第2話:嘘つき令嬢、社交界で最強を演じる
「……おはようございます、エルザ様。今日も世界で一番愛らしい」
エルザが目を開けて最初に見たのは、至近距離にあるシオンの顔だった。
彫刻のように整った顔立ち、朝露を含んだような紫色の瞳。だが、その瞳には光がない。
「ぎゃああああああっ!? ……って、シオン!? あんた、いつからそこにいたのよ!」
「昨夜、お休みになられてからずっとですが。……何か問題でも?」
シオンは小首を傾げる。その仕草すら絵画のように美しいが、言っていることは完全にストーカーのそれだ。
監獄都市のボロ宿。昨夜、彼を拾って(拾われて)から一晩。エルザの胃には、すでにキリキリとした痛みが走っていた。
「大問題よ! プライバシーって言葉を知らないの!?」
「知りませんね。僕にあるのはあなたへの忠誠と、あなたを害するものを塵にする破壊衝動だけですので。……それより、本日の衣装をご用意しました」
彼が指し示したのは、質素な宿の室内にはおよそ不釣り合いな、豪奢なドレスだった。
まるで夜の帳を織り上げたような深い紺色の絹に、零れ落ちそうな真珠の刺繍。
「……これ、どこから持ってきたのよ。まさか盗んだんじゃ――」
「いえ。僕を封印していた結界の魔力を再構成して物理化しました。今の僕、すごく『魔力が枯渇していて弱い』状態ですので、これくらいが限界です」
「これで!? ……待って、これって元は最強の封印術だったのよね? それを服にするなんて、どんな罰当たりよ……」
エルザは頭を抱えた。だが、今の彼女に拒否権はない。
今日は、かつて彼女を嘲笑った貴族たちが集まる社交界の日。
「最強の術師」としての第一歩を、最悪の従者と共に踏み出さなければならないのだ。
帝都の侯爵邸で行われる晩餐会。
没落したはずのアムゼル家の娘が現れたことで、会場は一瞬にして冷ややかな嘲笑に包まれた。
「おや、これはこれは。……アムゼル家のエルザ嬢ではありませんか」
声をかけてきたのは、脂ぎった顔に下卑た笑みを浮かべたヴァロワ伯爵だ。彼はエルザの家の領地を安値で買い叩いた宿敵でもある。
「噂では、監獄都市でゴミ拾いをしているとか。……今日はその汚い身なりを隠すために、どこぞの男にでも貢がせたのですかな?」
周囲からクスクスと忍び笑いが漏れる。
エルザの心臓が早鐘を打つ。足が震えそうになる。
だが、その背中に、冷たくて心地よい手のひらが添えられた。
「……エルザ様。あのごみ溜めのような男、今すぐ物理的に『ゴミ』にして差し上げましょうか? 骨からバラバラにして、花瓶に飾るくらいなら容易いですが」
背後から囁くシオンの声。温度のない声だが、エルザにはわかる。こいつは本気だ。
「(……バカ言わないで! ここで殺したら私の計画が台無しでしょ!)」
エルザは小声で嗜めると、扇を広げて優雅に微笑んだ。
アムゼル家に伝わる、最高級の「はったり」を披露する時だ。
「あら、ヴァロワ伯爵。ご心配なく。私は今、新しい魔術の研究に忙しくて。……隣にいる彼は、私の『実験体』兼、護衛の従者ですの」
「ほう、魔術だと? 魔力ゼロの無能令嬢が、面白い冗談を……」
伯爵が手を伸ばし、エルザの肩を掴もうとしたその瞬間。
ピキッ、と空気が凍りついた。
「――触るなと言ったはずですよ。下等生物」
シオンの瞳が、一瞬だけ禍々しい紅に染まった。
彼が指先で空をなぞると、伯爵が持っていたシャンパングラスが音もなく粉砕され、その破片が空中で静止した。
まるで時間が止まったかのように、鋭い破片が伯爵の喉元に突きつけられる。
「ひ……っ、ひいいいっ!?」
「これは、エルザ様の慈悲による魔術です。彼女が『静止しろ』と願ったから、あなたの命は辛うじて繋がっている。……わかりますか?」
シオンの嘘だ。彼はエルザの指示など待たず、勝手にキレているだけだ。
だが、周囲の目には「エルザの命令一つで、恐ろしい魔術を操る従者が動いた」ように見えた。
「さあ、エルザ様。この無礼な男に、どのような『死』を賜りますか?」
シオンが狂気に満ちた、しかしこの世のものとは思えないほど美しい笑顔で問いかける。
会場全体が、エルザの次の一言を待って凍りついている。
(ヤバい、ヤバい、ヤバい! このままだと私が大量殺人の首謀者にされちゃう!)
「……シオン。もういいわ。そんな小物を相手にするほど、私の魔力は安くないの。……解放してあげなさい」
エルザは冷徹な「最強の術師」を演じきり、そう告げた。
シオンは少しだけ不満そうに目を細めたが、「あなたの仰せのままに」と深く頭を下げた。
瞬間、空中の破片は砂となって消え、伯爵はその場に腰を抜かして失禁した。
晩餐会の帰り道。月明かりに照らされた馬車の中で、エルザはぐったりと座席に沈み込んでいた。
「死ぬかと思った……。ねえ、あんな派手なことしないでって言ったじゃない!」
「おや。おかげで皆、あなたを恐れ、敬うようになりましたよ。……僕の主人は、世界で一番傲慢で美しくなくては」
シオンはエルザの膝元に座り、飼い主に甘える犬のように彼女を見上げる。
その瞳には、先ほどの狂気は微塵もない。ただ、エルザだけを映す熱っぽい光がある。
「……あんた、本当に何なのよ」
「僕はあなたの犬です。……ですが、いつまでも『嘘』だけでは退屈でしょう?」
シオンがエルザの手を引き、その指先にそっと歯を立てた。
チクリとした痛みが走り、小さな血の玉が浮かぶ。
「契約の更新です。僕に魔力を与えてください。……愛していますよ、エルザ。あなたの嘘も、その臆病な心臓の音も、すべて」
彼の唇が血を拭い去る。
エルザは、恐怖と、得体の知れない高揚感で胸が苦しくなった。
自分はとんでもない化け物を飼ってしまった。
この嘘が暴かれる日が来るのが先か、彼女がこの甘い毒に溺れるのが先か。
「……次、勝手に人を殺そうとしたら、本当に絶交だからね」
「善処します。……次は『死なない程度に』壊すことにしましょう」
「そうじゃないって言ってるでしょ!」
夜の帝都に、令嬢の絶叫と、化け物の嬉しそうな笑い声が響いていった。




