、翔子はまんざらでもない顔だ。今がチャンスとばかりにソファーに座らせ、渡したコップにジュースをなみなみと注ぐ。
「ささ、どーぞ。よければテーブルにあるつまみも…ってさすがにスルメはないか。ウナギーパイもいっしょに」
「なーんか伸之くん、これですべてをチャラにしようとしてない?」
「肩をもおみしましょうか?」
「セクハラで訴えるよ」
強めのでこピンをされた。忘れかけていた痛みが額に甦る。
「その絆創膏の貼り方、何か意図があるの?」
「貼っておかないと念力が発動するんだ」
「うわ、しばらく見ないうちに前より痛い人になってる」
「怪我させた張本人を気遣う優しさがわからないかな」
「気持ち悪~い」
翔子は眉をひそめて遠ざかり、太一に胸ぐらをつかまれている澄明を救済しに行った。口もとは笑っていたのでただの軽口だと思いたい。俺はひと息つこうとクッキーに手を伸ばした。が、容器はすでに空だった。ひどい、まだ1枚しか食べてないのに!いや、まだだ。ネコ型人間の手に最後の1枚が残っている!
「甘いけどしつこくない、しかもサクホロで、絶妙な加減ですにゃ~。あとでレシピをお聞きせねばなりませんにゃ!」
「ちょっと待った!お前それ何枚目だよ?」
「18枚目ですにゃ」
「数えてたのか…って数を聞いてるんじゃない!そんだけ食ったらせめて最後の1枚くらいはゆずれって言ってんの!」
「動き回ったからお腹が空きましてにゃ~」
イズモは名残惜しそうに両手につまんだクッキーを見つめている。
「そういえば、耳はいいって言っていたのにさっきはなんで翔子が来たことに気づかなかったんだ?」
「呑みこみ芸をやっている最中はかなりの集中力を必要とするにゃん。少しでも間違った角度で入れると超危険にゃんで。伸之様も、ほかのことに集中していると声をかけられても気づかないにゃんてことがあるでしょう?」
「そんなもんか」
イズモが「そんにゃもんです」とうなずきながらクッキーを口へ放り込む。そして呑みこむと同時にしまったという顔をした。
「…まあどうせこうなるとは思っていたけどさ」
「…吐き出しますにゃ?」
俺はイズモのエプロンのポケットからはみ出しているネコの手を見た。衛生的にも倫理的にもアウトだろ。
「勘弁してくれ」と言おうとしたら、横から「サイテー!!」という非難の声と「ぶっ殺す!」という怒声と鉄拳が同時に飛んできた。手加減を知らないグーが右頬に撃ち込まれる。やばい、口切れたかも。俺はなすすべもなく横に吹っ飛び、運悪くそこにあった戸棚の角に頭をぶつけた。視界が暗くなる。




