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横顔【改稿対象】  作者: 小林汐希
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1話

「渚珠!」

「あ、桃ちゃん……」


 松木渚珠は隣の家の古くからの友人である木村桃香に呼び止められた。


「聞いたわよ。アクトピアに行くんだって? なんでもっと早く言ってくれなかったのよ!?」

「うん……ごめんね」


 そんな渚珠はルナ=モジュールでも居住区域の中心街とは逆の、倉庫や資材設備のある方へ進んでいるところだった。


「勝手について来ちゃったけど、こっちでいいの?」


 桃香が渚珠の転居を聞いたのは昨日の夜だという。そして、渚珠がルナ=モジュールを発つのは来週という急な話だと言うことも手伝って、彼女は渚珠を捕まえて問いただしたかったらしい。


「うん。忙しくなる前に、お父さんとお母さんに報告しなくちゃと思って……」

「そっか……」


 二人は居住区の一番端にたどり着いた。

 この先は普通に生活できるための1気圧に与圧がされていない区域になる。どちらかと言えば人気もまばらな場所で、倉庫や裏方の施設が立ち並ぶ。


 渚珠はそんな一画に並んでいる小さな施設に入っていった。


「こんにちは。お願いします」


 渚珠が持ってきていたカードを受付で渡す。


「かしこまりました。お二人でよろしいですか?」

「桃ちゃんも来る?」

「うん。いい?」


「ご案内は必要ですか?」

「いえ、大丈夫です」


 渚珠は二人分の受付を済ませて、友人を奥に促す。


 ロッカールームに並んでいるのは、屋外活動用の宇宙服だった。


 このルナ=モジュールで、一般人がコロニーの外に出て作業をすると言ったことは基本的に無い。


 また、空気が漏れるといった非常時に備えて、与圧服というものがあるが、それは一時的に真空の環境から避難場所へ移動する程度のもので、長時間の屋外活動には使用できない。

 やはり外に出るときは、この白くて重い宇宙服を着用する必要がある。


「相変わらず重いよね」

「仕方ないよぉ。それでもこの先に行けば加重区域に比べれば軽いはずだよ」


 本来、このルナ=モジュールの重力は普段、二人が生活している居住区の6分の1しかない。これは人類がアクトピア、当時の地球で生活していた頃からの名残であり、各地の移住なども考慮された結果、1Gの重力を共通環境として人工的に制御されている。これは宇宙空間を旅する連絡船や、各コロニーも全て同じだ。


 しかし、居住に必要がない部分はそのままなため、二人が今足を踏み出した場所はもう重力が変わっている。


『エアロックにお進みください』


 二人のヘルメットの中に無線が流れた。


 小ぶりな部屋に入り、扉を閉める。しばらくそのまま待つと、壁にあるランプが赤に変わった。


『減圧が終わりました。どうぞお気をつけて』


 反対側の扉を開けると、そこは外だった。真っ黒な空には一面の星が瞬くことなく見える。

 窓に調節されていない太陽の光が照り付けて、中間色のない白と黒のコントラストだけの世界が広がっている。


「相変わらず殺風景ねぇ」


 二人はしばらく歩いていく。目の前に標識が地面に並んで置かれている場所に着いた。

 その中でも比較的手前の区画に渚珠は進んでいく。


 一つの標識の前で彼女は立ち止まった。その標識、墓標には二人の名前が刻まれていた。


「お父さん、お母さん……ただいま」


 渚珠の両親は、彼女が幼い頃、宇宙船の事故で亡くなっていた。

 今でもそれは語り継がれている大きな事故。しかし、二人の尊い犠牲のお陰で、それ以上の被害がなかったという。


「今度ね、アクトピアに行けることになったんだよ。お父さんとお母さんと同じく、港のお仕事ができることになったよ」

「渚珠……」


 渚珠にとっては、両親を亡くした仕事でもある。本当にその仕事を目指すか悩んだこともあった。


「おじさんたちに、いつまでも迷惑かけるわけにいかないもん。だから頑張ってくる」


 二人は頭上に浮かぶ青い星を見上げた。来週、渚珠は故郷のこの地を離れ、あの星へ渡る。


 そこを飛び出してきた人類の一人としては里帰りになるのかもしれないが、松木渚珠という一人の少女にとっては初めての世界だ。


「なかなか来られなくなっちゃうけど、見守っていてね」


 渚珠は名残惜しそうにしていたが、それ以上留まってもあまり意味がない。立ち上がって歩いて来た道を戻り始めた。


「渚珠、本当に行っちゃうんだね」

「うん。でもね、ルナの生活じゃ、わたしはみんなの足手まといだよ。きっと就職もうまくいかないし、いい機会があるならその方がいいと思うんだ……」


 屋内に戻った二人はそのまま観光用のドームに入った。有害な放射線や時々飛来する厄介な隕石などから住人を保護するため、通常の居住区は地下深く作られている。

 観光ドームは頑丈な透明ドームで覆われているが、その外側には複数の防御板があり、レーダーで塵一つ見逃さない体制になっているが、それでも最悪の場合は避難の上、エアロックで締め切ることができる。


