ミヴェル=ソワールの過去と希望2
「…キルさんが『過去を食らう猫』…?一体どういうことですか…?キルさんは普通の猫じゃ…」
エスポワール一家は何の能力も持たない普通の猫。だからキルさんもカイヤも希少種猫なわけが無い。食事の時だって、過去じゃなくて普通の猫が食べる食事を取っていた。一体どういうことだ…?
「…そうだった。お前は『突発型』希少種猫の事を知らないのだな」
そうキルさんが言い、その『突発型希少種猫』の説明を受ける。
説明が終わった後、僕にある疑問が生まれた。
「…どうして隠していたんですか…?そして…何故僕だけに…」
そう言うと、キルさんは顔を暗くした。
「…それを言いたかったのだ。…それが俺の『野望』と『後悔』になるのだが…」
そう言いキルさんは口を閉じる。僕はそのキルさんの無表情の中に潜む不安と絶望が入り交じった様な表情を見て、息を呑みこんだ。
「…お前は、過去を食らう際に…その過去を知り何か思ったりしないか…?」
ふとそんな質問を投げかけられた。僕は首を傾げて答える。
「いいえ、特に気にしていないです。そもそも暗い過去は味が悪いから明るい過去しか食べませんし…」
食事の際も明るい過去を選んで食べていた。そして時々自分に合った好きな他人の過去を見つけてにやけていた所をカイヤに笑われた時もあった。
「…やっぱりか」
そう呟きキルさんはため息を吐く。そして確信が付いたのか、真っ直ぐ僕の方を見て話し始めた。
「…俺は、お前らが食ってきた過去とは逆の過去を…どうやら食いすぎてしまったようだ…。しかも希少種猫の過去ではなく…希少種猫の能力に嫉妬し恨む普通の猫の過去を…」
足が竦む感覚がした。その過去は…食べたことはないがきっと…。
「…そして、いつしか俺は、その過去に囚われてしまうのだ。…いや、既に何度か囚われてしまっている」
そこからキルさんの話は淡々と続いていく。僕はその話をどのような表情で聞いていたのか分からない。
…俺の中の『野望』は、その普通の猫に希少種猫の「能力」を与えてやることだった。能力がない疎外感、恨み、妬み。特別なモノを持っていないという苦しみを、知りすぎてしまった。そしてそれが耐えきれなくなり、自分の精神安定の為にも、無茶な野望を実行しようと思ったのだ。
…俺の息子、カイヤは何の能力も持たない普通の猫。そしてやはりカイヤは能力を欲しがっている。その悲痛の思いをぶつけられる度に、俺の心もどんどん侵食されていった。
普通の猫の悲しみを…妬みを…希少種猫である自分が深く、感じてしまった。
いつしか俺は、その過去に囚われるようになった。
最初は叶うはずもないそんな願いにもがき苦しむだけの囚われようだったが、それは次第にエスカレートして行き、『人口型希少種猫をつくる』という考えに、至ってしまった。
そして俺は、希少種猫保護施設の保護員を騙し、カイヤをはじめ、ミヴェルやエイヴァにさえも…手をつけてしまったのだ。
そして残念な事に、カイヤにはその能力が開花しつつある。お前とエイヴァの能力は開花していないが、その内分かるようになるだろう。
でもそれは実験台に大きな負担がかかる。それを知っていて俺は実行し続けた。
そしてふと我に帰った時に…俺は自分の息子と、家族同然に扱ってきた子供達を苦しめてしまったと、『後悔』するのだ。
…希少種猫にも普通の猫と同じように欠点がある。猫狩りによって狩られ、安易にその能力を利用され道具として扱われる。その他にも、その能力の仕業で何かしらのモノに囚われ、そして闇に落ちていく。
俺はその後述の方であった。他人の過去に囚われ、闇に落ち悪事を働き、大事な人達を苦しめてしまった。
それが俺の『後悔』だ。…俺はこの悪循環を繰り返してしまっている。
キルさんは自分の心情を話し切ると、俯いたまま動かなくなってしまった。僕はただ立ち尽くすことしか出来なかった。どんな声を掛ければ良いのか、一体どんな表情をすればよいのか、検討が付かなかった。
ただひとつ分かったのが、キルさんは…十分に自分の過ちを悔いているという事だ。
「…キルさん…」
「…ミヴェル、俺の『希望』を、聞いてくれないか?」
声を掛けようとすると唐突にそう頼まれる。僕は凍りついた顔のまま、小さく頷いた。
「…俺のせめてもの願いを…カイヤとお前達の父親としての願いを、聞いてくれないか…?」
顔を上げたキルさんの表情は、自らの行動を悔やんで今まで見せた事のない険しい顔をしていた。普段あんなに無表情で、表情を見せたとしてもにやけた顔ぐらいしか見せなかったキルさんが、今の状況に囚われている様子が痛いほど伝わってくる。
過去に囚われてしまった自分と良心の自分との葛藤が伝わってくる。
「キルさん…無理しないで下さい…」
僕はそんな言葉しかかけることが出来なかった。
「…すまない。」
