2話
「おはよう渚珠ちゃん」
渚珠がやってきてから、4ヶ月が過ぎた。
最初のうちこそワタワタしていた渚珠も、ようやく落ち着いた日々を過ごせるようになってきていた。
「おはようございますぅ。今日も暑そうですねぇ」
「うん。でも、今日は夜に雨かもしれないって言ってたよ」
いつもどおり、朝食の準備をしながら奏空が教えてくれる。
「そうかぁ。それじゃぁ今日は夜のお散歩が出来ないなぁ」
残念そうな渚珠。彼女の日課では毎晩仕事が終わって寝るまでの時間を散歩するようになっていた。部屋前の砂浜の時もあったし、桟橋の方まで行くときもあった。
「そうじゃなくても、今日と明日はお泊まりのお客様がいるから。交代でフロントになるよ」
「そうだったっけ?」
誰も宿泊者がいなければ渚珠や奏空も自分の部屋で休めるが、客室が稼働しているときは交代でフロント勤務が続く。
「うん。なんか学校の名前で申し込まれていたから、修学旅行だと思うんだけどね」
「えっ……?」
その単語を聞いたとき、渚珠の脳裏に何かが横切った気がした。
「うん。どうも自由行動の部分は自分たちで宿を取るってことだったみたい」
「どこの学校だか覚えてる……?」
「ごめんねぇ。そこまでは覚え切れてなくて……。でも午後の便で到着ってのは覚えてるよ」
そこに朝の見回りから帰ってきた凪紗と弥咲が加わって朝食がはじまったため、渚珠もその話題は後回しにすることにした。
「あぁ……、お天気悪くなりそうだなぁ。チェックインまでに降り出さなければいいけど」
奏空が夕食に向けた食堂の準備をしていると、フロントのカウンターの方から何かが割れる音がした。
「大丈夫?」
駆けつけてみると、渚珠が落としたらしいコップを慌てて片付けていた。
「はうぅ。ごめんなさいだよぉ」
無事に片付け終わると、渚珠は再びモニターに目を落とした。
「どしたの……?」
「うん……。ちょっとね……」
表示されているのは、今日の宿泊者名簿の画面。
「なんか都合が悪いことでも……、って、まさか?」
「うん……。これ、わたしがいた学校……」
「うわ……、そっか」
最初に連絡を受けた奏空も、ルナ第1ミドルスクールという所属名を見て、ルナ=モジュールの中学校ということは認識していたのに、それが渚珠の出身校までとは気づいていなかった。
「それなら、あまり表に立たない方がいいかな……」
この渚珠の様子では、あまりいい思い出を持っていないのかもしれない。
「ううん、大丈夫だよぉ……」
チェックインの準備も終わって、それぞれの準備に戻る二人。
チラチラと仕事の合間に渚珠を見ると、やはり落ち着かない様子だ。
「うーん、これは考えた方が良いかもなぁ……」
考えたあげく、奏空は業務用のインカムで弥咲と凪紗を呼び出す。
「どうしたの?」
普段はあまり奏空からの呼び出しはしないだけに、二人の声が緊張している。
「あまり緊急のことではないんだけどね。今日のお客さまのことについてなんだけど……」
渚珠に聞こえないように手短に用件を話すと、二人ともすぐに理解してくれた。
「そういうことなら任せなさいって。うちの大事な子に指一本触らせないんだから」
「なんかそれ違うんじゃん?」
そんな状態で、ALICEポートは来訪者を迎えることになった。
「奏空ちゃん、そろそろお迎えの時間だよ」
「はーい。ほら、渚珠ちゃん一応行く?」
管制室でレーダーを見ていた凪紗からの連絡を受けて、奏空が立ち上がった。
「う、うん……」
「大丈夫だって。ここは渚珠ちゃんのホームでしょ」
今回に限っては、奏空だけで出迎えをしようかとも考えていたのだが、渚珠は仕事だからとその案を拒否した。とは言えやはり不安そうなのは見ていてもよく分かる。
「大丈夫。渚珠ちゃん一人でいるんじゃないんだもん。むこうだって手を出したりしないよ」
「そうだよねぇ」
接岸するボートには普段は渚珠が板を渡しているが、今日はその役目を奏空が行う。
「ん? どうした所長さん。あんまり顔色良くないぞ?」
代わりに接岸用のロープを持ちに来た渚珠にボートの船長が声をかけた。
「え? あはは、ちょっと風邪気味でぇ……」
「気ィつけた方がいいな。ここは人数少ないんだからさ。それじゃぁ今日からちょっと大変だろ」
「そうなんですよぉ。頑張りますぅ」
固定が終わると、普段は降りる人もまばらな出口から賑やかな声がしてきた。
「あー、長かった」
「移動時間だけでも長いもんな」
「よく、ここ取れたよな」
賑やかな声は次々に増えている。渚珠の頭の中には確か引率教師も含め、客室定員いっぱいの15人だったと記憶している。
「ようこそ、ALICEポートへいらっしゃいました」
「このたびはお世話になります」
