4話
「ふえぇ、びしょびしょぉ」
ポタポタとしずくをたらしながら渚珠が玄関先に戻ってきた。
「お疲れ様ぁ」
現場の修理と平行して、管制塔からシステムの再点検をフル機能を使ってやっていた凪紗が出迎える。渚珠と一緒に交換作業を行っていた弥咲も、同じようにずぶ濡れで現れる。
「二人は休んでいいよ。フロントは私が当番するから」
本来ならば奏空も作業に加わりたかったが、さすがに泊まり客を放置するわけにはいかない。その分は今夜の夜番を引き受けることと決めていた。
「ちょっとお風呂入ってくるよ」
「ええ。渚珠ちゃんもはやく着替えた方がいいわよ」
「うん~」
スカートの裾を絞ればいくらでも水がしたたり落ちそうだ。
「今日は、部屋で休んでいいからね」
「えぇ? でもぉ」
「はいはい。駄々こねない。昨日も今日も頑張ったんだから、少しは休まないと」
なんだかよく分からない理由を付けられて、奏空に見送られる。
とにかくこのビショビショの服と靴をどうにかしなければならないと思えば、部屋に戻るしか選択肢はなかったのだけれど。
常夜灯が点いている室内に戻り、まずは制服を脱いでいたときだった。ドアにノックの音がする。
「はぁい。開けていいよぉ」
きっと先にシャワーを浴びた弥咲が知らせに来てくれたのだろうと思った。
「渚珠……入るよ?」
「ふえぇ?」
予想していた弥咲の声ではなかった。
「桃ちゃん、どうやってここに? 入ってこられないはずだよぉ?」
「その前に、その姿を何とかしなさい」
ぽかんとしている渚珠に、彼女は大きなバスタオルを渡した。
「ほ、ほえぇ。ありがとぉ」
下着姿にタオルを巻き付ける。これはこれで問題がありそうな状態だが。
「昨日からね、呼ばれてたんだ。遅くなっちゃったけど」
「そ、そうなんだぁ……」
どうりで、奏空が自分の部屋に戻るように促していた理由が読めた。
桃香に視線をそらすようにお願いし、その間に渚珠は部屋着に着替える。
「どう? もうこっちの生活にも慣れた?」
「うん。みんないい人ばっかりだし。最初はちょっと生活習慣も違うから戸惑ったときあったけど、今は不自由ないよぉ」
どうやら、桃香の心配は杞憂に終わったようだ。それは長年一緒に過ごしてきて声でも分かる。
奏空が運んできてくれた遅い食事。雨は降り続いていたけれど、吹き込んではいなかったので、ベランダのテーブルでとることにした。
「なんか、前もこんなことしてたよね。親に怒られてさぁ、ベランダ飛び越えて行ったりしたよ。そうすると、いつも渚珠が話し相手になってくれてた」
「そんなこともあったねぇ。外は真っ暗だったから危ないときもあったけどぉ」
「そうそう。眠いときにも押しかけちゃってさぁ。でも渚珠がいつも迎えてくれたし」
桃香しか知らない渚珠との生活。ルナ=モジュールでは少し浮き気味だと思っている他のクラスメイトと違い、彼女の素の姿を知っているから、桃香は渚珠の理解者であり続けた。
「桃ちゃんにも心配かけちゃったね」
「いきなりインターン先がアクトピアだって言うんだもん。少しは相談してもらっても良かったのに」
「うん……。でも難しいって分かってたし、行けるって自信もなかった。あんまり成績もよくなかったしさぁ……」
そんな桃香にも渚珠は今回のアクトピア行きは直前まで話をしていなかった。
「なに言ってるの。そのために勉強してるんなら、もっと応援したのに」
「心配させて、本当にごめんね」
「元気そうで本当によかった。ほっとしたよ。実はここに泊まるって決めたの、あたしだから……。渚珠にも迷惑かけちゃったね。ごめん」
「そうだったんだぁ。ううん。いいんだよぉ。いろいろあったけど、なんか戻ったみたいで、ちょっと懐かしかったし……」
「えぇ? なにそれ。渚珠ってそんな気があったの??」
「そ、そんなことないよぉ。きっと、あの学校には戻れないよ。みんなも、わたしがいなくてもだれも気づかないくらいだと思うし……」
渚珠がそのような扱いを受けてしまったのは、なにも最近に始まったことではなかった。
決して性格が悪いというような、渚珠に欠陥があるわけではない。ただ、彼女が持って生まれたペースが、ルナ=モジュールの生活リズムからすると、かなりゆっくりとしているため、どうしても1テンポ遅いことで周囲から浮き上がってしまう。
多少の違いはあるが、どうしても絶対的なリソースが限られてしまうルナ=モジュールのような移民先では即断ができるような瞬発力を重んじてしまうような風潮が残っているから、彼女のような性格はどうしても少数派になってしまう。