キルさんはキッと歯を食いしばり、再び俯いた。この表情も、僕は見るのが初めてだ。
キルさんは自分の机から移動しこの部屋に一つしかない窓へ移動しカーテンを開ける。その窓の外の世界は、キルさんの気持ちを案じたように薄暗く、だが何故か美しく感じた。
キルさんとカイヤの家はここから見えないが、丘のようになっている大きな庭が確認できた。晴れの日なら青々と茂っていて開放感のある庭も、今は曇っていて窮屈で寂しい感じがする。吹いている風の音が、何かを訴えて叫んでいるように聞こえた。
ー苦しいよー
僕にはそう聞こえた様な気がした。
「…俺はいつか必ず、裏切り者として殺されてしまうだろう…。最も、罪を犯した人間に罪を犯すのはこの世界の常識であるから、もう覚悟はできている。…だが、最期は自らの手で終わらせたい。きっと、俺は自分の手で最期を終わらすだろう…。…それでいいのだ。でも…例え誰も俺を信じなくても、誰かは俺の本心を信じていて欲しい…。過去に囚われた姿の俺ではなくて、ただ3人のこの息子としての、少し冷徹な、だが愛情を注いだ父親としてのこの俺を…信じていて欲しい。これが俺の『希望』だ」
そう言い終え、キルさんは「もう行け」とだけ言い、振り返ることがなかった。
僕は最後まで立ち尽くす事しか出来なかった。呆然としたまま、キルさんの後ろ姿を見つめる。
「もう行けと言っているだろう?早く行ってくれ、早く」
キルさんは力の入った声で僕を拒んだ。だがその声は、少し震えているようにも聞こえた。
一礼だけして、部屋を出る。
「…キルさん…」
育ててくれた父親の名をふと呟く。そしてふとキルさんと僕とを分けているドアの奥から、すすり泣く声が聞こえた。
「…信じますよ。例え、誰からどんなに悪者扱いされたって、キルさんの『希望』は…僕が…」
そこまで呟いた所で、涙が言葉を遮断した。
「…大丈夫…だから」
そう言い1歩を踏み出した。
『多分、今夜が過去に囚われてしまう前の、お前達の父親としての俺の最期になるだろう。明日には『過去』は完全に俺の本心を食らいつくし、囚われてしまうのだろう。そしてきっとお前達に、残酷な行為をしてしまう。
お前とエイヴァがこれから行く所も、過去のに囚われた俺が選んだ所、お前達の能力を開花させるために、何らかの悪事が仕込まれている。
最期にミヴェルに打ち明けることが出来て良かった…。カイヤに話すとなればカイヤの正確だと逆恨みされる。実の親子だからこそその恨みとショックは大きいものとなるだろう。逆にエイヴァに話すには、早すぎた。エイヴァは純粋無垢な心の持ち主だ。どうしても話す気になれなかった。だからお前を選んだ。怒ってくれても構わない。…でも俺は、お前で良かったと思っている。
ミヴェルは表面上では騎乗に振る舞って笑顔を絶やさず、周りをよく見ているが、その分苦労していることは見てわかった。誰も知らないところで泣いて、自分を悔やんで、そんな人間だったからこそ、俺は信頼することが出来た。
そういう人の方が、こう言う願いはずっと忘れないでいてくれる。
そしてお前は…3人のうちの中で、1番他人の心がわかる。
神経質だからこそ、誰よりも心の変化を読み取りやすい。
でも、お前は自分の管理が出来ていない。
…最期って言ったが、もう一回だけ俺の『希望』を言わせてくれ。
カイヤという『希望』を、頼ってやれ。
カイヤは神経質なお前でも分からないような所を知る事が出来る。
これからきっと、俺によって残酷な道へ立たされることになるだろう。
だがそれだけは忘れないでくれ。お前は1人じゃないことを。
『希望』を、忘れてはならないことを。
それが俺の、本当に最期の『希望』だ。
キル=エスポワール』
キルさんとカイヤとの別れ際、キルさんに渡された手紙の内容だった。カイヤはずっと笑顔で、でもきっと涙を堪えているな、と予想できた。僕を抱きしめて泣きじゃくるエイヴァの頭を撫でながら、「今までお世話になりました」と悲しさを含めた笑顔でお別れの挨拶をする。
キルさんは終始無表情で、「元気でな」とだけ言い、僕を見送った。
もうその頃には過去に囚われてしまっていたのか分からないが、分かれた後ふと振り返った時、泣いているカイヤの背中を叩き、慰めているキルさんの姿がそこにあった。
「…父親、してるじゃないですか」
そう呟いて、うんと伸びをする。伸びに合わせて風が心地よくミヴェルの周りを駆け巡った。
青空だ。
「エイヴァ…!さあ行こう!!」
少しだけ泣き止んだエイヴァをおんぶして、大きな庭を駆け下りた。
ー『希望』を、忘れないでくれー
キルさんの言葉を再度思い出す。
これから起こりうる、残酷な世界。
知っていても、乗り越えられる気がした。
『希望』を、見捨てない限りーー
だがその世界は、僕のそんな浅はかな想いでは到底打ち砕かれるような
暗くて、悲惨で、残酷で、そして何故かー
美しかった。




