3話
「雨が止まないねぇ」
「そうねぇ。みんな観光だって言うのに可哀相かな」
昼間のALICEポート。昨日からの一行は旅行の最終日のスケジュールで、朝食を済ませた後に海底都市の方へ観光に出かけていった。
「でも、雨に降られるなんて経験はむこうではないわけでしょ? いい経験になるかもね」
「それもそうかぁ……」
そんな会話をしながら、渚珠と奏空は各客室のベッドメイクをこなしていた。
「今回はみんなに迷惑かけちゃったなぁ」
「気にしない気にしない。明日の朝までもうちょっと我慢。それも今年だけでしょ? 来年の修学旅行にはもう渚珠ちゃんのことを知っている人は来ないわけだし」
最後の部屋に片付けに入る。シングルの部屋は引率教師と女子に割り当てられているようで、ここもその一つだった。
「同じ歳でもここまでお部屋の片づき方が違うってのも面白いよね」
奏空も苦笑するように、この部屋のお客はかなり気を遣ってくれたのだろう。私物はきとんと一カ所にまとめられてあり、部屋の中はきれいに片付けられていた。ベッドをメイクし直し、掃除と点検が終わるのは他のどの部屋よりも早かった。
「桃ちゃん……」
気がつくと、渚珠はなにやら見つけたらしい。テーブルの上に置かれていた写真を手にしている。
「こら、お客さんのものを取っちゃダメよ」
「うん……」
「どうかしたの?」
奏空もそれを覗きこんで驚きの声を上げる。
「これ、渚珠ちゃんじゃん。いつの写真?」
「こっちに来る直前に撮したのだねぇ。出来上がりを見る前に出発になっちゃったから」
懐かしそうに渚珠は見つめていた。
「いろいろあったけど、桃ちゃんはわたしのこといつも心配してくれてたよ」
「いろいろねぇ。渚珠ちゃんも苦労人だったんだね」
奏空は少し戸惑ったように言葉を濁した。
「昨日、みんなわたしのこと言ってたでしょ? あれ本当だよ。小さい頃に両親は二人ともいなくなっちゃったんだ。宇宙船の事故でね。あのころは小さい事故がたくさん起きてたからね」
今でこそ一日に何便もある星間連絡船。人命に関わるようなことはなくとも、小さなトラブルは毎日のように発生しているし、凪紗もその対応は何度もしていると言っていた。
「今の両親と言っているのは、わたしのおじさんのお家なの。だから、迷惑かけないように早く自立したかったんだなぁ……。でもみんなに嘘ついちゃってることになるというなら、それは処分受けても仕方ないかなぁと思ってる」
提出されているプロフィールは現在の情報だから、そこまでの話は提出はされていない。それでもどこからか情報は流れてきているらしく、奏空も風の噂程度には聞いたことがあった。
「大丈夫だよ。もう十分だと思うけどね。凪紗ちゃんがこの間その手続きの準備してたし」
「準備?」
管理者業務としては、大部分が渚珠に移管されているけれど、難しい手続きなどはまだ凪紗が行っている。
「もう渚珠ちゃんはALICEポートの一員だよ。もうあんなことを言われて小さくなる必要なんて無いんだからね」
「ありがとぉ……」
写真をテーブルに戻したとき、二人の前にホログラムウィンドウが突然立ち上がった。
「二人とも急いで来てくれる!?」
凪紗の声がいつも以上に緊張していた。
「どうしたの?」
「ちょっとヤバい感じなのさ。とにかく急いで戻ってきてくれる?」
先に到着しているらしい弥咲が画面に割って入った。渚珠と奏空は部屋を閉めて二人の元に急いだ。
「つまり緊急着水ってことね」
二人が管制室に走り込んでいちばん最初に聞いたのは、腰に手を当てて難しい顔をしている弥咲のこの言葉だった。
「そういうこと。上昇時にエンジン不調と言うことで、今は低軌道をかろうじて周回中。中継ステーションのある高軌道には移れないので、うちに緊急着水、エンジンの修理か交換の後に再出発させます」
凪紗が会議用に使うスクリーンにデータを表示させながら概略を説明している。
「出発した第3ハブには戻れないの?」
「残念ながら。このあたりどこのハブポートも対応不可能。丸ごとの予備を用意できるのはここだけなんだって」
お手上げといった感じで凪紗も首を振る。
全員がそれぞれ対処できるスキルはあるとしても、ここまで技術的な話になると、すべては弥咲にかかっていると言っていいかもしれない。
「ほへぇ……」
「あぁ、これねぇ。古いからトラブルも多いって聞いてるよ。でも、うちのストックもしばらくテストしてないよ?」
