第8話:記憶の葛藤
この時代、世界は一つではなかった。
ムーだけが高度文明を持つ。
外界は、まだ文明創成期。
そして今。
異常は外界で起きていた。
海が、上がる。
最初は誰も信じなかった。
男「満ち潮だ」
だが、引かない。
昼を過ぎても。
夕方になっても。
水は下がらない。
浜辺の男が海に入る。
膝。
腰。
昨日より深い。
浜辺の男「舟を上げろ!」
怒号が飛ぶ。
縄を引く。
素手だ。
滑る。
転ぶ。
杭が抜ける。
舟が流れる。
子どもが泣く。
母が抱き上げる。
水が小屋の床を濡らす。
長老「高台へ行け!」
人が走る。
押し合う。
転ぶ。
踏まれる。
怒鳴り声。
悲鳴。
祈祷師が叫ぶ。
祈祷師「海の神が怒っている!」
火が焚かれる。
煙が立つ。
水がそれを消す。
誰かが舟を追って海へ入る。
戻らない。
男「引け! 引け!」
だが引かない。
夜。
焚き火の跡が沈む。
浜辺が消える。
小屋が傾く。
叫びが重なる。
誰も止められない。
理由がない。
説明もない。
ただ、水が来る。
――ムー観測塔。
光。
静寂。
立体地図。
外界沿岸が赤く染まる。
観測官「上昇継続。止まりません」
カサル「救援を急げ。まだ方法はある」
ムーは数値を見る。
外界は空を見る。
ルシェルの端末。
均衡式。
総負荷が臨界へ近づく。
収束先。
空白。
点滅。
外界では、
高台が崩れ、
押し合いが激化し、
舟が奪い合われる。
叫び。
泣き声。
怒号。
ムーは静かだ。
均衡式が収束先を算出する。
演算完了。
収束先:ムー大陸。
ルシェルの視界が歪む。
違う。
再演算。
収束先:ムー大陸。
同じ。
均衡式は迷わない。
外界の混乱が拡大する。
子どもが海に落ちる。
叫び。
舟が衝突する。
火が消える。
祈りが罵声に変わる。
水が全てを均す。
ムーは揺れない。
その差が、ルシェルの胸を裂く。
ムーが沈めば、外界は止まる。
ムーを守れば、外界は沈み続ける。
選択の期限が迫る。
ルシェルの全身が小刻みに震える。
外界の絶叫が、画面越しに響く。
ムーの光は、まだ静かだ。
守る者が、
沈む者になる。
知る者は一人。
孤独は、役目だった。