奏空と、引率の教師が挨拶をしていた。
「それじゃ所長さん、体に気をつけてな」
「はい、それではまたですぅ」
ボートを見送り、一団の方に戻っていく。
「なぁ……」
「やっぱり……?」
「でもまさか……」
後ろから付いていく自分にチラチラと向けられる視線が痛い。
それはそうだ。いくら目立たない生徒とはいえ、数ヵ月前までは同じ学校にいたのだから、気づかない方がおかしい。
「もし人違いだったら失礼なんだけど、あの3組の松木か?」
チェックインをして食事までの自由時間となったとき、ついに引率の教師が真相を確かめに来た。
「はいぃ……。別に隠すつもりはなかったんですけど……」
「えぇぇ??」
やはりというか、いろんなリアクションの声が上がる。
「こんなところにいたのか」
「インターン中に行方不明になったって聞いたんだけど」
「行方不明って言うか、脱走って聞いたぞ?」
これだけでも、以前の渚珠がどのような扱いを受けていたか、想像が出来てしまう。
そもそもインターン制度自体には期間の制限はない。1週間で終わってしまうものもあれば、渚珠のようにそのまま就職というケースまであるので、所定の報告を上げていれば学校にそのまま戻らないということも認められているし、彼女はきちんとその手続きや報告を行っているから落ち度はなかった。
「まぁまぁ。ちゃんと報告は受けてるんだから」
さすがにこの場所での展開はいいものではないと教師が間に入る。
「えっと、では夕食はこちらの食堂で6時からになりますから、お集まりください」
なんとかそこまで言い終わると、呼び出しに応えて奥に下がる。
そして、その日はそれ以降、彼女が表に出ることはなかった。
「渚珠ちゃん、無理しなくていいよ? うちらで回せるからさ」
深夜のフロントカウンター。普段の夜は閉鎖してしまうこの場所も、宿泊客がいるときは、交代制で呼び出しや不測の事態に備える。
主な明かりは全て消えていて、テーブルの手元だけを照らす灯りの下で本を読んでいた渚珠に声がかかる。
「凪紗ちゃん。大丈夫。見回りありがとうね。わたしの役目なのに」
「いいって。でもあれじゃ渚珠ちゃんの気持ちも分かるよ。無理矢理出張でもしちゃった方が良かったかな。もう休んじゃって。明日もあるから」
「う、うん……」
渚珠を見送り、カウンター席に座る。
昼間のデータを整理して、日報に書き込んでいるとき、暗くしてある食堂に人の気配を感じた。
「大丈夫ですか?」
灯りを付けずに近寄った凪紗に、その人物は顔を上げた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと眠れなくて」
「いいですよ。旅行だし、寝付けないお客さんも多いから。お部屋まで何かお持ちしましょうか?」
旅先で寝付けないという話はよくあるので、枕を変えたりリラックス効果を高めるように奏空などはハーブティーなどを用意している。
「あの……。今日は渚珠は大丈夫ですか?」
しかし、その彼女から出てきたのは意外な言葉だった。
「えっ? お知り合いですか?」
「はい……。本当に今日見たときはやっぱり驚いたけど……」
渚珠にとって、今回の一件はあまりいいことではなさそうだと警戒していただけに、凪紗たちもなるべく接触時間を少なくするように気をつけていた。
「ごめんなさいね。ゆっくり話せる時間も作れなくて」
桃香という彼女は、渚珠とは隣家の幼なじみで、渚珠にいろいろあってからも、唯一良好な関係を保ち続けられた仲だとわかった。
「そっか。楽しみにしていたお客さまもいたんだよね。気づかなかったのは失格だな」
「いいえ。渚珠も分かっていたと思います。ああいうふうに言われてしまうかもしれないって。だから、あたしは渚珠が無事なところさえ見られればいいって思ってました」
桃香も渚珠もルナ=モジュールでの生まれだという。幼なじみが38万キロも彼方で一人暮らしをしていると聞けば、心配にもなるだろう。彼女の気持ちはよく分かった。
だからと言って、あまり渚珠を全員の前に出すのは、今日の様子からも凪紗としては賛成できなかった。もしかすると通常の業務に支障が出てしまうかも知れないし、同じALICEポートの仲間として、渚珠にこれ以上傷を付けたくはなかった。
「あの、明日もお泊まりですよね?」
「はい。明日は修学旅行の日程も最後なので、終日観光です。夜は戻ってきますけど」
「そっか。じゃぁ、明日の夜は予定を空けておいてくれますか? 渚珠には秘密ですよ?」
桃香を部屋まで送り、カウンターの後ろにある控え室を覗いてみる。気持ちで疲れ切ったのだろう。簡易ベッドの上で制服姿のまま渚珠は身動きひとつせずに眠っていた。




