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Carmilla! 〜Crimson Lip Like Blood〜  作者: 隠埼一三
Episode Ⅱ『紅い月が誘う夜』
7/14

2-2⊕

 煙を上げながら、バスが坂道を下ってくる。

 バス停には撫蘭高校の生徒たちが、まるでバーゲンセールでも始まるかのように列をなしていた。


 昨日見たテレビの話、クリスマスの予定、バイト先の先輩がイケメンだとか、自分の彼氏がどうだとか……。

 男子生徒たちが、それぞれ他愛ない話に花を咲かせている。……ん? いや待て。これ、全部男子が話してる話題なのか?

 特に最後のやつ。時代的には“多様性”ってやつなんだろうけど、さすがにそれはまだありふれてるとは言えない気がする。まあいい。今はスルーしておこう。


「はぁ……」

 人だかりの中で、史文恭介はひとつため息をついた。


 この朝、彼は一人だった。正確に言えば妹の陽子も一緒にいたのだが、バス停に着くなり友達の元へ駆けて行ってしまったので、実質的には単独行動だ。


 深憂の家はまるっきり逆方向にあるため、通学ルートもバスも重ならない。

 本当は一緒に登校できたらいいのに——と恭介は思っているのだが、地理的な問題だけはどうにもならない。


 バスが停留所に滑り込み、陽子たちが先に乗り込んでいく。恭介もそれを追って、静かに乗車した。


 午前七時四十分。学校まで七つの停留所を越えて、およそ二十分。登校にはやや早い時間で、車内もまだ混雑していない。


 ちらほらと空いている席の中から、恭介は窓際を選び、腰を落ち着けた。

 やがて車内が人で埋まり、空気が抜けるような音とともにドアが閉まる。無感情な機械音声が出発を告げた。


 ふと気づくと、恭介の隣だけがぽつんと空いていた。

 そんなところへ、一人の女子生徒が歩み寄ってくる。


「史文君、隣いいかしら?」


 外の景色をぼんやり眺めていた恭介が振り向くと、そこには見覚えのある女生徒が、どこか妖艶な笑みを浮かべて立っていた。


 艶やかな漆黒のショートヘア、切れ長の瞳。冷たさを帯びたシャープな顔立ちのなかに、なまめかしい色香を湛えている——帰国子女の転校生、音無林檎。


 昨日転入してきたばかりだというのに、すでに校内の話題を独占している。

 その彼女が、まるでタイミングを見計らったように声をかけてきた。


 深憂が本命の恭介としては、それだけで何かが起きるわけじゃない……はずなのに。

 やはり美人に話しかけられれば、少しは動揺もしてしまう。


「……おはよう、音無さん。どうぞ」

「ありがとう」


 落ち着いたアルトの声で礼を言い、林檎は隣に腰を下ろす。

 そして鞄から一冊の文庫本を取り出し、静かにページをめくり始めた。


 本を読む姿は、まるで一枚の絵画のように整っていて、視界の端でも存在感を放っている。


 深憂が「可愛い」だとしたら、林檎は「美しい」に分類されるだろう。

 仮に意中の人がいなくても、彼女のような美貌に抗える男子は多くない。


 彼女には、例えるなら——“魔力”のようなものがあった。男の理性を曖昧にするような、得体の知れない吸引力。


(……ずいぶん分厚い本だな。何を読んでるんだろう)


 つい気になって、恭介は横目でページを覗いた。

 そこにはぎっしりと英文が並んでいる。……もうそれだけで、恭介には無理だ。


 その視線に気づいたのか、林檎が顔を上げた。無表情のまま、じっとこちらを見る。


「あ、いや……何を読んでるのかなって」


 慌てて口にした言い訳に、林檎は小さく笑った。



挿絵(By みてみん)



「……吸血鬼物の小説よ」


 ふわりと微笑む唇に、恭介の心臓がわずかに跳ねる。


「へ、へぇ……吸血鬼って、ホラーとか?」

「ジャンル的にはゴシックホラーだけど、内容はちょっと違うわ」


 林檎は本に栞を挟み、パタンと閉じてから恭介に向き直る。


「『吸血鬼カーミラ』って、聞いたことある?」

「うーん……ないと思う」

「アイルランドの古典怪奇小説よ。ドラキュラよりも前に書かれていて、ドラキュラにも影響を与えたって言われてるの」

「へぇ……」

「この話の吸血鬼は女。狙うのもすべて女。強烈なレズビアニズムの香りが漂ってる。——そういう小説よ」


 妙にさらっと言い切られて、恭介は反応に困る。


「そんな本を……たまたま、読んでるの?」

「ええ。たまたまね。この街で“あの事件”を知ってから」

「……森彼方南公園の殺人事件、か」


 頷いた林檎の目が、ふと冷たく光る。


「『吸血鬼の仕業』なんて噂もあるみたい。興味が湧いたのよ」

「はは……それ、オカ研の連中も追ってるよ」

「知ってるわよ。あなたが、そのオカ研の一員だってことも」


 言葉の刃が、唐突に核心へと突き刺さる。恭介の肩がわずかに強張った。


「吸血鬼ものの魅力って、『取り憑かれる』ことだと思うの。カーミラもそう。吸血鬼は、恋をするみたいに少女を見つめて……血を吸うの。……あの事件の犯人も、もしかしたら、そうだったのかもしれないわね。カーミラのように」

「でも、現実の吸血鬼がレズビアンとは限らないだろ」


 口にしてから、我ながら妙な切り返しだと思う。

 林檎はまた、口元を歪めた。


「違うわ。あなたは——現実に吸血鬼が存在すると、どこかで思ってる。そういう目をしてる」


 その視線は鋭く、何かを見透かすようだった。

 正面から見ていると、こちらの内側まで剥がされてしまいそうで、恭介はそっと目を逸らす。


「まさか。空想の話だろ」

「嘘」


 彼女は断言するように言った。


「普通の人は、『犯人は吸血鬼』なんて発想しない。でもあなたは——知っている。自分の家のことも、隠された力のことも」

「……は?」


 何を言っているのか、さっぱり分からない。

 家? 力? この女、何者なんだ。どういう意味だ?


「あなたは今、事件の真相に少しずつ近づいてる。表向きはオカルト研究部として、だけど」

「……」

「そうよね?」


 返事をしない恭介に、林檎はひとつ息をつく。


「わからない振りをしているのか、本当に何もわからないのか……。史文の家の跡取りだからと期待していたのに。貴方に協力をお願いしようと思ったけど──まあいいわ」


 バスはすでに撫蘭高校前に到着していた。乗客が次々に降りていくなか、林檎も立ち上がる。

 そして、ふと振り返って言った。


「ひとつ忠告しておくわ。神良深憂には、気をつけなさい。もし彼女があなたを気に入ってるなら……特にね」

「え、それって……どういう意味だ?」


 慌てて問い返す恭介に、林檎は意味ありげに微笑んだ。


「吸血鬼カーミラのように——彼女に取り憑かれて、血を吸われないように。……あなたの血、美味しそうだから」


 その言葉を最後に、林檎はすっとバスを降りた。

 恭介はあわててその後を追ったが、生徒の波のなかに、彼女の姿はもうなかった。


 まるで、最初から存在しなかったかのように。


「……なんで、深憂さんのことを……」


 その呟きだけが、虚空に浮かんで消えた。

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