「あたしは寂しかったわよ。いつまでたっても帰ってこないしさ? 夜中に忍び込むことも出来ないし」
「今はあの部屋変わっちゃってる?」
「ううん。まだそのままみたい。灯りもつかないし」
「そっかぁ……。たぶん、わたしはあのお家には帰れないだろうから、そのうち片付けられちゃうかもしれないけど……」
アクトピアに出発する直前に部屋を掃除した。新生活のために発送した荷物は衣料品と両親の遺品などを含めてもほんのわずかで、ほとんどの私物を処理してきていた。当然幼いころからの思い出もたくさんある。それでも渚珠は新しい生活に賭けたかったし、他の道はないと思っていた。
「でも、一番上のお姉さんが居なくなって、二人がさびしそうだったわよ?」
「そっかぁ。悪いことしちゃったとは時々思うよぉ。落ち着いたら呼んであげるつもりなんだ」
「それがいいよ。今日見てたらみんなイメージ変わったみたいだしさ。あと、たまには里帰りするのよ?」
「うん、必ずするよ。指きりげんまん」
二人の話はとりとめもなく続いて、渚珠は空が白み始める頃に桃香を部屋まで送っていった。
昼前、桃香たちの一行はルナ=モジュールに向けて出発することになっていた。
「また来てくださいねぇ」
メンバーの心配をよそに、その朝の渚珠はすっかり調子を取り戻していた。
「松木はもう学校には戻ってこないんか?」
「そうだねぇ。卒業式とかは出られると思うけど」
先日まではすっかり好奇の注目となっていた渚珠の扱いが本当に手のひらを返したように変わっていた。
どうやら、昨日の一件は食堂で見ていた桃香だけではなく、他の面々も作業が見える部屋に集まって見ていたとのこと。
「あの見送りはカッコよかったなぁ。ルナ=モジュールじゃ見えないしなぁ」
「はにゃぁ……。あれはうちだけだなぁ」
出発する船に対し、万全の整備で送り出すことを示すために、手の空いているスタッフ全員で手を振って送り出すのは、世代を超えての伝統だという。
早目の昼食の後、食堂での生徒たちの準備を済ませ、一行は接岸ブリッジに移動する。
「修学旅行かぁ。結局行けなかったなぁ」
「なに言ってるの? 旅行は帰らなくちゃならないんだから。それ以上のことでしょうが?」
『渚珠ちゃん、 お迎えはまもなく到着。接近コースは着水の後海上2番から。接岸はいつも通りオートでよろしくね』
「りょうかぁい」
凪沙からのホログラフに答えて、いつもの仕事どおりに接岸設備の確認を行なう。どうやら、ここで最後の生徒一行を乗せ、そのまま大気圏離脱となるということ。燃料補給と点検整備を行なってからの出発となる。
「やっぱでかいなぁ……」
渚珠がアクトピアに乗ってきたのとほぼ同じサイズの連絡船が少し沖の指定エリアに大きな波しぶきを上げて着水する。
接岸に備え、念のためいつもどおり信号旗を持って待機する。
「あの松木がこう変わっちゃうんだもんなぁ。他の連中にも見せてやりたいよ」
「見てるんじゃん?」
星間便の扱いとなるため、乗船中の生徒が外に出ることは出来ないが、窓側にはびっしりと顔が並んでいる。当然の話で、渚珠がここにいるという事だけでなく、昨日の模様も他の生徒たち全員に伝わっているようだ。
定位置に接岸し、弥咲がすぐに点検作業に入る。
「お待たせしました。どうぞご乗船下さい」
これだけの連絡船となれば全員作業だ。奏空が食堂で済ませていた出国審査の書類を乗員に渡して、荷物の積み込みを始める。
音声だけにしてあるインカムから、凪紗の情報が入ってきた。
「コックピットはセルフチェック完了。補給が終わり次第出航で」
「メカチェックまもなく終わり。補給まで…、あと3分かな」
次々に渚珠の耳元に飛び込んでくる。もちろん、最後は現場責任者でもある渚珠が最後のサインをしなければ出航指示は出せないのだが。
「相変わらず早いんだぁ……。桃ちゃん、そろそろお別れだよぉ」
「早いねぇ。必ずあっちに顔を出すのよ?」
「一度は戻って整理しなきゃならないと思っているから、行くときにまた連絡するよぉ。あ、弥咲ちゃん! ちょっと来て」
渚珠は作業を終えた弥咲を呼んだ。
「どうしたの?」
「桃ちゃんちへのお土産。みんなで写真撮ろう。弥咲ちゃんのこと、桃ちゃんのお父さんが憧れてるって」
「またぁ、そんなこと言って」
「本当にです。昨日の作業は見ていて惚れ惚れしました」
桃香、弥咲と渚珠の三人で写真に収まる。
「あ、きたねー!」