「とにかく、あと1時間で着水します。準備と作業はどのくらいかかる?」
「状態見てからだけど、全部交換したら5時間くらいかなぁ」
さすがはこの付近一帯でいちばんの腕利きと言われるだけのことはある彼女。当然のことながらそれを行うだけの設備も整っている。
「OK。お客様は150名だそうよ。対応は可能? 多分機内での待ちになると思うけど、外に出す場合の地下は起動できる?」
「それは大丈夫。誘導などはアテンダントさんにお願いするように連絡して下さい」
いざというときは普段のほんわかキャラの奏空の顔つきも変わる。
「うちの滞在はあの学生さんたちだけだから、夕食は外で食べてきてもらうように連絡するわ。ただいまからこのエリアを立ち入り制限区域にして、訪問者については定期便を含めすべてシャットアウトします。では各自の持ち場にお願いします」
「「了解」」
「まったく、何がどうなってるの?」
桃香はイライラしながら船の出航を待っていた。
1日の観光も済ませ、夕方には帰る予定だったのに、引率の教師から言われたのは、夕食を済ませてからと変更になったと言うこと。
昨夜の食事が奏空の力作だけあって、楽しみにしていた生徒たちからは残念がる声も上がったけれど、少しずつ状況が分かってきた中での結論は、【ALICEポートで何かが起きた】ということだった。
なにしろ、桃香たちが最初に乗ってきたのは、チャーター船ではなく一般の乗り合いだったけれど、その船が全てALICEポートを避ける形で運行されるという案内。それどころか周辺は立ち入り禁止区域に指定されたとなれば、あまりいい事態とは考えにくい。
「渚珠……」
桃香のイライラは、帰れなくて足止めされていることよりも、そのまっただ中にいるはずの親友の安否についての方が主な原因になっていた。
予定よりも3時間も遅れ、陽もすっかり落ちた中、ようやく臨時のチャーター船は第4ハブポートを出航した。聞き耳を立てていたなかでの情報によると、立ち入り禁止は解除されていないが、今なら安全に室内に誘導できるとのこと。
おまけに夕立の雨が今後強くなるとの予報から、結構難しい中での判断を迫られていたようだ。
「うわ……、なにあれ??」
誰からともなく声が上がる。
「星間船でね?」
「だよな」
それは専門知識がなくても誰でも分かる。やはり宇宙空間を航行する船というのは明らかに大きい。ただ、そんな船がALICEポートに停泊しており、船体にライトが煌々と照らされているのを見れば異常時と考えるのが普通だ。訓練があるとも聞いていない。
「お帰りなさい。本日は申し訳ありませんでした」
船着き場に到着すると、傘を持った奏空が出迎えをしてくれていた。
「何があったんですか?」
「はい。ご覧の通り、船の緊急着水がありまして、その準備のためにご不便を取らせてしまい申し訳ありませんでした」
全員に傘を渡し終わると、奏空は宿泊棟の方へ一行を案内した。
「あれすげぇ……」
「うん……」
男子たちの言葉に思わず頷く桃香。自分の父親はルナモジュールのポートで船体の検査などを担当している。そんなことから、今回のことの重大さは他のメンバーよりも分かっていた。
「あと2時間ほどで作業は完了する予定ですから、みなさんがお休みの時間には静かになります」
奏空の説明を聞きながら考える。
「いくら丸ごと交換って簡単に言うけど、普通は一晩かかるのよ?」
父親の言葉を思い出す。凄腕のメカニックがいるはずだと。
星間連絡船のエンジンを丸ごと数時間で載せ替えられるのは数人しか聞いたことがない。
各自解散となった後も、桃香は再び建物の外に出て現場に目を向けた。
「あっ……、あの子ったら……」
その時に彼女が気がついたのは、機器室から出てきた一人の少女の姿。
「渚珠、風邪引くよ……」
きっとこの夕立に対処する間もなく全員が作業に取りかかっているのだろう。
雨の中レインコートも着ずに、濡れ鼠のまま黙々と作業をしている渚珠が桃香の目に焼き付いた。
ホログラムウィンドウを同時に立ち上げ、いくつもの作業をこなしている姿は、これまで桃香が知っている隣の家の同級生という渚珠ではない。
「負けたなぁ……」
昨日と同じく、薄明かりにされた食堂で、桃香はその現場を見守り続けることしかできなかった。
そして、奏空の案内があったとおり、予定の2時間を待たずに作業は完了し、船は再び旅立っていった。