 二人はそのロック部分を抜けて中に入った。


「桃ちゃん、勝手に決めてごめんね。でも……」


「分かる。渚珠のことは……。でも相談くらいしてほしかったな。訓練大変だったでしょう」


 桃香の口調が戻ってきた。この1年ほど、渚珠のプライベートはずいぶん忙しそうだったのを思い出したからだった。


 放課後だけでなく、休日もあまり遊ぶこともなく、ここ1ヶ月は深夜になってもなかなか部屋の明かりが消えなかった。

 さっきの話では、ポートの仕事と言っていた。筆記だけでなく実技もあるはずで、学校との両立は大変だったに違いない。


「渚珠はそれがインターンになるの?」

「そうだねぇ。そのまま就職になると思う。荷物も明後日には出さないとだから」


 3年生になれば、大半がインターンとして事前に就職場所を決めてしまう。一度試用期間として働き、双方が納得すれば内定を貰ってくる。一度学校に戻る場合もあれば、そのまま就職で卒業を迎えるケースも認められている。


「桃ちゃんはインターン決めた?」

「うん、あたしは多分ツーリストホテルになりそう。でも、あそこは本格的になるのは卒業してからだし?」


「そっか。桃ちゃんもちゃんと考えてたんだ」

「渚珠にはかなわないよ。1年以上前から準備していたんでしょ? 置いて行かれちゃったなぁ」


 桃香は親友をもう一度見直した。今のグレーの上下のスーツは渚珠の私服だと思っていたが、各移民局直属の港湾士官学校の制服なのだという。そもそも数が少ないし胸元の名札がなければ気付かなかった。


「この後なんだけど、赴任書をもらいにいくの。一緒に行く?」

「いいの?」

「ロビーで待っていてくれれば大丈夫だよ」


 二人はドームから近くの事務サービス棟にある移民局の事務所に向かった。


 移民局というのは、各コロニー間の人の移動や、それに関係する仕事についての組織であり、渚珠がこの仕事をする上で一番世話になるところである。


「こんにちは、松木渚珠です」

「あ、松木さんですね。署長すぐに参ります」


 待合室で見ていた桃香は驚きを隠せなかった。学校では目立たない、いじめの対象になってしまうような友人が、ここの職員には別格扱いだ。


「松木さん、訓練お疲れ様でした。ポート管理員資格と、アクトピアの移民局から辞令が来ましたので、お渡しします」

「ありがとうございます」


「アクトピア自治所属・ALICE宇宙港(ポート)、素晴らしい所です。頑張ってきてください」

「はい。行ってきます」


「えっ?」


 桃香だけでない。事務の係員たちも驚いた顔だ。


「あそこって……、行きたくても行けないんじゃ……」


 桃香でも聞いたことがある。彼女の父親が言っていた。自分ではとても歯が立たない、とてつもなく腕利きのメカニックがいると。しかも女性だというのだ。船に搭載してあった整備記録を見ただけで、それが分かると。オーバーホールに入れた中古のエンジンを新品以上に整備してきた。そんな場所に渚珠が仲間入りするという。


「本当にそんな凄いところで大丈夫?」

「うん。頑張るよ」


 きっと父親に話したら大変な騒ぎになるだろう。父親が憧れる人物と一緒に仕事をすることになった幼なじみ。こんな凄いことなのに、学校では全くそんな風には見られないし、このとてつもないインターン先について自慢げに語るわけでもない。


「落ち着いたら、遊びに来てよ」

「うん、絶対に行くから!」


 当日、渚珠を見送ったのは、彼女が世話になっていた家族と桃香だけ。


「わたしらしくていいんだよぉ?」


 桃香が少なすぎると怒ってきたのに、渚珠は笑っていた。


 桃香は友人が乗った船を、見えなくなるまでいつまでも見つめていた。



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