搭乗口から何人かの声がするが、桃香は平然としていた。
「渚珠のこと、笑い者にしていた罰でしょ? それに集合写真あるんだからいいじゃない」
今朝、セルフタイマーで撮った写真には、同級生である渚珠だけでなく、せっかくだからとALICEポート職員全員が写っていた。
「渚珠ちゃん、準備完了だって」
「はい。じゃあ桃ちゃん、気を付けて」
最後に残っていた桃香とガッシリ握手をし、荷物を手渡す。
「あ、渚珠。これ、忘れるところだったよ」
彼女は鞄から封筒を渡した。
「見ることが出来なかった写真。データじゃなくて印刷だからありがたいと思ってよね?」
「うん。ありがとう。飾ってずっと大事にするから」
あのときテーブルの上に置いてあった物。昨日封筒を探してくれたのだろう。大切に制服のポケットにしまった。
「気を付けてね」
「体、大事にするのよ?」
そう言って桃香は機内に入った。
「ねぇ渚珠ちゃん、みんなに顔見せておいでよ?」
「ほぇ? でも……」
奏空も笑顔で近づいてきて、全員分の焼き菓子を持ってきた。
「これ、みんなの分あるから機内にお願い」
「もぉ……。みんなわたし泣かせるぅ」
仕方ないので、ブリッジを渡りメインシートエリアに入った。
「松木だ!」
「すげぇ、本物だ!」
昨日の様子を勝手に中継されていたモニターを通じて見ていた他のグループからもヒーロー扱いだ。
なんでその場にいられなかったのかと悔しがる声が多数届いていたと朝食で教わっていた。
アテンダントがモニターを付けてマイクを渡してくれる。
「えと……」
きっと、渚珠のインターン先を公開していれば、こういうことになっていただろう。数ヵ月前にはこんな風に注目されたくなくて、ひっそりと故郷を後にした。
でもいまは違う。
「3組の松木です。今はこのALICEポートでインターンとしてお世話になっています。本当に今回はお越しいただきましてありがとうございました。あと、みんな見ていてくれたみたいですけど、本当に昨日はご迷惑をかけてしまいました。あれでもわたしはまだ半人前で、ここの仲間に助けられています。卒業式までにはなんとか昇格出来るように頑張ります。その時はまた同じ教室に入らせてください」
割れるなような拍手と歓声のなか、一礼してマイクを返し外に戻った。
「ほい、最終チェックお願いね」
弥咲からチェック用のボードが手渡される。そこに表示された項目をチェックし、渚珠がサインをすると、出航の手続きが全て整うことになる。
「じゃぁ、コースのクリアを出してください」
「いいの? 出すよ?」
「うん。お願いします」
チェック項目に目を通し、最後にサインをすると、ボードについているプリンタから内容が出力される。これを乗務員に渡すと、渚珠の仕事は終わりだ。
「危ないから離れてくださぁい」
名残惜しそうにしながらも、何も残っていないことを確認して乗降用の橋を持ち上げた。
「ありがとうございましたぁ」
補助の電源コードも外して、船体のポケットを閉じた。これで船は完全に岸壁を離れたことになる。
「ねぇ渚珠ちゃん、あれやっとけば?」
「んん? はぁい」
弥咲と二人でまだ出発準備中のコックピットに向かって、ハンドアクションを出す。
『準備はすべて完了。順調な航行を祈る』
両手の親指を立ててメッセージを送ると、コックピットからも良好との返事。
「いってらっしゃぁい!!」
エンジンの音が大きくなり、ゆっくり移動を始めた機体に向かって大きく手を振る。
「行っちゃったぁ……」
機体が見えなくなると、渚珠はようやく深呼吸をした。
「お疲れさま。頑張ったね」
「さすが、うちのリーダーは違うわ」
奏空に頭を撫でられ、弥咲に肩を叩かれてもみくちゃにされる。
「みんながいてくれたからだよぉ。ありがとう」
ようやく、渚珠の顔に笑顔が戻った。
信頼できる仲間たちに囲まれて、何も怖いことはない。
故郷を離れた彼女にも、いつの間にか居場所ができていた。
「渚珠ちゃん、頑張ったから午後はお休みにしようよ!」
「へ? でもぉ……」
突然の奏空の提案に戸惑う。
「今日は午後誰も来ないの。予約も何もないし。凪紗ちゃんはどう?」
『そうだね。午後はみんなで買い物にいかない? 休業手続きしておくから』
「そうと決まったら急げ!」
三人で建物に向かって走り出す。
小さな島に再び平和な空気が流れ始めた。
書き上げたときの本編はここまででしたが、おまけが少々続きます。もう少しだけお付き合いください。




