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しあわせバトン

落としたしあわせは拾いましょう

作者: 三稜 諒

 いかん、今日は本当に散々な一日だった。

 この不愉快さをどうやってやり過ごすか……あ、新しい店できてる。甘いものでも食べてまぎらわそうか。

 ──その程度の思いつきで入ったお店だった。

 ところが入ってみたら、あたし好みのすっきりした店内。あらあら、あたり引いちゃったわ。

 こぢんまりとしたショーケース横に二つのテーブル、四脚の椅子。

「すみません」

 奥でラッピングをしていたらしき店員さんに向かって声をかける。

「はぁい、お待たせしました」

「ここ、イートインも出来るんですか?」

「あ、はい。ございますよ。 お好きなほうにお座りください」

 へぇ。ケーキ屋さんなのに、カフェスペースも併設してるんだ。まぁでも、家でケーキ食べる気分でもないからちょうどよかった。


「お待たせしました」

 と、先ほどの店員さんがお水を置く。

 まだメニューを決めていないあたしはもう少し後でいいですか、と断って再びメニューに目を落とす。

 うーん、やっぱりドリンクメニューは少ないな。

 でもコーヒーが飲めればそれでいいか。ケーキセットで飲み物コーヒーっと。

 セットで五百八十円也。うーん、なんて良心的なお値段。

「すみません、ケーキセットをお願いします。チーズケーキとコーヒーで」

「あ、はい!かしこまりました」

 間もなく、ゴリゴリと音がする。あれ、ちゃんと豆から挽いてくれてるんだ。ちょっと意外に思いながらそういえば席数が少ないんだっけ、と納得する。席が多いと手で豆を挽くなんて無理だもんね。


 届いたコーヒーとケーキを前に今日一日の出来事を思い返してみる。

 朝、課長に呼び出されて、お客さまからクレームが来たと叱られた。「お前に目はついてるのか」ですって。その叱り方は人としてどうかと思う。しかも何のクレームかを話してくれないのでこちらとしては対処のしようがない。自席に戻ると同僚からメールが届いていた。納品書の不備についてのクレームだったそうだ。納品書作ったのあたしじゃないし。

 昼、彼氏と一緒に昼食を取る約束だったので待ち合わせ場所に行くとメールで「ごめん、別れたい」って届いてた。

 あいつお昼に話そうとしてたもののやっぱり面倒になってメールで済ませやがったな。

 おかげで午後の仕事はまったく手につかなかった。

 そんなこんなで定時きっかりに上がってこのお店に到着、そんなわけ。

 こんなの大したことじゃない。

 そう思おうとしても、やっぱり自分はごまかせない。上司からのお叱りより、メールで別れを告げられたほうが堪えてるみたい。

 しかし、付き合うのも別れるのも実にお手軽な時代になっちゃったわ。

 

 あ、いかんいかん。コーヒーにもケーキにも罪はない。

 先ほどテーブルに置かれたコーヒーの湯気を視界の端に捕らえてフォークに手を伸ばす。

 ここは一発、心を潤していただこう。ぱくりと一口。うわ、美味しい。

 あたしの好みはふわっとしたチーズケーキ。濃いチーズ味の固めのやつは苦手。なんだったら、コンビニのチーズケーキの方が好きなくらい。

 このケーキ屋さんのは口の中でふわっと消えそうな軽さのものだった。

 あぁ、来てよかったな。──そう思っていると、表に見覚えのある顔が。

「あれ?カモイくん?」

 思わず声に出して呼んでしまっていた。カモイくんて珍しい漢字だったから印象に……はて、どんな漢字だっけ?普通に読めなかった覚えがあるんだけど。

「あ、斉藤だ」

「久しぶり。珍しいとこで会うね?」

 こちらに寄ってきたカモイ氏は前の席に腰掛けようとし、「あ、ごめん。前よかった?」と断ってきた。礼儀正しいやつめ。

 どうぞとすすめて、カモイ氏がコーヒーを注文したところで先ほどの返事がきた。

「ここ、高校の同級生のやってる店なんだよ」

「同級生?そうなんだ。あたしも知ってる人?」

「どうかな、相川優生っていうんだけど」

「あ、知ってる知ってる!へぇ、そうだったんだ」

 話してるとカモイ氏のコーヒー到着。

「カモイくんてどんな漢字でカモイって読むんだっけ?」

「猫が居るで猫居。なんで?」

「いや、漢字で普通に読んで読めなかったはず……ってさっき声かけたときに思い出しちゃってさ」

「あー確かに普通に読んだらネコイだからなぁ」

「だよねぇ」

「そんで、斉藤はなんでこんなとこに……って、ごめん。もしかしてもう斉藤じゃなかった?」

 あ、地雷踏んだな、コイツ……。

「旧姓で呼んで怒る人は少ないけど、その確認をしたら怒る人はいっぱい居るから気をつけたほうがいいかもね」

 しらっと答えてやると「ごめん。斉藤でいいんだな?」と肩を震わせていた。

「しかも今日振られたばっかりよ。ちょうどいいからちょっと愚痴聞いていきな」

「げ。やな時に会ったな……」

 笑った罰じゃ!と、本日の顛末を愚痴っていたら、頭上から声がした。

「猫居、来てくれたんだ、ありがとう。──彼女?」

「おー優生。いいとこに。彼女違う。覚えてない?斉藤。さっきから愚痴が止まらねぇ……」

「あ、斉藤さんだったんだ。きれいになってたから気づかなかった。ご来店ありがとうございます」

 爽やかな笑顔つきでさりげなく持ち上げて挨拶。うーん、完璧!さすが高校のとき王子様扱いされてただけあるなぁ。これが人気の理由だったのか。

「お前、よく歯が浮かないな……」

 猫居くんはゲンナリした顔で相川くんを見ている。うーん、そろそろ猫居くんを開放してあげましょうかね。

「さて、あたしは一通り愚痴ったから帰ろうかな、お会計だけしてもらえる?」

 お会計を済ませてお店を出たところで後ろからきた猫居くんにメモを渡された。え、なんで?

「悪いな、邪魔入って。まだ途中だったんじゃない? これ、おれの名刺渡しとくな」

「ありがと。また聞いてもらいたいときに連絡させてもらうわ。あたしのは後でここ送っとくね」

 いい人だなぁ。偶然会って愚痴られて、挙句に連絡先渡しちゃうなんて。

 軽く手を振って別れを告げて、家の方向へ向かう。


 家に着いてから猫居くんの名刺に書いてある携帯メールらしきアドレスに今日はありがとうとメールしてから数十分。メールの到着を知らせるバイブが鳴った。

 『本当に偶然だったね。また今度ゆっくりと』と短い文章が返ってきた。

 ──あぁ、悪いことだけの日でもなかった。美味しいケーキとコーヒーを出すお店に出会えた。旧友に会えて、愚痴を聞いてもらえた。うん、なんだか明日も頑張れそう。




 そんな再会を果たしてから一年。なぜか猫居くんがうちにいる不思議。

 お土産はあのお店のケーキ。……と、指輪。

 すべては猫居氏の頑張りの成果だ。メールが届いた翌週には晩御飯のお誘い。

 一ヶ月後には映画、三ヶ月後にはドライブ。半年後には花火と落ち込む隙も新しい出会いの機会も与えずに色々かまってもらった。

 後から本人に聞いたら高校時代のやり直しのつもりだったらしい。

 やり直してくれてよかった。


 ──今のあたしはあの日があったから。大好きよ、猫居くん。

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