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嵐のようなテスト期間が過ぎた。今日は友だちが新作のゲームを持って遊びにくることになっている。ろくに読まなかったわりに机の上に散らかった参考書を本棚に戻す。二度と見たくない問題用紙をまとめて封印しようと、鍵付きの引き出しを開ける。うん?おかしいぞ、今までためこんであったはずの解答用紙や成績表がなくなっている…というよりも、引き出しの内側の空間そのものがなくなっているようだった。真っ黒で吸い込まれそうだ。見たことはないが、これが虚空というやつかもしれない。なんて冷静に考えている場合ではない、どうして机の中がこんな摩訶不思議なことになっているんだ!
どうしようかと迷っているうちに、虚空からぬっと白い手が現れた。それは触手のようにあたりを探ると、すぐに引っ込んだ。そして次の瞬間、
「呼ばれて飛び出てにゃにゃにゃにゃーん!」
「うわっ」
ネコ耳少女の上半身が奇声をあげて飛び出した。問題用紙が宙を舞う。俺は腰を抜かして尻もちをつき、突然の侵入者を見上げるかっこうになった。ひらひらのエプロン、ふさふさの耳、らんらんと輝く大きな目。そいつが口を広げてニッと笑うと、白い歯だけが浮き上がっているように見えた。
「どうもどうも!あなたが15歳の伸之様ですかにゃ?」
「だ、誰だお前」
「名前はタマ…いえ、まだないってとこですにゃ。伸之様がお付けくださ…ってこら何するにゃん!!」
俺はバタつく侵入者の頭を力づくで押し戻し、強引に引き出しを閉じようとした。勉強でストレスがたまったせいでついにおかしくなってしまったようだ。悪い夢はさっさと終わらせて、何か気分転換をしたほうがいい。
「俺の頭は正常だ!とっとと帰れ化け物!」
「ひどい、化け物呼ばわりはひどすぎるにゃん!せめて高性能ネコ型ロボットっと言ってほしかったですにゃん!」
「この化け猫め…」
ありったけの力をこめているのに、そいつはびくともしない。
「うーん、あいさつがいけなかったんですかにゃー。伸之様の世代に合わせたつもりだったけど、ちょっと遡りすぎたみたいですにゃ」
「そういう問題じゃない!」
「じゃあにゃんで?」
「留守番してるときに知らない人を家に上げちゃいけませんって学校で習わなかったか?」
「学校は通ってにゃいんで…そろそろ疲れたんじゃにゃい?」
「うるさい!…」
だんだんへばっていく俺を見てネコ耳少女はにやにや笑い、ふいにするりと俺の手を抜けて、勢いよく全身机から飛び出した。猫のようにしなやかに着地し、こっちを振り返る。
「強硬手段はあまり使いたくにゃかったけど、この際仕方ないにゃん」
態勢を整える前にひざカックンされまたしても尻もちをつく。目の前に手が伸びてきて、鋭い爪がきらりと光った。
「力の差は歴然にゃ!ここは大人しく正座して話を聞くのが得策じゃないですかにゃ?」
「…まったく、とんだ妄想だよ」
俺はあきらめて座布団にあぐらをかいた。ネコ耳は納得したようにうなずいてキャスター付きの椅子にかけ、亜空間引き出しを閉めて足を組んだ。ほう、ずいぶんな態度だ。いいだろう、こうなったらお前の狂言にとことん付き合ってやる。
「やはり伸之様ですにゃん。自分より強い敵には決して手を出さない姿勢はこの頃から変わってないにゃん」
「うるさいな!さっきから俺のことを知っているような口ぶりだけど、俺はネコ耳の知り合いなんて一人もいないぞ。」
「ならまず、自己紹介からいくにゃん。…というわけで、私に名前をつけてほしいにゃん。」
「それは自己紹介とは言わないんじゃないか?」
「でも本当のことだから仕方ないにゃん。さあ、私にふさわしい名前を今すぐ考えてくださいにゃ!」
「そんなこと言われても…じゃあ、何か好きな食べ物とか教えてくれ」
「えへへ、それはもう魚全般ですにゃ!でも特に好きなのはサンマかにゃ~」
「よし、採用。お前は今日からさんまだ」
「あんまりにゃ!別にお笑いモンスター目指してここに来たわけじゃにゃいし!」
「そのキャラなら十分芸人として食っていけるだろ。」
「イヤ、もう少し女の子らしいのがいいにゃー」
「女の子って…じゃあタマ子で」
「安易すぎにゃ!そのへんのノラと一緒にしないでほしいにゃ!」
「注文の多いやつだな…」
俺は考えあぐねて部屋を見回した。畳に散乱した日本史の問題用紙が目に入る。
「イズモなんてどうだ?歌舞伎をはじめた日本の偉人からとった。」
派手な身なりで常識から外れた行動をするところなんかぴったりだ。
「…うん、悪くにゃい。」
ネコ耳改めお国は小声で「いずもいずも」とつぶやきながらうなずいた。
「伸之様、私の名前はイズモと申しますにゃん!」
「知ってるよ!いいから本題に入れ!」
「いやー、嬉しくてつい」
イズモは照れながら耳をかいた。だめだ、どんどんこいつのペースに流されている気がする。イズモはぴょんと椅子から降りて、俺の正面に正座した。